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札幌1番味噌ラーメンが美味しかった話

お久しぶりです。
前の更新から何があったのかと言うと、腰ぶっ壊して入院してたのでnote以外にすることがほぼなかった状態から退院していろいろ自由になったからなのです。言うて今も体はボロカスですが。

そんなワケで退院から3ヶ月以上経ったワケで。腰は基本痛いんですが調子良い日はちょっと歩ってコンビニまで〜なんてのができるんです。

そんで今日腹減ったなあと。晩飯何にしようかなあと。そういや前買った「札幌1番味噌ラーメン」があったなあと。
今日は幸運なことに腰の調子が良かったので、切れてしまったタバコとティッシュを買いがてら、札幌1番味噌ラーメンに合う物を買おうとコンビニに行ったのです。

やっぱタンメンだな。もやしとキャベツとキクラゲが入った袋を買って。肉食いたいな。豚コマを買って。どうせならとキムチと温泉たまごまで買ってしまった。
そんなワケで僕は今日、豚コマに火を通し、キムチと野菜を足して炒めて、醤油と塩胡椒で味付けして、お湯でちょっと蒸した物を札幌1番味噌ラーメンに乗っけて最後に温泉たまごを足したのだ。お腹が空いていたから2玉だ。なんだったら冷や飯も食った。かなり腹が満たされて苦しかったがべらぼうに美味かった。札幌1番味噌ラーメンを美味しく平らげたのだ。

なんてしょうもないのだ。
「札幌1番味噌ラーメン」に野菜と豚コマとキムチと温泉たまごて。そんな人間になってしまっていいのか。そんなベタな人間でいいのか俺は。

それでいいのだ。いいに決まっているのだ。
札幌1番味噌ラーメンにガリガリくんを乗せはしないのだ。素手で食ったりしないのだ。
それでいいはずなのに何故しょうもないと思ってしまうのか。

誰かと違うことがしたかった。
物心がついた時からそんな気持ちが強かった人間だったとは思う。結果が伴ったかは別として、人とは違う何かを追い求めたかった幼少時代だった。

結果的に今の自分はこの国のポピュラーとは違う生活をしているとは思う。だからこそ「札幌1番味噌ラーメンを味噌タンメンにして美味しく食べること」にどうしようもない焦りを覚える。
そしてそんな焦りを覚えてしまう段階で「自分は普通の人間なのだな」と痛感するのだ。

人と違うことをする人間はおそらく人と違うことをしたいとは思っていないんじゃないのか。
そもそも人と違うことってなんだ。僕らはみんな違う人間で、僕のアイラブユーと尾崎豊のアイラブユーは違うのだ。

僕はなんとなくネコが苦手だ。
過去ネコに引っ掻かれたりノラネコが家に入り込んで台所を漁っていた経験があったのもあるが、なんかこう「シャクだな」という気分がなくもない。
これは自分自身への疑ぐりなのだが「ネコが好き」ってベタすぎると心にブレーキをかけているのではないか。実はネコが好きなんじゃないか。

最近よく米津玄師をよく聴くようになった。
今までは「なんか売れてる人」くらいのイメージだったがよくよく聴いてみるとなんか良かった。音楽知識が皆無な人間なので何がどうこうわからないが、なんとなくこう、よかった。

そもそも田舎でテレビと漫画と山の中のエロ本くらいしか娯楽がなかった自分にとって届いてくるのはどうしてもポピュラーなものばかりで、そしてそれに特別不満を感じてはこなかった。
案外自分はポピュラーが好きでベタに安心するタイプだったのかもしれない。(まあ米津玄師をベタとは思わないけども)

20代のころはやっぱり「売れてる物は悪」みたいな感情があったような気がする。
そして今の20代が「売れてる物は悪」と言っているのを見て「ああ、俺もそうだったなあ」と感慨深くなる。
彼らも30を超えると自分みたいになるのだろうか。自分よりも上の方々はかつて似た道を通ってきたのだろうか。きっとみんな「人と違うことをしたい」と思ってきたのではないだろうか。
もしかすると僕のアイラブユーと尾崎豊のアイラブユーもどこか一緒だったのかもしれない。それはそれで楽しいなあ。

まだ札幌1番味噌ラーメンは3袋ある。
次はネギを多めに入れようかなと思う。

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