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汽車の窓から手を握り送ってくれた人よりも

気持ちというのは人には伝わらないもんだなと、ここ最近強く思っている。

個別具体的な事情については割愛せざるを得ないのだが、今言えることはどれだけ仕組みや伝え方を工夫したとしても、端から同じベクトルで進んでいなければ無意味だということ。

本音と建前。大人は他人にも自分にも大なり小なり嘘をつきながら生きている。
社会で他人と関り合いながら生きていく上で全て自分の思いどおりに進むわけではのだから。

特に仕事においては自分のやりたくないことであってもやらなければいけないなんてことはザラにある。それでも折り合いをつけながらやっていかなければいけないし、制限があるのならその中でどうするかでしかない。

覆したいのであればルールを作る側に回るしかない。それすら嫌なら人と関わらないように山でも買って自給自足の生活を送るべきだ。

入り口でやりたくない、めんどくさいになるのはしょうがない。というかそこにいる人がほとんどだろう。

問題はそこで戦うでも逃げるでもなく、なにもしないことだ。

私のような暇で性格の悪い人間はなにもしていない輩をすぐに見つけ出せてしまう。普段はわりと美味しい位置にいるからこそ、時としてかなりめんどくさい役が回ってくる。

話を戻そう。
戦場でなにもしないやつは本来死んでいくだけなのだろうが、現代社会で死にはしない。
そんな人にこちらがどれだけ活躍するため、生き残るための武器を与えようとしても無駄だった。だって死なないのだから。

そんな人に私がしてあげられるのは退場してもらうことだけだったのかもしれない。

最後の最後にタメになることをしてあげられたのだろうか。

まぁいい。守られていた現実に気づき、自身の行いでその後ろ楯がなくなり、手ぶらで更なる戦場に放り出されたわけだ。
震えて眠れ。

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