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ある日の映画館で

ある日の夕暮れ時、夜の空気をまといだした街に、肌寒い秋の夜風がそよぎだしていたころ、俺は用もないのに知らない街の商店街をぶらぶらしていた。車でちょっと行ったところにある商店街だが、今まで訪れたことのなかった場所だ。ふと新鮮な場所で散歩でもしたいと思い立ち、車を走らせ、その商店街をうろついていたのだ。

「中央銀座」と名付けられたその商店街には、まだ夕方の18:00頃というのにほとんどひと気がない。まるでこの街の人たちが俺を驚かせようと、路地の影に隠れているんじゃないかと思うくらいだ。そんな感じだから当然開いている店もまばらだ。どうやって生計を立てているのかわからない古本屋、ほとんどが廃棄になってしまいそうな果物店、地域の子供が万引きデビューするであろう文房具店、暖簾はかかっているのに店の奥が真っ暗な寿司屋…そんな店が五軒に一軒くらい空いていて、あとはどの街でもおなじみのシャッターである。シャッター街というにはお店は空いているし、商店街というにはお店がなさすぎる。どこかでみたことがある景色だと思ったら、俺の田舎の商店街がまさにこんな感じだ。

そんな店々を横目で流しながら歩いていると、通りの奥の開けたスペースにある小さな映画館の前を通りがかった。日も落ちてきていたし、腹も空いていたので早々に帰宅して夕食の準備をしたかったのだが、その映画館がやけに気になってしまったのだ。

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外観はもうこの街に馴染み込んで存在感すら漂わないくらい鄙びてはいたが、この街の娯楽を一手に担ってきたという誇りを感じ、「まだここで観客に感動を与えつづけている」といったキリッとした佇まいに目を奪われてしまった。その姿は俺が随分昔に忘れてしまった感情を思い起こさせた。

思わず中に入ってみると、丁寧に清掃が行き届いた古めかしくもよく磨かれた床や内装。静かな唸り声をあげる自動販売機。これからもこの映画館が存続することを約束する来月の上映スケジュール。特筆するべき部分はないが、全てが調和し付け焼き刃に置かれたものはその空間には存在しない。完璧にやるべきことがわかっているものたちで構成された空間に感心してしまった。

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中に入ってしまったーー正確に言うと吸い込まれてしまったーーからには、映画を観たくなり、観たかったタイトルのポスターが目に入ったので、「すみません『トムボーイ』は何時からですか?」とカウンターのスタッフに聞いたら、彼は申し訳なさそうに「申し訳ありません、トムボーイは十二月の上映予定なんです」と返した。調べもせずいきなり行った時間に希望のタイトルをリクエストした自分の行いの方が「申し訳ありません」という言葉が適切だろうと思いながら「このあとの上映はなにがありますか?」「夕霧花月なら、あと10分後です」ということだったので、「では、それを一枚」「今日は映画デーで割引で千二百円です。」という一通りのやりとりを経て、第二上映室に向かった。

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やはりとでもいうか、予想はしていたが、観客は俺一人の他は誰もいない。30〜40席の小さな会場ではあるが、誰もマナーを守ることなく、しんと静まりかえっていた。

最終列から二番目の列の真ん中の席に自分の位置を決め、スプリングの潰れたモケット生地のシートに腰を下ろしたところで予告が始まった。スクリーンに光が照射され、次々に新作の予告が流れ出した。ある主演はシリアスな顔をし、ある作品はおどけた表情で大騒ぎした。

そのまま本編へすすんでいったが、この映画館での体験は、俺の感覚に何か不思議な感情を刻みつけた。本編の内容それ自体というよりは、それを取り巻く環境ーースクリーンへ照射され、シートや壁に反射し、時に点滅する光、埃と少しのカビの匂いーーに暖かく迎え入れられ、この場には誰一人いないはずなのに、一人ではないような感覚を覚えた。

このスクリーンやシートは今でも元気にそこで活躍していて、そこにはこの街の人々の笑いや涙が染み付いている。勇気を出して意中の人を誘った誰かの思い出、初めて手を繋いだ喜びや、その後訪れる別れの悲しみ、映画館で起こるであろう様々な出会いとすれ違いがそこには残っているように感じた。少しかび臭いこの場内のスクリーンは、ここに訪れた人たちの喜怒哀楽をずっと見つめていたし、このシートはさまざまな感情をやさしく包み込んでいたのだ。

間違いなく、この映画館それ自体が「作品」だった。どこで観た映画よりもこの映画館が持つ「ストーリー」に感動した。音響や映像が素晴らしい映画館はいくらでもあるが、こんな雰囲気を持つ、古い映画館が俺は好きになった。どこにでもある誰かの日常にちょっとだけ物語を加えてくれる場所。娯楽施設だからこそ特別な感情が残っている。

この話は、作者の撮影した写真を元にして創られたフィクションである。登場する街、人物、会話や出来事は全て作者の創作であり、特定の場所を指し示すものではない。全ては一枚の写真が語り出した、一言ではいい表せない感情の発露である。

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