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東京の食べものと歴史〜成城風月堂・前編〜

東京には、世界中の美味しいものが歴史とともに集まってきました。平和な時も、戦争の時にも他国との文化交流を重ね、「あなたの国の食べものって美味しいんだね」という純粋で、勝ち負けを争う国のめんどうくさい事情とは別次元で互いの存在を認め合うことが東京や日本各地で、おそらく世界のどこかでも出来事としてあったのです。日本の都になって、日本全国から人が集まってきた東京には、同時に特にさまざまなものが集まったことは、言うまでもありません。

かつて、美味しいお菓子が生まれる場所は「城下町」であることが多いもの。その昔、お城に住むお殿様や武士のおじさま方にとってお茶会は社交場であり、激しい戦乱の中で心落ち着ける愉しみの時間でした。時には、国取り戦略会議もあった(かもしれない※1)とか。千利休が織田信長や豊臣秀吉にお茶を立てていたのは、有名なお話です。そういう、位の高い人が嗜むための献上品として、お城近くでお菓子屋さんが腕を振るい、上等で上質なお菓子が日本各地で誕生し、現在へも伝承が続いている、というわけです。

幕府がなくなって、明治、大正、そして昭和へと、日本国は大きな変革を続けました。外国で学んできた文化や思想や法律などなどを日本でも活かすぞと、渋沢栄一さんや当時のたくさんのパイオニアたちが日本国のために走り回りました。

そんな中で生まれたのが「洋菓子」です。学問や娯楽・文化が集中する東京では、オムライスやナポリタンなどの洋食、ショートケーキやパルフェ(parfait:仏語、パフェの語源になったといわれています)などの洋菓子を出す、ハイカラなお店があちらこちらにできました。この頃、大学生や映画関係者が集まっていた東京都世田谷区の成城にできたのが「成城風月堂」です※2。

明日は、後編を更新します。成城風月堂さんの歴史と、食べた絶品お菓子について書きました。美味しさが、伝わりますように。お写真は、昭和のハイカラお菓子「サヴァラン」、リキュールシロップがじゅわりと染みて美味なんです。

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今回も読んでいただき、ありがとうございます。それでは、また明日。

※1筆者は歴史に疎いので、ちょっとうろ覚えです。確かな情報をご存知の方はお知らせください。

※2 成城風月堂のホームページ http://www.seijofugetsudo.com/index.html


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