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東京の食べものと歴史〜成城風月堂・後編〜

世田谷区成城にある「成城風月堂」は、映画の制作現場には差し入れお菓子のお店として親しまれ、いつしか高級住宅街となった地の成城マダム御用達の集いの場でもあります。クリスマスや、お年賀などの時にはお店の前には行列ができるくらいの(※3)、洋菓子界を代表するお店です。

筆者の自宅から成城までは歩いて30分ほど、お散歩にはちょうどいい距離で、途中「不動坂」という心臓破りな坂があったりして、軽い運動にもなります。夫婦で行くと、たいがいodakyu OXや成城石井とかで買い物をして帰るのですが、先日、成城風月堂さんの2階にあるカフェに立ち寄ってみました。

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お写真は「プリン・ア・ラ・モード」。むしろ、この食べものをパフェと呼ぶにふさわしいのではと思うほどのパーフェクトな取り合わせと盛り付け。黄色いカスタード系プリンはたまごの風味がまろやかで、カラメル層付近のやわらかさはもちろんですが、蒸し焼きプリンに現れる下の方のにわかに固い食感が好きで、その美味しさにノックアウト。横で仲良く寄り添うソフトクリームのミルク感がまたたまらんのです。この二人の主役を引き立たせる、三角の酸っぱめのいちごと、フレッシュなキウイとバナナ、ブルーベリーは最強のバイプレーヤーです。

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これは…好物のカプチーノを手にしながら、サヴァランを前にニヤニヤする筆者です。イタリアのシチリア島で食べたラムシロップにどっぷり浸かったお菓子「ババ」が忘れられなくて、サヴァランも注文しました。イタリア菓子のババがフランスに渡り、サヴァランさんという人がフランス流に美味しいものに作り変えて、この名がついたようです。サヴァランの他にもイタリアからフランスに渡って栄えた食べものや芸術とかがいくつかあって、そういうことに対して「アレは元々イタリアのものなんだ」みたいなことを言わないイタリアの人たちが好きです(言ってる人を知らないだけかもしれませんが)。

筆者は、中学生の時に歴史のテストで5点(50点満点)を取るくらい歴史が苦手でしたが、大人になって食べものを追いかけるようになると、必然的に歴史も学ぶようになりました。食べものの誕生や移り変わりに、その土地の歴史あり。戦争や疫病の時代の中でも、人間は「美味しさ」を見つけて生きてきました。そういう強かさが、現代に生きる私たちの食文化を豊かにしているのかもしれませんね。

ちなみに、「風月堂」という和洋菓子屋さんは全国にいくつかありますが、ゴーフレットで有名な風月堂と成城風月堂は違うお店のようです。当時、和洋菓子屋さんに風月堂という店名をつけることが流行りのようだったとか。中華屋さんに「来々軒」、スナックに「さくら※4」、犬には「ポチ」と名付けるようなニュアンスだったかもしれないですね。

今回も読んでいただき、ありがとうございます。ライターとしての物書きも大事ですが、好きなことを好きなだけ書いて、少しの人にでも読んでいただけることが、嬉しいです。また、読みにきてくださいね。

※3筆者は世田谷区を中心に走るタクシードライバーでもあるのですが、年末の成城学園前駅周辺は昨今の感染症対策を施しながらも賑わいを見せており、成城風月堂さんの前には、何度見ても笑顔の人だかりができていました。

※4参照:https://oceans.tokyo.jp/food-drink/2017-0312-2/





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