「私は優秀で頑張り屋さんで可哀想なのである」

私が働いていないことに対して、あるいは夫がよく働くことに対して、母が「あなたの夫には足を向けて眠れない」と言う。「私が働いていないことの負い目は、私が夫に感じるべきであって、なぜそこで貴方がそんなことを言えるのか、貴方も働いてきていないだろう」なんて言ってしまったら、多分またややこしいことになるので黙っているが、大層しんどい。

私の地元の同級生たちは割と優秀で、皆、それなりの大学を出て、真っ当な仕事に就いている。最近は政治家まで誕生した。彼/彼女らと私を比較しているのだろうか。

ただ、私の同級生たちは、母よりも優秀な母に育てられてたことはほぼ確実なのだから、私だって「三食たべていれば」「人並みに綺麗な家に住めていれば」最低限食える人間になれたかもしれないよ。なんて口が裂けても言えない。

母親は、「文系」「事務職」「公務員」というのにこだわっていだけれど、それをどの程度の解像度で、なんの目的を持って主張していたのかは未だに分からない。普通に考えて顔と「感じ」の悪い人間が文系に行ったところでなあって、今なら思えるけれど。「女の脳みそ」と言われ、テストを破られたりもしましたね。

結局、私は「事務職」も「公務員」の解像度もよく分からないまま、大学には進学させてもらい、そこで出会った男の人にぶら下がって今に至るわけだ。最悪だな。でも、最良のルートかもよ。 

なんだかんだ言って、私は、本当のところは、今更特別な何かになれるとかはもちろん、何かになれたとも思っていない。それが私の自惚れの限界であり救いだ。

自分には体力と運動神経がない。これは、とにかく致命的というか、ものすごく人間として劣っている自覚がある。走れば転けるし、それでも走れば吐く。これは私の生まれ持ったもので、一生付きまとう。私の身体が人生を後ろ向きに引っ張る。そして、毎日子どもに公園で坂道ダッシュさせる無職が誕生したのです。

そんなこんなで、アイデンティティが混乱している私は、働くということを考えて進学、そして就職した人たちに敬意と同時に憎悪を(その大半は、おそらく三食飯くって、毎年上履き買い替えてた奴らだから)抱いているわけです。

働きたいかというとそんなことはなくて、っていうか今は無理で。「無理」って言えるから、たとえパートタイムでもなんだかんだギリギリまで働いてきてよかったと思う。卒業してから入院するその日まで働き、育休を経て、深夜のパートタイム。でもどれも、食える仕事ではないんだな、これが。

大学を卒業してからは、籍も入れずに彼氏と同棲しながらフラフラとしていたけれど、何もしていなかった4年間の、いかにもツケが来たって感じだった。

朝の4時ごろに仕出し弁当を作る。パレットを持ち上げるたび「ぼくとあなたの初めての共同作業」とか言うオジサンに舌打ちをする。午前中はレジをポチポチうつ。昼食休憩のおばさんたちに「これあげるゥ」と言われてポッキーやらカントリーマァムやらを突っ込まれ「ありがとうございますゥ、お先に失礼しますぅ」と言ってから帰る。スーパーに寄って、夕飯を作り、同棲している彼氏の帰りを待つ。土日は試食販売やら出店の日雇い。「マネキン」というらしい。

それらを何となく組み合わせながら、月に数万円程度の収入を得ていた。週に4、5日は働いていたのに十万円には満たない。不思議だネ。

それまでは、給料が少なくても、真面目でいれば、物欲さえなければ、何とかなるものだと思っていた。そこまで堕ちてはじめて、給料をもらうには、仕事そのものだけではなく、同じ職場のおばさんたちの自尊心とか、おじさんの性欲とかそういう必要があるということ、そして、自分はそれらに耐えられないということにようやく気づいた。

やめてもいいって彼氏の言葉と収入の後ろ盾があったら、続けられただけで、これが一生続くとなると、正直早々に人生から逃げ出していたと思う。

そして、籍を入れて、結婚式をし、子どもができて、私は主婦になった。そして今、職業欄に、主婦と書くか無職と書くかいつも迷う。

働いてる人、正確に言えば自分一人で食べていける人と、そうでない人とでは、人生やその選択の重みが違う。会社にしがみつく会社員とは言われるけれど、夫にしがみつく主婦である。居場所がないと、あるいは作る能力がないと、今いる場所に、媚が出る。

で、なんでこんなことをつらつら言い訳してるのかって考えると、実際のところ、今現在の負荷で私は限界なんだけど、「限界」ってことも認めたくなくて、「申し訳なく思っている」という反省を経由して「本当はもっとできたのでは?」という理屈に持っていかないと、死んでしまうからだと思う。

人生で頑張ったことがないのを責められると、その自覚があるから本当に辛い。今も、「できるだけ楽したい」って思うから、「やるべきこと」って際限がないのってずるくない?って主張をしたい。かといって「やるべきこと」をやっていないのもみっともないから、フツーの人より険しい道を通って私は「人並み」までたどり着いたんだよって言いたい。

「つらい」とか「申し訳ない」って思っておかないと、怠惰な自分を認めることになるのもいやだ。それでいて日常をつまらないと思って馬鹿にしないと、自分のこれ以上上にはいけないと、自分が所詮この程度だと認めるのもいやだ。こうして自分を守るための負の感情に食い尽くされて結局死ぬ。

バカと怠惰は両立し得ないのに、バカでも怠惰でもありたくない。(どっちかというと、バカの方がいやだ。)

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