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私が着物の先生になったワケ⑥

着物の先生は天職?

 私は今まで仕事が長続きしなかったのですが、着物学院の専任講師は約7年と、私史上最高年数を勤めることができました。

 私はいわゆる「接客業」が苦手で、今まで好きだった仕事では、ホテルの客室の清掃係、会社勤めのときも売掛帳のどうしても合わない数字を追い求めて、一日中電算室にこもり、過去の売掛帳を調べて原因を探し、見つける、など一人で黙々とやってスッキリするような作業が好きでした。

 先生って、完全に「対、人」の仕事なので、私はムリ無理と思っていたのです。が、これがやってみるととても楽しく、人と接する仕事って楽しいんだ~という新たな発見でした。

 今私が学んでいる教育で、「健康→人間関係→自己成長→仕事→経済→環境→時間→貢献」の8つがバランスよく拡張していくと幸福感が得られるというものがあります。今思うと、このときの状況は、「自己成長と仕事が突出して良い状況だったと思います。

 当時、子供が幼稚園生で着付け教室に通っていたとき、私はあるファミリーレストランの宅配の仕事をしていました。仕事はとても楽しかったのですが、すぐブチ切れて従業員にあたりまくる店長(人間関係)に耐えられなくなり辞めました。
そのときに思ったのは、もう自分が成長できないなと思うような単純仕事はしない。つまり、「自己成長」できる仕事をやっていきたい、でした。

 先生になったばかりは、全てが手探りですし、自分でいろいろと他の先生に聞きまくらないとわからないことだらけでしたし、技術面でもいっぱい練習しないといけませんでしたし、とにかく「勉強」の日々で「自己成長」できることに喜びがありました。

 しかし、全く稼げず、着物のローンはありましたので、収入はコンビニのバイトで補っているようなものでした。

 一つの転機は、コンビニにも急なシフトチェンジをお願いすることなどが増えて迷惑をかけることが増え、思い切って辞めようと思ったときです。
 経済的にはものすごい決断でした。

 コンビニの収入がなくなったらどうすればいいか。行きついた答えは、「着物の仕事で稼ぐしかない」でした。

 そこの学院は、マンツーマン指導で、いっぱい生徒さんのいる先生と、ほとんど生徒さんがいない先生と混在していました。新人の私は大体3人くらいの生徒さんで、1人辞めてまた、1人増えてということを繰り返していました。

 授業をしていただくお金というのはたかがしれていて、主な収入源は「進級手当」と「売り上げ手当」でした。

 コンビニを辞めて、着物の仕事一本にするにあたって、まずは生徒さんを増やすこと、そして全員を進級させること。ここを目指しました。

 そのためには生徒さんをいただかないといけないので、学院長に、「生徒さんをください」と言いに行き、「生徒をすぐに辞めさせてしまうような先生に、大事な生徒は渡せない」と言われ『そりゃそうだよなあ』と思っていた翌日には、新たな生徒さんをいただけました。

 その後これは、悩んでいる後輩先生たちに、やる気を見せる例として何度も勧めましたが、実践した人は一人もいませんでした。残念だなあと思います。私がリーダーの立場だったら、そうやってやる気を見せて言いにきてくれたら、嬉しいと思うので。

 大事な生徒さんをすぐに辞めさせてしまってはいけない、という言葉を肝に銘じ、『絶対に進級してもらう』という気持ちでやっていくと、その後はびっくりするほど皆さん進級していき、「進級率」がとてもいい先生になっていきました。

 目の前の生徒さんと向き合い、進級したいと思ってもらえるようにを心がけ工夫していた結果で、そうすると自然と「先生」という仕事が楽しくなっていきました。

 会社に対する不満や、私にはいい生徒が回ってこないといった話をしている中にいるのは楽しくないので、自然と他の先生とは疎遠になり、いつも楽しそうに仕事をしている先生、基本ポジティブな人、という感じで仕事をしていました。

 生徒さんとの授業はとても楽しく、着物を通して人の人生に触れること、家族の在り方に触れること、そういったことが私にとっては醍醐味でした。この仕事はどうやら「天職」らしいと思うようになったのは、先生になってから2,3年後だったと思います。

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