閑話休題 原爆の日
おはようございます
着物押しの紅です。
あれから75年。
〈 日本とはどんな国なのか? の巻 〉
昨夜は暑くなかったのに
なかなか寝つけませんでした。
真夜中に
「3月のライオン」2本見てしまいました。(^_^;)
京都での名人戦。
獅子王戦に臨む宗谷と島田
人間としての棋士を描いた作品は面白い。
幼くして両親と妹を失った主人公の高校生棋士
持病を持ちながらも懸命に将棋に打ち込む親友
胃痛を抱えながら地元の老人たちの応援にこたえようとする名人位挑戦者島田。
みんな欠けた傷を抱えながら戦っている。
眠りにつくときに
「みんな何に戦っているんだろう?」
健気な少年の姿に疑問が浮かぶ。
人は戦わなければ生きられないのか?
(たぶんそうなんだと思う)
終戦から間もなく75年経つという。
日本はまだ何かと戦っているのか?
世界を見渡すと
紀元前から続くわだかまりで殺し合う人たちがいる。
人間って不思議だ。
日々をこんなにのほほんと
食料も娯楽も豊富で、壮大な無駄にあふれている。権利を主張しても殺されないこの日本に生まれたことを感謝してもいいくらいなのに、日本では若年層の自殺が多いというか増えている。
着物は手放したのに
ハラキリの文化は生き残っているのか。
カウンセラーになりたての頃
「自分を見つめる」
という作業をとことん続けた。
とことん見つめると
自分は消滅し
世界になる。
宇宙とも言えるし無なのかもしれない。
日本という存在にも
この作業が必要なんではないかと思う。
(意味不明な方ごめんなさい!)
時々、国や歴史上の人物を擬人化して
キャラ立てする。
完全な人がいないように
その人たちが構成する国も不完全。
「間違っていた」
と指摘する後ろ向きな発想ではなく
日本という人が不適応を起こしているとしたら
どんな見立てをたてるか
未来の行動をどう修正するか
日本の適応障害は
幕末に始まるんだろう。
未知との遭遇に不安を募らせ混乱し、自傷行為を続け
迷走し、パニックの中に戦場に立ち、
コテンパンにのされて瀕死の重傷を負う。
本来なら入院治療しておとなしく寝ているべき時間を
ベッドではなく経済の戦場に再び立ってしまった。
ベッドに縛り付けても自傷行為を繰り返していたのかも。
脇腹から流れる血に気づかないほど
白熱した経済成長ゲームにのめり込む
そう
アディクシィン・嗜癖行動。
現実逃避のためかも
時代や環境も変わり世界情勢が変わってもなお
ビギナーズラックの経済大国の夢を見続けている。
アル中、飲んだくれの賭博アディクションの小さいおじさん。愛嬌はあるが、家族が飢えていようが凍えていようが怪我していようが気づかない。
問題は解決せず、向き合わず忘れたふりをしてやり過ごす。
もうこの手しか持っていない。
次世代に誇れるものなんて何もないと思ってる。
カウンセラー的に見ると
傷を負った時期に立ち戻り、丁寧に出来事を意味付けしていく作業をするといいんだけど。
カウンセリングは本人の意思が伴わないと破綻する。
それよりも先に
戦争を知らない30代以下の勇者が現れて
小さいおっちゃんを壊滅させちゃうような予感がある。
そんなことを考えていたら
紅の元に
着物の神様が降りてきた。
この話は明日からのシリーズで。
今日の写真は
猫用の手作りエリザベスカラー
うちのリンちゃんが皮膚炎になったので作ってみた。
使い心地は悪くなく、この度皮膚炎治りました!
たくさん作ったので欲しい方にお分けしますよ〜 紅