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閑話休題 ガレージセール 6

おはようございます

着物推しの紅です。

時々くしゃみが出るのは花粉症?


〈 約束しない 期待しない の巻 〉

郵便局、銀行、買い物に行くだけなのに着物を着る。

昨年、紅が仕立てたウールの着物。

反物でいただいたけど虫食いだらけだった。

なんとか繰り合わせて仕立てたもの。


着て歩くというよりも、着せ替えごっこでもしてもらおうと5枚ほど縫った。


誰も着てくれないので、一枚おろした。

ウールの着物は着やすいので普段着には重宝する。

と言っても令和3年の日本では伝わらないんだろうな〜


今朝は起きてから2時間以上料理をしていた。

野菜が滞り気味なのと

忘れていたけど今日お呼ばれがある。


・無限白菜

・もち菜のお好み焼き

・カブのマヨ和え

・白ネギと厚揚げの炒め物

を作った。


だいぶ冷蔵庫が空いた。

これで土曜にでも炊き出し用の味噌汁の野菜を刻んだら

野菜の循環はよさそう。


毎週

近郊の農家さんから野菜を届けてもらうようになって3年。

その日にガレージセールをして野菜をお分けしている。

この冬は炊き出しも始めて

道行く方に

美味しい野菜のお味噌汁を食べてもらっている。


毎回、誰かしらきてくれて

楽しい時間を持てている。


約束はしない。

来ると聞いても期待しない。


そんな関係がいいなと思う。


そう

韓流ドラマ #雪の女王

を見てから

死について考えている。

自分の死 普遍的な死


哲学史も駆け足

YouTubeで。


#池田晶子  氏の本を取り出してみた。

痛快だけど難解。

葬式に列席していると爆笑したくなるという。

再読してみるとちょっとわかる。


普通の文のつもりで読むと

「ふざけたことを」

となるかもしれない。

けれどたぶん

大切な人を亡くした時のことなのではないかと思う。


生きていた瞬間

横たわる死体

この対比は

彼女を「馬鹿馬鹿しく」させ、爆笑させる。


美しく生きたとしても死体までは自分の思うようにはできないってこと?

生きる意味なんてない。

石にかじりついてまで守ろうとした物も、一瞬で意味を失う。

笑うしかない。

ってことなんだろうか?


彼女が世を去ったのはだいぶ以前のことになる。

彼女が亡くなったと知った時

紅の立っていた地面が揺れて足が萎えた。

体を風が通り抜ける体験もした。


紅は時間があると

ボーッとしていて

何も考えていないことが多い。


考えても答えが出ないというか問いも立ててないので

走り出す。

そして気づく

その繰り返し。


若い時のように

自責の念に囚われたり、自己嫌悪に陥ったりすることはない。

自分を責めても何もいいことはないと気づいたから。

もちろん他人を責めても仕方ない。


そうしたら

ずいぶんクールな人になってしまったようだ。


そうか

無理をして生きる必要ないってことか。

死んだらどうせ

自分では管理できない死体として横たわるしかないんだから。

自分なりに正しい人生を貫いてもなんの意味もないってこと。


だとしたら

遺していく人に傷を負わせない生き方をしたい。

愛されすぎないように。


今日の写真は和装婚礼

手を取り合うふたり。

素敵です。  紅










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