教育とはなんぞや、からの支離滅裂な私の考え
皆さま、お久しぶりです。
来週の月曜日にテストが迫っていて、本当にこんな投稿をしている場合ではないのですが、なんだか難しいことを頭で考え始めてしまいましたので文字に起こしておきます。
難しいことというのは教育の意義について。
実は昨日、小テストで隣に座っていた子が小テストをカンニングしているのを見てしまいました。
彼女はTAさんがスマホをしまうように言って皆の机をチェックしている中、スマホを足の間に挟んで隠していて、正直やるんだろうとは思った。
私が長机の一番端に座っており、それに隠れるので隠れて見えないとでも思ったのでしょう。生憎小テストは終わればそのまま提出して帰ってよいので、私は20秒くらいで終わらせて退出しました。彼女は私無しでうまく隠し通せたでしょうか。
実際に彼女が小テストを解きながら必死でスマホをスクロールしているのを見たのは、提出後に帰ろうと鞄を持ち上げた拍子だったので、私はそのまま帰りました。正しいことではなかったと思うけど、わざわざチクるべきものなのかもわかりません。所詮は小テストだし。
ふとそれが目に入った時の感想は、「かわいそうに」です。上から目線だね。私にとっては簡単だったテストだからそう思ったのかもしれません。
そんな記憶力の端っこすら使わないものに必死になって、ルールを破ってまで小テストの点数が必要なんて、と正直思ってしまったのです。醜いですね。
また先ほど、同じ授業を取っている知り合いが課題になっているリーディングを読みもせずに分からないだの、先生の説明だけで理解ができないことに対して愚痴を言っているのを耳にしました。幸い練習問題を小グループで解いているだけでしたので、聞いてはいながらも問題を解いてその場をやり過ごしました。
そりゃ教授は、皆が読みものくらいしてきていると想定して話してるんだから、わからないなら読めばいいだけなのです。母国語じゃない私が何言ってるかわかってるんだから、やればできるだろ。
さて、学生が大学に求めているものは何なのでしょうか。
お金を払って授業に出席すれば、とたんに物事が理解できる魔法でもあると信じているのでしょうか。楽しくもないのに、借金までして大学に来て、答えをネットで探してはやり過ごす、、お金を払ってステータスを買っているのでしょうか。かわいそうに。
そんな手段で手に入れた学士に意味があるのなら、この世界の状況がよくなるわけがない。特にエネルギー資源についてなんて、私たちが常識として知っていても良いくらいのことじゃないのか。別に専門家でなくとも、石油が何なのかくらい知っておいても悪くはないんじゃない。
彼らは答えがない現状も、世界の問題ですらも知らないで過ごすのかもしれない。
世界大戦について学ぶとき、年号や人の名前だけ覚えてすましておくのだろうか。感情はないのだろうか。答えだけあってりゃいいのなら、歴史を学ぶ意義はどこにあるんだ。
あのカンニングに、どんな感情があったのかは知りません。
でも、教育を通して成長する姿勢の結果でないことは確か。
社会のこと、世界のこと、全部頭のよさそうな人間に任せておいて、誰かが聞こえのいいことを言えばあたかもそれが絶対的真実であるかのようにサポートして。最近の環境問題に対するデモなんて大体そうじゃないか?誰か任せの答えを待って、言い訳は、「I’m not smart enough to --」。専門家がすべてを知っているとでも?自分のやりたくないことや努力に対して、自分で自分の限界を決めつけて、専門家には天才というレッテルを張ってあたかも神のように何でも知っていると信じ込む。一種の偶像崇拝。
嫌なことを嫌だと言えることに意味や価値を作り出して、どうして嫌なのか、何が嫌なのか、どうしたら改善できるのかは人任せ。自分の可能性を自分自身で塞いでいることにも気が付かずに。かわいそうに。
所詮は小賢しくて面白みのない学生時代を過ごしているように見えるであろう私の小言です。
でもこれは自分に向けて言っていたりもする。
尊敬や信頼することと、妄信的になることは同じじゃない。
世界を知れるほどの視野を持とうとしても、必ず何らかのバイアスが入ってしまう。そして私の人生の中で知れることには、悔しいことに限りがある。自分の髪の毛の数ですら正確にわからないんだから。
忘れがちになってしまうけど、彼らなしに社会は成立しない。
だからこそみんなで考えられる社会にしたいのに、そんな世界であってほしいのに、他人任せの思考に偏っていること問題意識すら彼らと共有できない私がいて、言ったところでレッテルを張られるままの私がいて。
所詮私も彼らにレッテルを張って見ているのです。私の話が響くわけないと。
何ができるのかわからないけど、受け身にならないように、真実を見つけられるように、努力し続ける人間であり続たい、それを共有する勇気を持ちたい。
ごちゃごちゃ考えていますが、怒っているわけでも悲しんでいるわけでもありません。(文面が怒っているんだよなぁ、)別に日本にいた時からこんな感じの思想強めな学生です。公共のインターネットに書き記すようになっただけ一歩の変化かも知れません。
楽しいUCR生活だとかキラキラアメリカ留学がここに乗ることはないのかもしれません。もし期待していた方いましたらごめんなさい。単純に柄じゃないというか、あんまりそういうことに興味がないのです。
日本では寒くなってきていると思いますので、皆様ご自愛くださいね。
مع السلامة(アラビア語)