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2021東日本大震災被災地訪問-1

キミマツサクラプロジェクトメンバーのTです。

例年ですとメンバーたちが集まって被災地の今を知るべく、年初にかけて東北へと足を運んでいました。しかし、コロナ禍における状況を鑑みてメンバー同士で集まっての被災地訪問は昨年(2020年)、そして今年も自粛せざるを得ない形になってしまいました。

今年は震災から10年ということもあり、3.11直前には多少報道も増えましたが、年々マスコミの報道も減少傾向にあり、まさに「終わった話」のようになってしまっています。

我々の活動の根本でもある「風化させない」という思い。その点から考えても、注目が少なくなってきた今だからこそ実際に現地に足を運んで「被災地の今」を少しでも知りたい、そして伝えたい。プロジェクトメンバーを集めてという形は取れませんでしたが、今年は私が単独で東北を訪ねることにしました。

本来ですと自分ひとりで行ったほうがフットワークもいいのですが、家族で行くことにしました。子供も少しは大きくなり、モノの分別も付くようになってきたので、10年前に何が起こったのかということを見せたいという思いがあったからです。

ちょうど学校の授業で震災のことを学んでいたこともいいタイミングでした。教科書でクローズアップされていた気仙沼に行ってみたいとも言ってくれたのは嬉しい驚きでした。

前置きはそれくらいにしておきまして、被災地訪問は仙台空港から始まります。毎年のように来ていたのですっかりお馴染みになってきた仙台空港。ここも震災当日には津波が襲った現場。空港内には津波到達高を表す掲示があります。意外と見逃している人もいるかもしれませんので探してみてくださいね。

また仙台空港は日本国内で唯一の津波被災空港ということで、2021年2月に新たに震災伝承施設に登録されています。震災当時の様子を時系列で追うパネル展示も常設されているので飛行機の待ち時間にでも触れてみてください。

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空港でレンタカーを借り、まず常磐道を南へと走りました。初日は福島県の浜通りをめぐろうと考えていたのです。子供がサッカーをしているということもあり、ナショナルトレーニングセンターでもあるJヴィレッジを目指しました。ここはサッカー選手のみならず、各種スポーツの日本代表選手が合宿に使うような施設です。

そんなJヴィレッジも震災以降、2013年までは原発事故の対応拠点として使わていたことをご存じの方もいるでしょう。その後トレーニング施設としての利用が再開されたのは実に2018年のことだったのです。

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実際にプレーすることは出来ませんでしたが、美しい芝のグラウンドは見ているだけでもテンションが上がってしまいます。こんなところでプレーしたら、プロ選手のような気分になれますね。

そんなJヴィレッジもある福島県の太平洋岸沿いの地方は浜通りと呼ばれていますが、いわき市以北の観光に関する情報は旅行雑誌や旅行情報サイトなどを見ていてもほとんど見ることができません。Jヴィレッジのあるエリア周辺の情報も福島第一原発に近いためかかなり乏しい感じでした。

もちろん令和3年現在においても広範囲に帰還困難区域が残っているという懸念もあるでしょう。でも旅行業界的に何か「触れてはいけない部分」というような扱いをしているように見えてなりません。

積極的に福島の被災地へ向けてツアーを計画している旅行社もありますが、個人的にはもっと積極的に浜通りのエリアへの誘致をして欲しいと思います。今も廃炉作業が進められている原発もあって不謹慎だ、と思われる方もいらっしゃるかもしれません。でもこれを逆手に取って観光資源にするくらいの動きがあってもいいと思います。災害被災跡地、戦争跡地など、人類の死や悲しみを対象にした「ダークツーリズム」という観光もありますから。

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国内で言えば広島の原爆ドーム、海外で言えば大量虐殺の現場となったアウシュビッツ収容所などは一見すると観光で訪れるなんて不謹慎だ!と思えるような場所ですが、今や有名観光スポットと捉えられているのは皆さまもよくご存じでしょう。これらは立派なダークツーリズムなのです。

ただ、「ダークツーリズム」という言葉が良くないということで「ホープツーリズム」と言い換える動きもあるようです。福島県でもホープツーリズムとして、「今の福島」を観光資源のひとつにしようとしています。しかし、なかなかこういった取り組みがフォーカスされていない現状があります。
(参考リンク)福島県ホープツーリズム

私も今回、ホープツーリズムで紹介されている見学施設のひとつ、特定廃棄物埋立情報館「リプルンふくしま」にお邪魔しました。放射性物質に汚染された廃棄物がどのような処分を辿るのか、ということをわかりやすくPRする施設です。館内ではスタッフによる詳しい案内と、かなりのハイテクを駆使したビジュアルによって理解しやすい展示となっていました。

他にも「東京電力・廃炉資料館」など、福島の現状を知る施設はいくつもあります。メディアの情報が減ってきた今こそ、こうした施設を訪ねて福島の今を正しく理解するということも大事だなと思いました。

現在も常磐道を走っていると現在の空間放射線量を表す「線量計」がいくつも設置されています。かつては毎日のようにニュースで流れていた〇〇ミリシーベルトという表示です。震災後、何度となく常磐道を走っていますが、来るたびに線量計の数値は下がってきているように思えます。実際に年々線量は下がり、避難指示区域だった場所にも人の営みが戻ってきています。

一方で帰還困難区域は震災時から時が止まったままの世界が現実としてあるという点も目に焼き付けておきたいところです。

そんな福島県の浜通りにも徐々に明るいニュースが増えてきています。JR常磐線も令和2年3月に9年ぶりの全線開通となり、観光復興への追い風になっています。リニューアルした駅もあり、復興を実感できるエリアも多いです。また、鉄道だけでなく各市町村にある道の駅も活気があっていい感じです。

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道の駅を何か所もハシゴしましたが、思ったよりもお客さんが多くてにぎわいがありました。上の画像は道の駅なみえで食べた海鮮丼と、B級グルメのなみえ焼きそばですが、食の楽しみが多いのもこのエリアならでは。

またポケモンというキラーコンテンツも福島県を応援しています。2019年2月にはラッキーが「ふくしま応援ポケモン」に任命され、ラッキーとコラボしたイベントやグッズなどが目白押しになっています。また「ポケふた」というご当地デザインマンホールをめぐるのも楽しいですね。
(参考リンク)福島×ラッキー「ラッキーアイランドふくしま」

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ちなみに「みやぎ応援ポケモン」にはラプラスが、「いわて応援ポケモン」にはイシツブテが任命され、それぞれ震災被害の多かった沿岸部を中心に観光復興の一助となるべく奮闘しているのです。そんなところから福島・宮城県境の山元町のポケふたは、福島のラッキーと宮城のラプラスのコラボデザインになっていますね。子供たちとポケモンを探してめぐってみる、と同時に防災教育の一環として被災地をめぐるのもいいですね。

少し長くなってきましたので、今回はこのあたりで。徐々に太平洋を北上して宮城県へと入ります。

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