キミマチ公聴会への道(真・その6)

前回、5本しかあげてないのにタイトルに「その6」とか入れちゃいました!てへぺろ!
もうね、ひと桁の数え間違いをしちゃうようになったら人間終わりですよ。恥ずかしいったらありゃしない。スペルミスやら数えミスやら、noteを通じて恥を全世界に撒き散らしているような気がしてきました。まあ、今さら恥がどうこう言い出したところで、いたずらにてへぺろを積み上げるだけなので過去は振り返らず未来だけを見つめたいと思います!なんて雑で乱暴なポジティブ志向!我ながらそのうち大きな落とし穴に落ちる気がします!

まあ、アレです。人生、至るところに落とし穴アリとはよく言ったもので。
その日その時その一瞬、どんなに多幸感に溢れていたとしても一寸先は闇、夢も希望もハジけ飛んじゃうなんてことも起きるんですよね。

例えば自分の場合。友人とレストランで楽しく食事をしていた時のこと。
ソースカツ丼を食べていたんですよ。長野県といえばソースカツ丼。
でも、メニュー見てどれにするか悩んでいた時に自分は正直、「とろろそば」に強く惹かれたんです。今日はそばが食べたい気分。それなのに、嗚呼それなのに。
『暑さに打ち勝つためにカツ丼を食べよう!』なんて具にもつかない駄洒落思考に支配され、蕎麦を食べたい自分を抑えソースカツ丼にしたんです。
『勝つためにカツ丼』なんて考え方、6浪中の勉三さんくらいしか思いつきませんよ。キテレツ大思考。
でも、途中までは良かったんです。カツも美味しいし。第一、タレが良い。ソースカツ丼はタレが命。そんなこと考えながらうまうま食べていたんですが。

「ガリッ!」と口の中で何かを噛む音が。

明らかな違和感。これ、アレですよ。砂利とか小石の類。
もうどれほど楽しい時間を過ごしていようと一瞬で奈落の底に叩き落とされる地獄のシチュエーション、それが自分にとっては口の中の砂利。これはいただけません。食べ物でないだけに。「いただけない」のダブルミーニング、分かっていただけましたか?(ドヤ顔)

昔はよくあったんです、お米に米粒大の小石が混じったりすること。父方の実家がお米を作っていたので、新米の季節になるともらったりしてましたから。
「今日は新米だよ」なんて母親も得意げ。でも、昔の精米機なんて精度がよくなかったんでしょうね、米粒と同じくらいの大きさの小石が混じったりしてるワケです。
「わーい、今日は新米だ〜!」という喜びで炊き立てのご飯を頬張った先に待ち受けている地獄。今、そこに在る地獄。人生における幸せの絶頂と食事タイムからのコメ吐き出しタイムの転落。もうたまりません。口から出したご飯を平らに広げてみると、案の定、濃灰色の石があるんです。今、そこに在る石。もう、うんざり。大体、石なんて人間の食べるものじゃないですからね。歯のない動物は石を胃の中に入れておいて大きな獲物をその石で擦り潰して消化吸収しやすくする、とか聞いたことありますけど、そんなこと人間はしないですよ。そうだ、俺たちは人間なんだ、と長渕剛だって歌いたくもなりますよ。石、食わないもん。人間だもん。

しかし久しぶりだったなあ、あの砂利を食う感覚。しかもレストランのご飯で。もう、そこからは目の前の食事相手に悟られぬよう、そっと口内のご飯を吐き出し丼の中をみる振りなどしながらさりげなくチェックしたのですが、砂利は見つからず。再び口の中に残っていたご飯を噛むと、また「ジャリっ!」とあの嫌な感触が。もう仕方ないので意を決して飲み込んでしまいました。地獄。地獄でなぜ悪い。いや悪いだろ、地獄。

正直、その後の食事についてはよく覚えていません。なんであの時、とろろ蕎麦にしなかったのか?身体が求める欲求、本能に逆らってソースカツ丼なんて頼んだバチがあったのだ、と自分を戒めるばかりでした。南無〜。

わざわざ「真・その6」と「真」をつけておきながら本編おいてけぼりの脇道回となってしまいました。ごめんなさい。次回は本編に戻りたいと思います。

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