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父のこと

もう少し

父のことを書いてみます。

父は93歳で亡くなりましたが、そのお葬式の時

教会長さんが父の経歴を読み上げてくださいました。

よくよく聞いていると

その職歴の多いこと多いこと・・・。

戦後、兵隊から戻った後

本当に多くの仕事を転々としたのだとあらためてわかりました。


つまり、戦後の社会情勢の中で

あれこれやってみたものの、どれもこれもうまくいかなかったのだろうと思います。


父は家族には怖かったのですが、他の人には人情に厚いところがあって、非常に正義感の強い人だったので、周りからはとても怖がられながらも頼りにされていたのだと思います。

また、その村の界隈で相撲を取ると負けたことがなかったような力自慢でもありました。

ですから、よく村人や隣村などでおさまらない喧嘩やいざこざがあると

「豊治オイヤ(和歌山では中年以上の男性をオイヤと呼びます)、えらいこっちゃ」と助けを求めに人が呼びに来ていました。

そして、父がその場に行っておさめたのでしょうね。

その度に、母は「また、喧嘩の仲裁じゃ。余計なとこ行かんでもええのに!」と怒っていました。


私が小さい頃の父の仕事の記憶としては

その当時「流れ者」と呼ばれるような男の人たちを何人も雇い、山の仕事をしていました。

でもある時、その中の一人の男性が

給料を持ち逃げして、2番目の弟を連れて逃亡してしまったことがありました。

弟はとりあえず無事戻ったのですが、持ち逃げされたお給料は戻りませんでした。

そんなこんなで、少し軌道に乗るとダメになる・・・という繰り返しだったのかもしれません。

そうなると当然、家計は火の車です。母はいつもお金の心配をし、そして父もうまくいかない苛立ちを家族に、特に母にぶつけていたのでしょう。


戦後はそんな方がたくさんいらしたのではないでしょうか。

今日はここまでにいたします。


 キミちゃんより




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