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「コマスお婆」に教わったこと

一昨日の日記に「コマスお婆」のなかなかの意地悪話を書きましたが

コマスお婆は、そうは言っても・・・ただの意地悪婆さんではありませんでした。

特に免許があったわけでもないのですが「産婆さん」のようなことをしていました。うちの村のお産は、ほぼ「コマスお婆」がやっていました。

私は幼いながらも、このコマスお婆に連れて行かれて、産後の片付けなどを時々手伝わされていたように記憶しています。

出産で汚れた衣類を川で洗ったり、干したりしていました。その時にその血液の付いた衣類に、魚の群れが一気にものすごく沢山集まってくるのが怖くて、泣きながら洗っていたのを覚えています。

また、後産(胎盤)を新聞紙に包んで風呂敷に入れて、村のお墓に持っていって石塔の一番隅っこに穴を掘って埋めていました。

「あんまり穴が浅いとカラスがつつくから、もっと深く掘らなあかん」と言われて一生懸命クワで穴を掘るのですが、これが小さい私にはすごく大変でした。

「おばあちゃんが掘ればいいのに・・・」と心の中で不満に思っていたのを覚えています。

でも、嫌だとも言わずに手伝っていたのですね。私は偉い子でした。

子供って、どうにかして家族に認められよう、どうにかして家族に喜んでもらおう・・・そんなふうに思うものなのでしょうか。それとも私が特にそんなふうに思う子供だったのでしょうか。

そして、そこに花をさして💐手を合わせてお婆と二人で帰ってくるのでした。


また、村では赤ん坊が生まれると、その家の人が我が家の前にわざわざ赤ん坊を置きにきて、お婆が拾って抱いてから、またその家に赤ん坊を戻しに行って「捨て子を育てるかえ?」と言って、渡してくるということをしていました。

村では「コマスお婆」に拾われた子は元気になる!と信じられていたようです。

迷信のような全く科学的ではないお話で、若い方は笑われるかもしれませんね。でも、本当なのですよ。


これがのちに、私の進む道「医療」の最初の体験だったのかもしれません。

そう思うと、「もうその頃から私の道は決まっていたのかもしれないなあ」と今になると思います。


今日は、コマスお婆の名誉挽回のお話になったでしょうか?


  キミちゃんより


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