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6月は別れた臓器を想う月

2008年9月に就いた仕事が上手く行き始めていた矢先、
確かに数か月前から小水が突然出なくなることがあったけど、
ま、年齢のせいと気にせずにいた5月のGW明け、
全く出なくなって出そうと水を飲み続けてお腹が破裂しそうになって、
夜明け前に救急車に乗り込みました。
出してもらった所、2リットルのペットボトル2本分溜まっていたとか。
子宮筋腫が膀胱の邪魔をしているという事で、子宮全摘出、となりました。

2010年6月10日、雨の日が手術でした。
麻酔の針が上手く刺さらなかった以外は順調だったそうです。
筋腫は850グラムあったとのこと。
確かに産むには年齢が高かったものの、
これで事実上産めない身体になりました。
今年で14年(中途半端だけど)。
私の筋腫は推定20歳代前半からコツコツ貯めて大きくなったものだそうで、
早く気が付いていたら薬で落ち着いた可能性が高いとか。
生理痛を自分が痛みに弱いからだと放置していたのが良くなかった。

ということで、出会った若い女性には産む産まないの意思は別にして、
生理辛かったら婦人科に行くように伝え続けて14年。
障害を持つ夫との入籍で、もう出産は無いと思ってはいたものの、
やはり産めない身体になる、というのはグッときました。
ただ、酷い生理痛から解放されて、とても楽にはなりました。
現代の医学に感謝です。

と同時に思う事。
まだ、子宮筋腫の原因は分かっていないそうですが、
ストレスという説もあるとか。
胃潰瘍みたいなもんかな?
私は当時、確かに辛かった。
バブル崩壊直後の就活、就職先での色々、ストレスはあったけど、
今みたいにヤバいと思ったら逃走、は、
社会人になって初めての就職先では考えられなかった。
頑張り過ぎて、身体を自ら壊していた。
気付くのが遅すぎたんです。

主治医に見せてもらった私の切除された子宮と筋腫の写真。
焼き増ししてもらえませんかと頼んだら、
そういう人初めてだよ、と言って無料進呈いただきました。
大切に手に届く所にいつもあって、
毎年6月になると眺めています。
いつの間にか色が落ちて来ました。
私が他界した際はこの写真と一緒に焼いてもらいます。
一緒に生きられなかった私の子宮への、せめてもの罪滅ぼしです。



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