見出し画像

Life is a Highway - Modernist

2021年12月22日公開

それは私たちがよく覚えている曲の最初の部分です。ある男性アーティストによる新曲を発表する記者会見の最中、後列に立っている男性。かつてはJeffDemoProjectという名前で登場した人でした。
数分間、Highwayが流れたとき、 時間をかけて古い作品を振り返りました。 彼の長年にわたる成長、 音楽業界での道 、 新しいレーベル、Wayfer Recordsの下で成長し、彼は最高のバージョンになりました。
世界がジェフ・ウォラガモン・サーターの経験を、努力、間違い、そして苦痛に満ちたもので設定したためか、Highway はあらゆる感覚を蒸留したような曲でした。 皆をこのハイウェイに連れて行くために。その目的地は幸福です。

画像1

1
เพิ่งจะรู้ความทรงจำที่มี มันโคตรจะดีเมื่อได้พบเธอ
素晴らしい思い出だと今わかった 君に会えたこと

音楽が好きだとわかった時の気持ちに戻ってみる
僕はかなりたくさんの音楽を聴いていました。 でも、それが自分の一部であるとは感じていませんでした。高校で友達に誘われて音楽を演奏してみるまでは。当時はSlipknot 音楽を演奏していたメタルバンドでした(わーお)。今と比べると、それは僕のスタイルではなく、とても遠いところにあるようですが、良いスタートだったと思っています。
音楽を始めた時、バンドにはリードシンガーがいなかった。僕はギターでしたが、バンドにはボーカルがいなかったので僕が歌わなければならなかった。なので歌を学びました。歌を習っているとき、僕は隣のピアノのレッスンの部屋を見てピアノを学びたくなった。私は自分が音楽を演奏するのがとても楽しいということに気付くまで、やりたいことをすべてやってみました。
歌について言うと、長い間歌っていると、言葉では伝わらないことがあります。しかし、それを伝えるのに役立つのは音楽です。ひどい気持ちのとき、失恋したとき、孤独なとき、そして恐れる時にあなたと一緒にいる友人になります。あなたがお化け屋敷に行くときも歌わなければなりません。恐怖が薄れます。
振り返ってみると、僕はいつも音楽に夢中になっていたと言えます。それはすでに僕の生活の一部であると再認識します。 恋に落ちた人のようです。 無意識のうちに恋に落ちました。 音楽は僕の足のようなもの、僕をここに立たせているものです。 それは僕に代わって前進して行ったんです。 音楽がなかったら、 おそらく多くのことはなかったでしょう。 多くの人に会うこともなく、 今のようなチャンスはありませんでした。

子供のときの夢はなんでしたか?
獣医になりたかったです。動物が大好きだから。特に捨てられた動物が好きです。なので家には11匹の猫がいます。見つけたら助けたくなる。心が弱いんです(笑)。猫に会って、猫が甘えてきたら飼いたくなる。で、家で飼ったら妊娠した。家は子猫でいっぱいです。僕のほうが家の居候みたいです(笑)。でも心配ないです。どんなにたくさん猫がいても、僕は全部覚えています。覚えていないなんてひどい飼い主でしょう。ポコ。飼い主は誰かわかりません。家の前をずっとうろうろしていたのでかわいそうになって、ご飯を食べていないんじゃないかと思って飼いました。ダイチ。この子は犬にやられました。家の前で鳴き声が聞こえて、子猫だったし、治療しました。まだいますよ。ニン、ジン、マフィア、キン、シンジ。僕は動物に敏感で、大好きです。なので、獣医になりたいと中学3年まで考えていました。

画像2

その夢を叶えたくなかったのですか?
なりたかったですよ。中学校3年生のときに、普通の公立校に転校しました。そのころ僕はインターナショナル校にいましたが、成績はひどいものでした。一番悪い成績は、0.91です。なぜかというと全然勉強しなかったから(笑)。そのころは、勉強しても何にもならないと思っていた。今思うと、ひどいですね(笑)。高校で、音楽の方向に行こうと思いました。獣医はあきらめて。でも音楽には受からなかった。当時、私はとてもやんちゃでした。 地区の校長は、私が大丈夫ではないことを知っていました。 彼は私を入れたくなかった。その時、私は試験にギターを使うことにしました。 でも受からなくても後悔することはありませんでした。 休憩中も友達と音楽を演奏していたし、自由時間も演奏していて、ついにこれが僕の夢であると確信しました。

たくさんある楽器のうちでギターを選んだのはなぜですか?
楽器を選ぶとき、どんな曲も弾ける楽器がいいと思いました。ドラムはすべての曲を弾けないし、持ち歩きできない。ピアノは担いで運んでいる人なんていない。ギターに出会って、これならどこにも持って行ける、どんな曲も弾けると思いました。友達がパーティーをするときは僕もそこで演奏できます。
こんなふうに考えてギターを選びました。アコースティックかエレキかは気にしていませんでしたが、結局アコースティックを弾くことが多くなりました。そして好きな曲を演奏します。多くはRnB、ポップ、ソウルで、僕の曲の一部になっています。

画像3

2
Always remind me of the first date (every time)

音楽が自分の夢だとわかってから、真剣に音楽の世界に踏み込み始めたんですね?
そうです。コンテストに出場しました。MasterKeyという番組で、その時僕はは16歳、17歳くらいでした。本当は友達に誘われたから行ってみたんです。まあ別に行ってみてもいいよ、くらいの気持ちだったんですが、友達は落ちてしまい、僕は先に進むことができた。でも少しブランクがあり、そのときちょうどThe Voice という番組のシーズン1がきたので、そちらに移って挑戦することになりました。そこでP’ジューに会いました。彼はRSのスカウトで、音楽業界で働くことの本当の始まりはそこからです。コンテスト後、彼は僕をキャスティングするように呼んだからです。
RSのキャスティングに行ってみると、そこもまたコンテストのようでした。4~5人のグループに分けられ、そこで選抜にかけられます。みんな選ばれたいので必死です。グループから選ばれるのは一人でした。そのときの審査員が、ガールズグループ、SaoSaoSaoの、P'Memパチャリダ・ワタナーで、非常にプレッシャーでした。幸運にも僕はそこで選ばれ、たった3ヶ月で曲を出すことができました。それが皆もよく知っているDemo Project です。

その時の仕事はどうでしたか?
プレッシャーを感じ、恐れていました。非難されたこともありました。誰も僕が誰なのか知らないわけで、何かを出すと、「新人のプロジェクトだ。で、これは誰。これは何。何をしに来たの」とか言われます。最初から恐る恐るなのに、このようなものを見るとさらに怖くなります。他人に嫌われるのが怖く、これを出してみて嫌いな人がいたらどうしようと考えてしまいます。このような経験があったので、Highwayで表現してみました。僕が恐れ、自信がなく、パーフェクトではなかった面を皆に知ってもらいたかった。

コンテストを離れて、音楽の道で実際の作品を作る。 それが夢だったわけですよね?
プレッシャーですよ。コンテストと実際の作品を作ることはぜんぜん違います。コンテストのときは、がんばって誰か一人に自分の才能を認めてもらいたい、合格したい、いいね、すごいねと言ってもらいたいという気持ちです。本当のところ僕はそういう気持ちが好きではなかった。誰か一人に好いてもらうという気持ち。芸術というものは規則や枠があるものではないです。ここに座って、あれはいい、あれはよくないとか。それがすべてではないはずです。
曲を作るということは、まず自分の準備が必要です。課題をこなし、出したものをすべて解釈していかなければなりません。自分で自分に答えをだしていく。聞く人にこの曲を通して何を伝えたいか。伝えたい内容はなにか。簡単に言うと、コンテストは判断を下される。実際に曲を作るということは曲を作って送り出し、ファンやその他の人が、彼らの望み求めているものに従って判断するわけです。

画像4

3
You’ve been in my mind for so long

ということは、Highwayという曲は、真剣な精査と課題をこなした結果であるということですよね?
そうですね。実はこの曲、メロディはデモの段階でできていました。そしてそれをどのように表現するか。ロックとは違う、エレクトロニクスか?ああ、好きなようにしよう(笑)。で、好きにやりたいようにやった。Warnerは全員がアーティスト。普通は仕事に行って人に会うと、「えー、これ売れるかな。インディーズみたいじゃないか」なんて言う。でもここで仕事をすると、僕自身が皆にブレーキをかけないといけない。「それはそうなるよ、ちょっとやりすぎじゃないかな」なんて。僕が中立の立場にならないといけない。聞いてOKになるまでね。

Warner Music Thailandで仕事をして楽しいということですよね?
そうです。このレーベルは何も制限しません。ほとんどすべて僕の意見が通ります。フォントやロゴまでも、スタイリストと一緒に僕が選びました。すべてに僕の意見があります。座ったままで「こうしないといけない、ああしないといけない」などと言われることがありません。彼らは僕のアイデンティティを必要とします。しかも、より良いバージョンの僕です。
僕はWarner所属の歌手の歌をたくさん聴いていました。Sam Kim も、Warnerから出している曲がありますし、IUもそうです。いつか機会があったら、一緒に仕事ができるかもしれない。そうなったらとてもうれしい。このロゴが彼らと同じ場にあると想像するだけで夢が叶ったような気がします。

画像5

たくさんの音楽の仕事をする状態にありますが、もっと進歩しなければならないと思うことがありますか?
奇妙なんですが、この3~4年は歌を歌うことについては進歩していないと思っていました。でも今、4年前に自分が歌った曲を聴いて、あれ、上手になったと思います。技術面においても感情表現の面においても。以前は、歌を歌うということは技術をどう取り入れるかということだと考えていました。コンテストは技術ですから。技術のある者が勝ちます。でも成長すると、大切なのは伝えることだと気づきました。より良い伝達の方法を選んだんです。歌唱力と一緒にやっていく伝達方法、両方において進歩したようなものです。これは ワーナーのおかげだと、あえて言います。僕がこの分野でよりよく働くのを助けてくれます。 歌ではなく話すこと、それは、歌を通じたコミュニケーションだと理解させてくれました。

これまでの話を聞いている限り、ずっと音楽に取り組んでいたように思えますが、なぜ突然演技を始めたのですか?
いろんなことをたくさんやってみたい性分なんです。グラフィックの仕事をしたこともあります。不動産会社のグラフィックを担当する会社員だったこともあります。僕のチャンネルの動画も、すべて僕が編集、カラーチェックをしています。 もっと広い視点だと、僕は9000人のフォロワーを持つ歴史についてのブログを持っています。 誰も僕が書いたものとは知りませんけども。 でも僕は歴史が好きですし、幸せです。 僕は新しいことに挑戦するのが好きです。 できることを全てやりたいと思っています。
演技もずっとやりたいと思っていたことでした。映画を観るのが大好きだし、映画の一部になりたい思っていましたが機会がありませんでした。He She It – ตาย ไม่ ตาย (2019)の役を得た時も、最初は僕じゃないと思っていた。でも僕の役になった。心の中では、やれるのか心配でした。BL映画とホラー映画の両方の要素があったので、脚本は難しかった。 僕はできるかどうかを自問することしかできません。 しかし、結局、僕はやってみることを選びました。幸運なことに、すばらしい演技の先生、ニン先生に指導いただき、演技の基礎を学びました。なので楽しく演技をすることができました。

画像6

4
และหลายหลายครั้งที่โลกทำให้ฉันเสียใจ
You the one that’s on my mind
何度も世界は僕を失望させた
僕の心にいるのは君だ

今の話しでは、とても難しい役ですよね。 さらに、自信もなかったんですよね。 この役を引き受けるきっかけは何でしたか?
これより以前、僕は非常に悪い状況を経験してきました。 この役を演じる前は道を見失っていました。音楽をもう作らないことに決めていました。音楽が一番好きだったのに燃え尽きてしまい、もうやりたくないと思っていたんです。 僕が何をやってもそれを好きな人は誰もいなかった。
当時、僕はフリーのアーティストでした。自分の良いところ、うまくできるところを人々に認めてもらいたかったのですが、何もありませんでした。それでますます情熱を失くしていきました。この時点で光は消えていました。完全に道に迷い、ビジネスを始めました。ハーブソーダ水を売ったりしましたが、やはりそれは僕ではない。でも曲も作りたくない。どちらにいってもうまくいきそうにない。そんな時にこの役がきたんです。もう何も気にしない人生を送るつもりのところまで来ていたんですが、これまで試みたことのない多くの新しい機会を受け入れたいと考えました。考えたら、やってみないと。

俳優としてのキャリアを通して、 その経験から何を取り戻しましたか?
それはいろんなことを。普通、映画を観るとき、映画が終わったらその映画から何を得たか考えます。キャラクターとストーリーラインから何を得たか。 しかし、自分で演じることは、自分がその出来事に出会うことです。 僕は本当にその人なのです。 特に、スクリプトやその役が経験している状況と同じ経験がある場合、 その演技に傷ついたり満足したりします。
そこで演じてみて、人生で行うすべてのことと同じだと思いました。僕がやることはすべてが物語になる。でもその伝え方が違う。文字の形かもしれない、曲の一部になるかもしれない、でも最後にはそれはメッセージや何らかの形でもう一方に伝えることを目的としています。
この点を理解するために演技するほどに、曲作りに生かすようになりました。僕は自分がとても敏感、弱いのだと気づきました。なので周りの物事、出来事を仕事に生かします。演技の経験をするほど比べることを理解するようになりました。自分を他人の人生の代わりにする。自分の家族ではない人と演じる、でもどうやって彼らと家族になれるのか。他人の出来事に身を置くのはこの比較です。そして曲として伝えます。
演技は僕をさらに敏感にしました。家族についてのシーンがあったとすると、さらに敏感になりました。母親とのシーンがあり、母親が「今やっていることに疲れているの?」と聞くのですが、それは僕の人生ととてもシンクロする。自然と涙が出るほどです。僕は家族をとても大切にしているからです。 本当によく似た状況です。自分の周りで起こっていることすべてに満足するようになりました。 たとえば、今はインタビューのためにここに座っています。 たった1回お会いするだけかもしれませんが、今日はここでお会いできてうれしいんです。
役に入ると、人の気持ちがよくわかるようになります。僕は制作チームのことを理解します。彼らは僕の仕事をするためにとても疲れています。寝ないで仕事をする人だっています。ほかの仕事も抱えていて、とても忙しい。でもみんなとても真剣に仕事をします。僕は皆に感謝します。僕のためにがんばってくれているんです。

画像7

敏感な人だから 傷ついた。道に迷って心を失った日に誰が音楽制作に戻るきっかけを作ってくれたのでしょう?
最後のところで誰も引っ張り上げてくれはしません。僕自身以外にね。僕はインタビュー番組を見たことがあるんですが、いや違う、電話相談です。恋人が浮気をしたどうしよう、という相談。僕は思いました。その人は電話をしてきたけど、結局その人自身が変わろうとしなければ、アドバイスを聞いてもそれだけです。最後に決めるのは自分です。立ち上がる勇気を持つのは自分自身でなくてはなりません。
でもファンも、僕が元通りに音楽の道を選んだ理由のひとつです。ファンそれぞれがもう家族のようなものだと思っています。僕のファンになってくれて僕は幸運です。僕にインスピレーションを与えてくれる存在です。自分自身でいられる勇気を与えてくれます。良いね、やってみて、と言ってくれることで何度も励まされました。悪い時期に作った曲も、一歩踏み出してやりたいようにやってみる気持ちにさせてくれました。僕はもっとがんばらないと、皆が聞いている、という気持ちにさせてくれました。皆に知ってほしいです。誰もいなくても僕がいます。僕が大丈夫だと言い続けます。

道に迷ったとき、またはアーティストの道を選ぶとき、家族は応援してくれましたか?
母は。。母はとても繊細な人です。母は僕が何かをしたいと言うと全面的に応援してくれます。たとえば子供のとき、多くの人がお菓子を禁止されたと思いますが、僕がお菓子を食べたいと言えば、たくさんのお菓子を買ってきて、お母さんもう十分だ、十分です、お菓子は好きじゃない、と言わなければなりません(笑)。母はこういう人なんです。僕が何かに夢中になると、母は常にに気にかけてくれます。僕は愛が不足したことがない。常に満点の愛を受けていました。父は僕のロールモデルです。人生におけるすべての問題を解決できる人です。この二人が常にいてくれる。パーフェクトです。ここがパーフェクトだから、僕はほかの人にも与えたくなります。
なので答えは、はい、応援してくれました、です。家に帰ったら母が、「大丈夫?疲れてない?」と言ってくれる以上の良いことがあるでしょうか。母はとてもかわいいんです。弟はファッションデザイナーです。誰も計画通りにやってるわけではない。弟が服を作りたいと言ったとき、母は全力で応援しました。だめだとか、やらなくていい、なんて言ったことはありません。僕のMVやプロモーションのときの服は弟からインスピレーションを得てます。弟は僕より先にイケてるおしゃれをしていましたからね。僕は本当にラッキーだと思います。何人もの人が、やりたいことがあるけど両親に怒られた、とか、ただ禁止されるのではなくて罵倒された、と言っています。こういうのは本当に悲しいです。決まりや制限は身近な人からされることもあります。だから僕は励ましたいし、親である人にはこう言いたいです。大丈夫、応援してる、お父さんお母さんはここにいるよ、いつも助けるよ、と言ってあげる以上の良いことはないです。皆がこういう言葉を受けるようになってもらいたいです。

画像8

5
ถ้าไม่ Move เธอ ก็ไม่ Move On
君を動かさないなら 前に進めない

Highwayについてですが、恐れを挑戦する勇気に変えることを伝えていますね。
本当のところ、制限というのは誰だか知らない人がかけた恐怖なんです。こんな服装をしなさい、こんなふうにしなさい、男の子が履くのはジーンズだけ、じゃないと男らしくない、など。なぜそうなんですか?そうでないといけない理由は?決まりでなくてもいいでしょう。人生は真っ直ぐじゃない(笑)。皆が真っ直ぐ進んだら、皆が魚の缶詰になるじゃないですか(笑)。勉強も同じです。皆違う種類の木でしょう。成長の仕方は一人ひとり違います。比べることは、りんごと梨を比べてどっちがおいしいか、どっちが美しいか、とやっているようなものです。意味がない。だから僕らは飛び出してやってみる勇気を持つべき。Beである前にWanna beでないと。自分自身であるようにやるだけです。
僕自身もまだ勇気を持たないといけません。以前は怖かった。自分の曲を作る勇気がなかった。自分をプロデュースする勇気、アレンジする勇気。僕がするのはメロディの一部を考えるだけ。歌詞を少し書くだけ(笑)。半分だけ書いて、作り上げる。もし曲を出して良くなかったら、人は僕が全部悪いと言うだろう。そこが怖くて、一人で全部作っていなかったら、僕一人で作ったわけじゃない、僕がプロデュースしたわけじゃないと言い訳ができる。本当に怖かったんです。僕は完璧主義者なんです。最高のものを出したい。以前はこんなふうでした。
今もプレッシャーにさらされていますよ。僕が出演するドラマの最初の曲を作るときは特に(笑)。どうやって作るのかもわからなかった(笑)。皆どうやって作っているのかYouTubeを見て、ああそうなのか、と思いました。それからだんだんと自分で曲を作り、プロデュースするようになりました。曲を好きになってくれる人がいて、他の人やドラマシリーズへのプロデュース依頼が来るようになりました。自信がついて、批判するならしたらいい、気にしない、と思えるようになりました。自分が好きでこんなふうにしたいと思ったら作ります。

仕事、経験、傷ついたことすべてが、私たちが必要とすることを表現する動機になるということですね?
そうです、そうです。自分が他の人のインスピレーションになることもありますし、もっと変わりたいと思います。ひどい時を経るほどに、ひどい面ばかり見て良い面を忘れます。例えばたくさんの人がコンサートを観に来てくれたけど、席が足りなくなった。ユーチューブでたくさんの人がイイねを押してくれたけど、良くないを押す人や、非難するコメントが二つあったとか。以前なら悩みましたが、今は気にしません。その人がなぜそうしたか知りようもありません。ただ外面だけから決めることはできないはずです。僕のことを理解しないなら、同じように僕もあなたを理解できない(笑)。分かり合えなくてもいいんです。

画像9

26年の間、痛みや迷いを通して世界は何を教えてくれましたか?
一言です。仏陀が言ったのと同じ言葉。「恐れるな」です。仏陀は、人生の法則は怖がらないことだと言いました。恐れをなくすことは自分を幸せにする、出て行って何かをする勇気を持てる、人生は短いんです。明日何が起きるかわかりません。こう考えると人生は難しくありません。楽しまないと。
ひどい時期を経験して、僕は学ぶことがたくさんありました。Attitude Teaserには、雨が降らなければ虹を味わうことはできないということわざがあります。僕もそう思います。痛みから成長します。人は間違いから生まれます。僕もそうです。間違った出来事に遭遇します。イライラして悲しみます。でも時間が過ぎ去ってみるとその出来事にも感謝したくなります。成長させてくれて、強くさせてくれて、悪い時期を乗り越えさせてくれて。父は、起きる出来事はすべてが良いことだと言ったことがあります。
もうひとつ、Mr. Nobody (2009)という僕が好きな映画での台詞で、‘Life is a playground’というのがありました。だから、楽しみましょう。何度も言いますけど、人生を楽しまないといけません。すべてにストレスを感じているなんで意味がありません。見るものすべてにストレスを感じるなら、これは挑戦だと考えるようにしてください。悲しいことだと思わないで。乗り越えられないことは乗り越えられないんだから(笑)。自分を罰することができるのは自分だけです。

ずっと自分の夢を追うことから 夢を実現するための公式があると思いますか?
僕はまだ成功したとは思っていませんが。ただやり続けているだけです。いつになったら成功するのか、ということに固執しないでください。本当に完成したら、また目標を作ります。過去に何をしたかとか何を得たかとかどう成長したとか考えます。普通の仕事のようにね。ひとつの仕事が完成したらまた新しいことを始めないといけない。夢も同じです。一生懸命がんばる。チャンスも同じ。チャンスがひとりでに転がってくるわけではありません。
僕もチャンスを求めなかった人の一人です。 以前は、誰かが僕に何かをするように頼んでも、僕はどこにも行かなかった、自分自身をオープンにしなかった、試してみなかった。まずやってみましょう。やりたくないかもしれない。でも情熱は私たちを引き上げます。とにかくそれを行うことができます。今はチャンスを得ることは難しいことではありません。 以前は歌手になりたいと思ったら会社を探して競争しなければなりませんでしたが、今はアーティストになりたいと思ったら 、なることができます。誰か他人が、あなたはそうだとかそうじゃないとか決めることではありません。でも自分自身で答えを出し、他とは違った何かを表現しないといけません。それがあなたがアーティストであるかどうかということです。

画像10

6
มันก็คงจะ Better
そのほうがいいはずだ

考え方が変化したようですね。受け入れてくれる人を探していた日々から、すべてを受け入れて喜ぶまで。
そうです。一番大切なのは、まずは自分を幸せにすること。自分にそれを許さない人が多いです。がんばらないといけないですよ。何をするにしても。自分が自分を好きでないなら、自分を受け入れないなら誰が受け入れるんですか。誰もいないでしょう(笑)。
周りの人やファンの人が相談にきます。今の仕事は自分のやりたいことではない、どうしたらいいか、って。わかりますよ。僕もそんな時期がありました。でも言いたいのは、About Time (2013) という映画を観た事がありますか。精神科の医師が言いました。
すべてを行うための唯一の法則は、ストレスがないこと。 それは私たちを取り巻くすべてのものを受け入れて感謝すること。
これと同じです。だからあなたに起こるすべてのことに感謝してください。もしストレスを感じるなら、ここにいない人は他にもたくさんいると思うようにしてください。もしチャンスがあれば、頑張る。 楽しんでください。 人生はそれほど長くはありません。 だから、自分自身が幸せになることを許さなければなりません。

あなたは幸せになったと言ってもいいですか?
少しは幸せになったと言っていいと思います。僕は疲れを感じていません。これは幸せだということでしょう。今ここで話していることも幸せです。どこかに出かけても幸せです。いやなことがあっても、イライラしても、わかってる、もっと幸せになる、と思える。だから僕は幸せだと言ってよいと思います。
幸せというのは完璧完全のものではありません。そうなる方法も言葉にできません。僕の友達が、いやなことがあるといつも相談にきます。最初は僕もアドバイスをしていましたが、だんだん聞くだけにしました。その人の人生のある時点で、いやだと思うか幸せだと思うか決めるのは自分です。そうしないと先に進めません。自分を幸せにするのは自分しかありません。最初は難しいかもしれませんが、ああまたストレスがきたぞ、と感じて徐々にその状況を受け入れます。。指をぱちんと鳴らしたら、はい、幸せになったということはありません。徐々に少しずつ進んでいくんです。大切なことは試みをやめないことです。

画像11

これまでの決断を後悔していないということですね?
全然。これまで僕に起こったことには感謝しています。友達と喧嘩をしたとき、そのときはなぜこんなふうになるのか理解できませんでした。でも今はわかります。
あの時の僕と今の僕は同じ僕ですが、今は成長しました。あの時はあの時点で、できるだけのことをしていました。もしあの時に戻れたらあんなことはしない、と考えがちですが、あの時の決断はあの時の最善だったということを忘れてはいけないと思います。あの時は良くなかったと振り返りたくないでしょう。なんのためにもならない。どうしようもできない、今は今のJeffなんです。何年もたって、その決断が良くなかったということもあるでしょう。でもそのときはそれが最善だったんです。だったらそのときはそのときで幸せであったほうが良いです。

これから5年の間の夢は?
ワールドツアーをやりたいと密かに夢見ています。僕の曲を聴いてくれるたくさんのファンがいます。僕の曲がきっかけで変化した人もいます。僕は彼らに会いたい。会って話したいです。彼らはどんなふうか、どんな生活をしているのか。例えばナイジェリアでの生活はどうなのか、本当のところは知りようがないでしょう。実際に行けばよくわかると思うんです。

画像12

夢を達成した人として、同世代でまだ夢を見つけることができない人に対して何を伝えたいですか?
マイペンライと言いたい(笑)。大丈夫だよ、なにも間違ってなんかいないよ。夢が見つからない。少しずつ経験をつんでやっていけばいい。人生で何をするのが好きなのか。誰かがそんなの職業にならないよと決めつけた小さなことかもしれない。折り紙でロケットを折るのが好きだって、遊びだろう、と言われるかもしれない。そんなの職業にならない、と。でもコンテストでチャンピオンになるかもしれないでしょう。
学校や多くのルールは夢を見させてくれないところがあります。全てが、やらなければならないという枠の中。同じようにがんばらないといけない。特に社会的規範はこうでなくてはならないと決めてきます。こうでなくてはならないとは、成功したと証明するためです。僕がロストしてビジネスをしていたときもこういう社会的規範や社会の物差しによく会いました。成功するまでビジネスを運営することが、成功と呼ばれます。 1億人の若者のようにね。 これはよくあることです(笑)
でも僕が行き着いたのは、これは僕の夢ではないということ。僕の成功ではない、僕の道ではない。社会が与えてきた計画書でした。僕が学んだのは、もう一度スタートを起こすために失敗があるということ。いつでも、終わりは始まりです。まだ自分の夢に出会っていないとか、失敗しても大丈夫。やってみて、人生を楽しんで。今日明日に見つけないといけないわけじゃない。愛と同じです。気づかないうちにやってくることがあります。 僕も、自分が好きだと気付くまで、その曲が好きだとはわかりませんでした。その時がくればそうなります。

画像13


最後に、新しいレーベル、Wayfer Recordsから出す新しい曲で一緒にルールを越えていきましょう。皆が好きでいてくれて、一緒に新しい思い出を作り上げて行ければと思います。
タイトルはなんだっけ(笑)。冗談です。Highwayをよろしくお願いします。これからどんどん新しい曲は出ます。生きていくのに恐れを持っている人は多いです。幸せを感じなくて、ストレスフルで、自分や誰かが作った規範やいろんなものにに押さえつけられて。何の意味もないです。僕がこの曲を通して言います。この曲で情熱を引き出してほしい。 なりたいものを出してほしい。 成功するまでやろうと決心してもらいたいです。

画像14

“ 経験を大切にすることを選ぶ人もいる。捨てる人もいる。ハイウェイを走っているときは前進し続けて。元の場所から飛び出そう ”
– Jeff Satur


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?