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渡来系弥生人300体が眠る、土井ヶ浜遺跡

 今回は黒猫のポーがご案内するんだニャ。
土井ヶ浜といえば九州・山口の人は、海水浴!ってなるニャ。ここは響灘に面していてドライブにも最高!お魚も最高!カフェもあるぜ!な観光地なんだニャ。



 そんな所に明らかに縄文人とは異なる人骨が大量に発見されたニャ。砂丘の貝殻の石灰成分のおかげで、かなり保存状態が良好なんだニャ。発見された人骨は潜水などの刺激で耳の穴の内側骨が隆起する”外耳道骨腫”が男性に見られるんだニャ。男が海に潜って魚貝を取っていたんだニャ。


 顔が長くてほりの浅い高身長の土井ヶ浜住人は、約2500年前の中国山東省の人々と酷似しているので、大陸から渡来した人々と関係が深いというわけニャ。ミトコンドリアDNA解析でも縄文人と異なるグループなんだってニャ。
 風習的抜歯を行っており、犬歯抜歯が多い縄文人に対して切歯・犬歯の抜歯を行っていたそうニャ。成人儀礼として、出産や家族の死などの節目に抜いたそうだニャ。ポーは嫌だにゃあ・・・。


 土井ヶ浜弥生人は石器や土器を作り、どんぐりを貯蔵し、水耕による稲作を行っていたニャ。魚介や海藻、米や木の実、野草やイモなど食事はバランスがとれていたニャ。
 埋葬形態は砂丘に安置して砂で覆う簡単なものが大半だニャ。ほかには石囲いや、墓の四隅に石を置く”四隅配石墓”も多いニャ。"四隅配石墓”は福岡県玄界灘に点在しているから、弥生系渡来人が縄文人と接触しながら東に進んでいった痕跡じゃないかと言われているニャ。ながれ~ながれて~流浪の民だニャン。


 遺跡からは大型巻貝製の腕輪や鉄製品、青や緑の管玉、ヒスイの勾玉、アマゾナイトの小玉など朝鮮や北部九州や山陰、北陸と交易があったと思われる貴重な出土品が多く出てきたニャ。発見された壺型土器も北部九州や伽耶からも出土してるニャ。やっぱり交易していたんだニャア。
 ゴホウラ、イモガイの貝輪もたくさん出土したニャ。これらの貝の原産地はなんと沖縄諸島だニャ!!そんな遠くから運んで加工して腕輪を作ったニャ。もっと驚きなのはそれらが北海道の有珠もしり遺跡からも出土したんだニャ!!!


弥生人の交易はポーの想像をはるかに超えて進んでいたニャア。
 近くの集落からはかじ炉や工房も見つかり、鉄器を作っていたこともわかったニャ。見つかった人骨の中には、骨にまで及ぶ深い傷をおった2体もいたニャ。治癒の跡がないから争いごとで命を落としたんだニャ。石製の矢じりが体内に残っていて鋭い切り傷が何か所もあったにゃ!激しい争いがあったんだニャ。


 1号人骨として有名な”鵜を抱く女”は、左胸のあたりから鳥の骨が見つかったニャ。当初は海鵜の骨とされ、鳥は死者の魂をあの世へ運ぶ存在とされていたので、シャーマンではないかと言われたニャ。だけど鳥骨のたんぱく分析の結果、中型のフクロウ科の骨だとわかったニャ。しかも1頭分でなく一部の骨しか見当たらないニャ。祭祀に使われたのか、装飾品だったのか未だ謎なんだニャア?


 土井ヶ浜人類学ミュージアムを出てると、少し下ったところに土井ヶ浜遺跡があるニャ。なかの人骨はすべてレプリカだニャン。建物に入ると少しひんやりするニャ。そろりそろり進むと・・・ひゃああああああ!!!!


骨がいっぱいあるニャ!分かっているけど怖いニャア!そして皆同じ方向を見ているニャ。海にゃ、海みてるニャ。なんか切ないニャ。故郷に帰りたいのかニャア。なにか待っているのかニャ。それともポーを睨んでいるのかニャ!!シャーーーーー!!!!


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