何度でも君と春を過ごせるように、「これからもついていくよ」と答え続けよう
今年もまたやってきた。
最愛で最大の推し、木全翔也の誕生日。
今年でもう3度目になる。
去年の4月5日から、自分の私生活も、JO1との関わり方も、大きく変わった。
社会人として働き上げたこの1年間は、今までの人生の中で一番耐えの時期だった。
だがそんな中でも、仕事終わりに音楽番組を見る楽しみや、唐突にくるプラメのおかげで、心の支えがある前向きな生活を送ることができていたと思う。
木全翔也を好きになったきっかけは、例に漏れず、highlightのチッケムである。
具体的な沼落ちは、「親に紹介できる好青年」というコメントを見たときなのだが、この話はまた別の機会にしよう。
とにかく、最初の印象は、ちょっとユーモアに溢れた爽やかな男の子だった。
ギャップNo.1と言われ続けただけあって、このイメージはまるで表面的なものにすぎなかったことに気づく。
私の初めてでできた推しは、この2年間で数多くの一面を見せてくれた。
見た目通りとても透明で、子どものような純粋無垢さ。好奇心旺盛で探究心が強いところ。目の前の世界をしっかりと見つめているところ。料理もできるしギターも弾けるしバイクにも乗れる、多趣味なところ。歌もラップもダンスも得意なオールラウンダーで声優も演技も上手いところ。表現力があるところ。なんでも器用にこなせるところ。だけど運動はちょっと苦手なところ。いつも元気なところ。食べることが大好きなところ。甘え上手なところ。理不尽なことが嫌いなところ。動物が好きなところ。美容に気を遣っているところ。Twitterが得意なところ。ヨントンを楽しんでくれるところ。ファンサが苦手と言いつつ、何かあったらすぐプラメで答えを教えてくれるファン思いなところ。
知れば知るほど木全翔也のことが好きになっていった。新たな一面を知ってまた、推していてよかったと思える。
これほど魅力あふれる人間がいるだろうか。
アイドルを推すのが初めて、どころかここまでしっかりと推しができたのが初めてで、いろいろなジャンルをかじってはみたものの、結局木全翔也が一番だなあと思う毎日を過ごしてきた。
去年はなんと言っても、対面で会えたことが大きい。
OTD初日、半分記憶を失いかけながらも、最後の挨拶で推しが涙を流しながら「これからもついてきてくれますか?」と言ったのを見て、涙が止まらなかった。
死ぬまで忘れない日になった。
このあとの公演でも同じ言葉を発する推しに、目の前にいるファンにどうしても言いたかったことが「これからもついてきてくれますか?」という言葉だったんだなと気づくと、胸が苦しくなった。
約2年間、JO1との距離はもう既に画面越しが通常となっていて、会いたいと言いつつも、それに不満を感じたことはなかった。
SNSやプラメを通じてファンに愛を送ってくれる推したちが愛おしくてたまらなかった。
だが、コロナ禍で思うように活動できなかったJO1の心境を考えると、本当に辛くなる。
姿の見えないファンのことを思い、ステージに立つことのないまま月日が流れていく。離れていくファンのことを引き止めることはできない。
常に上を見ている彼らだからこそ、悔しかったと思う。
木全翔也の「これからもついてきてくれますか?」という言葉に、声を出して答えることができなかったのがとても歯がゆかった。
あの日たしかに目の前にいた推しは、カメラ越しではなくファンの姿を見ていた。
あの日たしかに推しと同じ時間を過ごした。
とても幸せで切なくて、大切な宝物だ。
そんな思い出を胸に、最愛の推しの誕生日をまた祝える幸せを、今日心から感じている。
推しの誕生日の醍醐味は、なんと言っても推しがたくさんの人から愛されていることを感じられることだと思う。
去年はタグのトレンド入りが一瞬で、見届けることが叶わなかったが、今年はしっかりとツートップを飾ることができたのも嬉しい。
今年は初めて企画委員会に参加した。
そしてもう一つ、47都道府県広告、JO1木全を探せにも参加させていただいた。
この広告を集めてできた言葉は、木全翔也の「これからもついてきてくれますか?」に対する答えである。
たくさんのJAMと一緒に、大好きな推しの誕生日を祝えたことを嬉しく思う。
22歳の木全翔也が笑顔で過ごせますように。
君と一緒に過ごす3度目の春。
これからもずっとついていくよ。
あけぼの