どうして原木舞茸なのか

ナラ枯れという言葉を聞いたことがありますか?

成熟したナラの木に虫が入りウイルスを媒介させて木を弱らせ倒していく事がおきてきています

なぜそうなるかは生物多様性の1つなのかもしれないけど

昔はある程度の大きさになると切って
自然萌芽という、切った後に自然に芽が出てまた育つというサイクルでまわしていたんですね

使い道は薪や炭の他
椎茸やなんだろキノコの栽培とか
使いながら木も育てるという自然の循環を意識した生活をしていたんです

それが石油エネルギーが主流になり薪や炭の需要が減ったことの他

震災で放射能の影響で原木きのこの栽培も制限されました

その影響でやめたキノコ屋さんも知っています

今まで切って使われていたナラやクヌギにカシなど

切られないから大きくなります

自然ってよく出来ていて
ひとつのものが多くなると淘汰する性質があります

人のサイクルで考えるとうわーってなることも

地球のサイクルで考えると大したこともなく

でも人が生活していくことを考えた時に

それらのことと向き合わざるを得なくて

ナラ枯れの木の活用ということを調べていました

他の木に媒介してしまうから殺菌して置いておく

それでもナラ枯れがおさまらないということも多くなっています

じゃあ切ったその木をどうする?
燃やせばいいのか?というと案外そう簡単なことでもなさそうで

どうしたらいいんだろう?と調べまくりました

その中でナラ枯れになった状態をナメコが好きということや

殺菌にも薬や燻蒸のほか
煮沸するというのもあると知りました

ん?舞茸を作る時って煮沸する

じゃあ舞茸に使えばいいんじゃん

原木舞茸をやったことのあるおじちゃんからは
原木の舞茸は天然に近く
売ってるものとは雲泥の差だよと聞いたものだからもうやばい

原木舞茸を作りたいーとなって

今年の試験栽培に至るというわけ

そして原木舞茸をみんながうちで作ったら楽しいんじゃないか

だって普通の売ってるやつと違うってやつを
自分ちでプランターとかで育てられたら楽しそう

そう思っちゃったんだよね

そしてそれを育てるってことは
森の分解者の1人になるってことで

朽ちていくだけではなく
その恩恵をしっかりといただき

一人一人の身体には栄養という形で残ることになる

薬漬けになって放置されているよりよっぽどいいんじゃないかと思ったわけ

必要なことであるのはわかってるけど
でもそんな風に使えればなーと

ナラ枯れのやつじゃなくても
循環を意識しながら切って育ててをしていけば

森に入る理由が出来る

ボランティアでは続かない理由は
そこで収益があがらず
人の善意にだけおんぶに抱っこになるから

若い子がやりたいと思うくらいにならないとダメだと思っている

そこはまだまだ課題ではあるんだけれども
でもそんな風に考えながらやっていくと

森の担い手も作りやすいかなーとか

色々と資源とする方法はあるから
それらを見える形にはしているつもりなんだけれども

それらが何につながっているのかと言うと

異常気象だなんだといってるけれども
そこなんだよね

森に入ると気温が涼しく感じるのは
感じるだけではなく
実際に気温が下がっているからで

それはどうしてなのかというと

蒸散作用って理科で習ったように
木は根から水を吸い上げて葉っぱから放出している

その水分が熱を奪って下げているというわけ

で、その作用が大きいのは葉っぱが上にしかない状態←針葉樹の混み入った状態よりも

高低差がある多様性のある状態の方がいい

じゃあどうやったらそんな状態を作れるのか

自分なりに考え
考えるだけじゃなく実践し

うん。これならばずっと補助金を投入し続けるのではなく出来るんじゃないかそう思った

皆伐してしまうとその後地拵えして植林し下草刈りに何年もかけることになる

そのコストをかけられる場所ならいいと思う

でも収益性がないと言われている小さな森の連続な里山ではそのコストを回収することなんかできないわけで

そういうところをまた生産林とし続けるのではなく

天然林に近づけ森の機能を最大限に発揮できるようにする

里山業入門という講座で
そのためのことを伝えていく

そして色んな地域でいきあう学校が出来ていけばいいと思っている

いきあうは茨城弁でいきなりばったり出会うこと

それだけでなく生きあう

行きまじあう 行き交う 

という意味を込めています

1人ではいきあうことはできません
いきあっていきましょう😊

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?