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MP-80

僕が初めてマイコンを手にしたのはSHARPのMZ-80Kである。MZ-80Kのことを語る前に僕がコンピューターに興味を持つようになった経緯を述べようと思う。

 中学生の時、地元のスケートリンク場の外に見慣れないビデオゲーム機が置いてあるのを見つけた。それは立って遊ぶ「スペースインベーダーゲーム」であった。当時ビデオゲームはブロック崩しくらいしかなく、隠れながら敵のミサイルを避けつつ迫り来るインベーダーとUFOを攻撃するというゲームは斬新で衝撃的であった。そのゲームはテーブル型もあり、兄と一緒に喫茶店に行って遊んだ。しかしゲーム1回100円というのは当時中学生の小遣いでは数回しかできず存分には遊べなかった。聞いた話ではインベーダーゲームのテーブル筐体を購入したとか5円玉を細工して遊び放題だったとかいう人もいたらしい。ネットフリックスで外国人の目から見たビデオゲームの歴史が興味深かったので以下にリンクを張る。インベーダーゲームを作った人がびっしりと自分のアイデアをノートに書いているのを見せてくれている。

 僕は秋葉原ラジオ会館7階のNEC Bit-INNという場所に行って、TK-80BS (COMBO BS/80)という機種のBASICで雑誌に掲載されていたインベーダーゲームを打ち込んで遊んでいた。でも入力ミスをしてちゃんと動かなかった記憶もある。それでTK-80が欲しかったけど中学生には高価だったので、雑誌の広告を見てTK-80に似たMP-80を小遣いで購入した。

 それでも本体39500円電源13000円と結構高価であった。MP-80でやったことは、機械語でサンプルプログラムを入力して音楽を自動演奏するなどである。スピーカーは付いてなかったので自分でイヤホンジャックを接続してラジカセに出力したと思う。8080の機械語はMOVとかPUSHとかCALLとかいう命令があって、なんとなくは理解したがどうして音が鳴るのかまではわからなかった。おそらくROMにある内部ルーチンを呼び出して演奏させていたのであろう。高校生になってから12000円でカセットテープレコーダー用インターフェースを買ったけどカセットテープにプログラムデータをうまく記録することができなかった。高校の文化祭ではMP-80でクラスの応援歌を演奏させた。今考えれば、どのように音を出しているのかを調べて模造紙に書いて展示すれば良かった。この時機械語をもう少し勉強していればLEDを色々表示させてオリジナルの作品ができたのかもしれない。



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