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母の遺伝子

 僕が歯道に進むきっかけになったのは母が結婚前に歯科助手だったことにあると思う。物心付いた頃、お菓子の空き箱にデンタルミラーとか探針とかピンセットとかスケーラーとか歯の道具があってそれを使って遊んだ記憶がある。それとは別に5歳か6歳の頃、物を作るのが好きで小さなプラモデルをいくつも作っていた。その頃なりたい職業は大工さんだった。小学校の図工は成績が良かったが他の成績は中くらいであった。それで親からは歯医者は無理でも歯科技工士になったらどうかと言われていた。

 さて母の話に戻る。母は中学校卒業後10代から歯科医院に住み込みで歯科助手として働いていたらしい。当時はまだ歯科衛生士の国家資格は存在していなかった。歯科助手の母の同僚は歯科衛生士の国家資格制度ができてから歯科衛生士の免許を取ったらしい。その同僚は後に息子を歯医者にして自宅を歯科医院にした。

 歯科医院には他に「おっさん」という愛称の歯科技工手がいた。よくそのおっさんにマッサージをしてもらったそうである。そしてスタッフみんなで歯科医院の院長の子供達の面倒をみたらしい。

 歯科助手の仕事内容は院内の掃除はもちろんのこと、当時基準が曖昧だったので小さな子供の乳歯の抜歯とか鋳造までしたそうである。鋳造は空気を送るのが吹子方式で足踏みだったらしい。そして圧迫蓋という湿らせたアスベストを詰めた取手付き蓋を使い溶かした金属を蒸気の圧力で鋳込んでいたとのこと。

 母の歯科助手としての技術は僕が生まれる前のものなので、その技術の遺伝子は少しは僕に受け継がれていると思っている。

 僕の祖母は助産師として実家で助産所を開いていた。その助産所に産後マッサージの資格を持った従業員が必要ということで、母は結婚後、祖母から指圧学校に行くように言われたらしい。有名な浪越徳次郎先生の4期生であった。そして祖母が助産師を引退してから指圧治療院を開業。その場所は後に僕が歯科医院として受け継ぐことになる。その話の詳細はのちに語ろうと思う。

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