【感想】ながめくらしつ『誰でもない/終わりをみながら』

はじめましての方へ。
【こちら】を読んで納得してから読んでくださいませ。

■公演情報

団体名:ながめくらしつ
タイトル:誰でもない/終わりをみながら
日時場所:2014/12/21-23 シアタートラム


■誰でもない

公募ワークショップから選考されたメンバー8名のジャグラーとカンパニーメンバーやゲストミュージシャンで作られた、ジャグリングの技巧や美しさを活かしながら音楽との関係性を重視した群舞的小作品。
(パンフレットより抜粋)

・第一部を通して。
 第一部ではピアノの生演奏にあわせた10人のジャグリングが披露された。その動きの幅は広く、個人個人でのジャグリングや複数人でのシークエンス、幾何学的な動きからユニゾンまで。「ジャグリングという技術」を使ってどれだけ視覚的に面白いものが作れるかということにこだわり抜いた作品であった。

 最初のシーンではピアノの1音1音に合わせて誰かがボールを投げてキャッチする。使うボールの数は少ないもののコンマ数秒の誤差も許されない精度で投げ続けなければいけないため相当な技術力が要求される。
 その後も、音楽にあわせて緻密に計算された動きをメンバー全員が高い精度でこなしていく。見ている間にPendulum Wavesを思い出した。考えさせられるような演出ではなく、単純に見ていて気持ちのよい、そしてずっと見ていられる、そんな面白さがあった。


・明らかに異質なシーン
 センターで1人(大橋くん)だけサスの中でソロのジャグリングをし、その周囲で残りのジャグラーが全員で群舞的なジャグリングを行うというシーンがあった。このシーンでは大橋くんのソロのジャグリングが続いたあと、そのシークエンスが徐々に周囲の人に伝播し、最終的には全員が同じシークエンスを行う。照明変化はこのシーンとあと1箇所だけだった(と思う)ことからも、特別性が伺える。
 このシーンがどう特別なのか。自分なりの推測は一番最後に書きます。

・誰でもないということ
 
この演目を見た際にジャグラーなら、一瞬Gandiniを想像すると思う。
(海外カンパニーにそんな詳しくないため、このくらいしか出てこない申し訳なさ)

 Gandiniと比較した際に、どちらも計算された動きで視覚的な面白さを追求している点では同じだが、本演目は「出演者それぞれのジャグリングの個性」をより大事にしているのではないかと感じた。個人のソロパートや特徴的な動きが作品中に含まれることからもそのことが伺える。
 タイトルに誰でもないと銘打ち、群舞による精密な動きを要求してはいる。しかし、個人個人のジャグリングの特徴を否定するどころかむしろ大事にして演出をつける。そのことは、ジャグリングの可能性を追求し、舞台を作り続けてきたながめくらしつの歴史を考えると当然のことのように思えた。
 誰でもない。ということはつまり自分自身である。

・蛇足
 一番始めのシーンで静止している人の緊張感と動いている人の抜け感が少し違和感があった。タイミングを合わせることを最優先にしているからか、動いている人の力が抜けすぎていてちょっとOPにしてはふわっとした印象になってしまったのがもったいないと感じた。
 けど、全体的な面白さの中ではホントちっちゃなことに過ぎないので。

 あと、ジャグリングをしていない人、あまり見たことの無い人がこの第一部を見てどう感じたのか。ということについてとても興味があります。誰か感想聞いてたら共有してほしいです。


■終わりをみながら

ジャグリング、エアリアル、ダンス、マイムなど異なるアプローチで身体や物と向き合うパフォーマーたちが、音楽と物と身体による表現をより深く繊細に追求している。(パンフレットより抜粋)

・印象的なシーン
 第二部は第一部とは打って変わって、退廃的な雰囲気から始まる。
 白いコートを身にまとった演者達がゆっくりと舞台道具を並べていく中を、ひとりTシャツ姿の目黒さんがコンタクトボールに導かれながら動いていく。無感情に動く誰でもない人達の中で、ジャグリングはこんなにも自由であると感じた。

 大道具に囲まれた中、ダンサー(界さん)が椅子に座り机にひじを突く。本作品で個人的に一番好きなシーンである。単純に界さんの身体が好きなこともあるのだけど、一番印象に残ったのはこのときの音である。大道具の配置、そして椅子と机がセットされたタイミングで、チェロの坂本さんは鉛筆を捨てたり楽器に落としたりしながら音を奏で始めた。シーンに合わせた音楽作りにそんな方法があるのかと、衝撃を受けましたw 

・正直な話
 1シーン、1シーンの面白さも全体としてのまとまりも、前回公演の『おいていったもの』の方が断然よかったため、少し物足りなさや間延びした感じを受けた。
(特にリング×エアリアルのシーンは前回が素晴らしすぎたので・・・・・・)
 が、最後のシーンを見たときに、それらは全てどうでも良くなった。

・終わりをみながら
 ラストシーンでは、客席後方から主宰の目黒さんが3ボールを持って登場。そして、全編を通して生演奏を続けていたピアノ(イーガルさん)とチェロ(坂本さん)が順番に退場。それを引き継ぐ形で直前まで弾いていた曲の録音が流れた。
 目黒さんは空の舞台で1人3ボールのジャグリングをたんたんとこなす。そのときに行われたシークエンスが、『誰でもない』で大橋くんがソロで行い、最終的に全員に伝播した動きと同じものであった。
(と思う、確か・・・・・・。違ったらこの後の話全部関係ないことになるので誰か指摘してくださいませ)
 ながめくらしつが7年の時を経て、今回のシアタートラムでの公演を実現。ミュージシャンの生演奏に加え、多くのジャグラーやパフォーマーが参加した。それはジャグリング界にとっても重要なことである。
 最後のシーンでは、ジャグリングを始めた当初は目黒さんも一人でジャグリングをしていたし、音楽も録音のものを使っていただろう。しかし、挑戦し継続していくうちに少しずつ仲間が増え、ついに今回の公演にいたった。という歴史とその中であえて最後にひとりでジャグリングをするというけじめの様なものを感じて少し震えた。

 この公演は、ながめくらしつにとってもジャグリング界にとっても、『ジャグリングで舞台を作る』ということに関しての、ひとつの時代の終わりであり、また新しい可能性の始まりになると思う。その瞬間を見ることができたということが嬉しいし、自分も頑張ろうという気力につながった。
 そして、今後ながめくらしつがどう進化していくのか、とても楽しみである。



※※※
 おくむらさんもとてもおつかれさまでした。
 Gandiniと比較してるけど、全編しっかりと見たことが無いので論点がずれてないかちょっと心配。

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