美兎精馬

備有地方には不思議な伝説がある。

ある村に李或丹(りあるに)という男がいた。貧しい家に生まれ、働き者ではあるが気力も体力も無い暗い男で、野良仕事の合間合間に昼寝ばかりしていた。

その日もいつものように昼寝をしようとしたが、まだ日が高く木陰もないため額に己の靴を乗せて寝ることにしたのだが、目を閉じようかとした刹那にいつもとは違う夢を見始めたのだ。

現実ではありえない不思議な風景が広がり、獣の耳を生やした妖しい童や、艶やかな衣を纏った天女達が、色とりどりの棒を持ち賑やかに戯れ舞い踊っている。

李は、その中でもとりわけ兎の耳を生やした美しい娘に心を奪われ、取り憑かれたようふらふらとにその宴に近付いて行った。

しかし近付くにつれて奇妙な違和感に襲われ、つと足が止まる。
見渡す限りにおいて女性しか居らぬというのに、聞こえてくる嬌声は全て野太い男の声なのである。

その事実に気付いてハッと辺りを見渡すと、先程までの風景は一瞬にして霧消し、そこは昼寝をしていたいつもの畦道であった。
傍らに落ちている己の靴を眺めながら、李は頭を捻った。

どうやら、靴が顔から落ちると夢から覚めるようだと思い立った李は、靴を顔に置いた上から腰紐で縛りつけて再度寝入ってみることにした。

すると果たせるかな、同じ夢の風景が眼前に広がり天女達の宴が始まったではないか。
先ほどは恐ろしくも感じた女性らの低声も、少し慣れたので恐る恐るながらも宴に近づいてみる。

先刻目を奪われた兎の耳の娘を見つけた李は、頭に昇った血を吐き出すようなため息と共に「あなたに付いていきます」と呟いた。
娘は和やかな顔で「帆楼ありがとう」と手を振りながら近付き、桃を象ったような菓子を李に渡してあれこれと話かけてくる。
もちろん低い声なのだが、李は違和感どころか、むしろこちらのが良いとさえ思い始めており、娘と他愛も無い雑談に興じたのだった。

気付けば空は薄暗くなって来ており、辺りにいた獣のような娘や天女やらは少しづつ宴を去って行っていた。
皆口々に「李或丹、帰ります」「李或丹、もどらなければ」と言いながら消えて行くので、ああ私も帰らねばならぬのかと兎耳娘に別れを告げ顔に手を当てた。

靴を顔から外せば、そこはまだ日の高いままの畑であったが、不思議な満足感と高揚感に抱かれた李は、その後いつもの倍以上の仕事をこなした。

それからというもの李は、靴を顔につけて昼寝をし、起きたあとに活き活きと人の何倍も仕事をするという毎日を送っていた。
李のあまりの変わり様を不思議に思った村人が、「なぜお前はそのように逞しくなったのか」と尋ねたところ、
「美しい兎と会うと馬のように精が溢れてくる」
と、答え村人たちの首をかしげさせたという。


地域によっては、兎ではなく猫の娘だったり娘の格好をした男児だったりと多少の差異はあるものの、これが備有地方の美兎精馬伝説の大筋である。

ある村には、その後の李を伝える異聞も伝わっている。

いつの頃からか李は、あの甘美な夢の世界を見れなくなってしまい、顔に靴をくくりつけたまま道端に座り込み「路銀できない、路銀できない」と虚ろに呟く物乞いになってしまったという話だが、これは恐らく後世の誰かによって、教訓じみた寓話とするために付け足されたものだと推察される。

民明書房刊『備有史異譚』より抜粋



※ビーセイあんまり関係ないし、雷電が興味なさそうな話になってしまったので没

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