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二刀流か、両利きか、両手使いか

  近頃「二刀流」という言葉がさかんに使われるが、今現在の日本に限っては、バッターでピッチャーの傑出したMLBプレーヤーを指す言葉になっているみたい(素っ気なく言っているが、彼の動向はとても気になる。ちなみに彼がアメリカに行って直ぐ自分の名前を発音するのを聞いて、この人、多分英語凄く上手くなる、と思った。今はまだ通訳氏がいるが、結構敵味方なく談笑する姿が既に見受けられる)。
  私は、殺陣の稽古を少しだけしていたことがあり、短刀と長刀(写真の通り、両方とも木刀です、当然)を一時に構えて斬る型もあった。これが本来の二刀流(無論、太刀二本の場合もある)。重さも長さも異なる刀を自在に操るのは事実至難の業である。

  さて、私は右手と左手の両利きで、そういう意味ではこれも「二刀流」? 別に野球の素養はないが(キャッチボールくらいはした。グラブも持っていた)、左投げ(無論、グラブは右手にはめる左利き用)左打ち。だが、ペンと包丁は右。これは後天的に親に強制された結果。今でもこの2点は変わらないが、年を取るにつれて、どんどん左利きが戻ってきた。運動関係は左投げ左打ちの通り、子どもの頃から左優位だったが、成人してからどんどん、左手力が高まった。ハサミも左手で使えるし、ナイフは左。口紅も左。右眉は右手、左は左で書く。歯磨きも右手左手両方持ち替えながら使う。どうも鏡を使う場合、左手を使いがちだと気付いた。これには何か特別な理論的原因があるだろうか。左手の字は超下手くそだが(いや、右で書く字も下手である)、鏡文字と正文字を同時に左右で書ける。ギターを持つなら、通常の構え。左利きの人が逆向きに構えているのは私には不思議。ヴァイオリンもだが、左利きで左で弦を押さえる方が、利き手が活きている気がする。だから右利きの人が左で弦を押さえるの、タイヘンじゃないのかな。器用なのは右な訳でしょう? ピアノの人はどうなんだろう。両手を自在に動かさなければならないが、利き手の右左で何か違いはあるんだろうか。ちなみに私は子どもの頃、ピアノを習わされたが全くモノにならなかった。

左用ハサミ(左)と右用ハサミ(右) 
    左用カッター(下)と右用カッター(上) 

【 ↑ それぞれ、刃の向きが違うのがお分かりいただけるだろうか。しかしながら、私は左手でも右用カッターも右用ハサミも使える。別に不便はない。敢えていうなら、ハサミは右用が左手では使いにくい。】

  思うに、強制されて右も使うようにならなかったら、絵も描き方が違ったかも。絵画の大天才だったかも知れない! 直されて下手になったのかも――結構、本気でそう思っている。事実、箸にしても鉛筆にしても、持ち方だけなら左手の方がきれいに持てていると思うのだ。ワクチン接種も、採血も、普通に左腕を差し出すが、何となく違う気がする。以前、病院で利き腕を聞かれて「両利きです」と答えたら、怪訝な顔をされたこともある。
  利き目と利き手が違うのが困りもの。海外で色々な種類の銃を撃ったことがあるが、引き金は左で引く構えだ。が、利き目は右である。左で引き金を引く場合、普通は右目を瞑って照準を合わせると思うが、私は片目を瞑る時は、左を瞑る。視力も右の方がいい。スナイパーにはなれない――。
  右脳左脳が流行った時期もあるが、右脳人間だか左脳人間だか、私はいわゆる文系だ。数学や物理学にはメチャクチャ興味があるが、全然受験科目としてすら成立しなかった。が、数字の記憶はかなり良かった。世界史の年号暗記、大して興味がないプロ野球球団選手の背番号(選手が替わっても1つの番号3世代くらい言えたりする場合も……)もそうだが、買った物の値段をいつまでも覚えている。個別に値札を貼らないPOSシステムになってからも、スーパーでかごに入れたものの値段は全部覚えていて、会計で値段が違っていると、売り場で書いてあるのと違う、と文句を言って確かめに行かせ、後ろに並んでいる人に嫌がられた(それもかつての勢いはなくなり、自分が間違っているかも、と躊躇することも多くなり、実際、自分の間違いも多くなってしまった…)。

  一時期、グラフィック・メモリーがあるかも、と勘違いしたが、アール・ブリュットなどの再現画を見て、こんなことはできない、と分かった。右脳から左脳、その逆と、左利きに関して脳幹の情報伝達の仕方が違うという説もあったが、感覚としてはよく分からない。(そりゃそうだ。最早完全な右利きになれる訳ではないのだから。)
  猫にも利き手があるとか、テレビで言っていた(裏を取っていないが、そういう研究もあるらしい)。オスは左利き傾向、メスは右利き傾向。面白いものである。ただ、人は右利きも左利きも、右脳も左脳も、そこに特殊性を見出して自己を納得したいけれど、大したからくりがあるかどうか――。
  ちなみに「両利き」は、左右でまったく同じ動きができることで、左右使い分ける場合は「両手使い」と言うべきらしい(特に英語圏では)。だから、私は「両手使い」なんだろうな、今は。
  色々と利き手、それと左右脳についての関係を扱った研究書や、関係本も読んでみたが、現在まで決定打はない気がした。トンデモ系のものも多く、オカルトの一種として扱われているんじゃないかと思うのも。私の経験談の裏付けになるかも知れない学説・研究もあったが、ここでは紹介しない。私は修論で、今や誰も相手にしていないという学会的には否定された学説を論拠として取り上げてしまい、口頭試問でコテンパンにされた経験がある。古くても面白い説には飛びつきがちだし、新しくて検証が済んでいない説も、とにかく「これよ、これ、私が言いたいのは!」としないこと――大事。私は既に研究者ではないけれど。物事全般に言えることだろう。

  この情報の取捨選択の難しい時代にあっては、安易に支持も反対も難しく、断じるのは勇気が要る。勇気というか、蛮行になりがち。コワイ、コワイ。ものを発表するのも責任が伴うが、こうした記事を含めて、公表の場が増えたことで、易きに流れぬよう自戒せねばならないな……。今や「中立」さえ、条件付きで変容していくのだ。
   銘肌鏤骨(めいきるこつ)――タトゥーにでもしろってか?

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