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いつもと変わらない日常こそ幸せ。

早い段階で転職先が決まり、こんな事は生まれて初めてで逆に調子が狂い(笑)社会勉強のつもりで他も面接してみるが1社目を越える所が無く、本当は初めからそこに行く事を決めていた浮き足立っていた自分に気付いた。
不安は無くなったわけではないけど、最近思う。

明日死んでも良いような今日を生きているかなって。

リスペクトしている方々が口を揃えて言うように、やる気になれば人は大抵何だってやれる。
動くか動かないか。
やるかやらないか。
全ては自分次第なのだ。

私は、自分が今考えている事を実現する為に走り出す。きっと走り出したらまた何かには苦戦するだろう。だけど、その苦戦を恐れていてはその先のビジョンが真っ暗なのだ。

光は自分から作る。

電池の切れた懐中電灯には自分のこの手で電池を入れるのだ。


でも、その前に休みを満喫しろという神様からの思し召しだという事に月の中頃気付いた。笑
気付かずに仕事に行き始めてないだけいいか。

即座に姉と予定を合わせ、実家へ帰る。
免許を取って以来初めての高速道路の運転。
姉は強制しない。押し付けたりもせず、私が嫌がる事はさせないし嫌がる事ひとつせず、してくれる。
このままではだめだと思った。
自ら運転すると言った。
言った時にはさすがにビックリしていたが、姉は全く不安の色を見せることなく「できると思ってたよ」と言うのだ。

実家に帰ると、いつも帰った時と何も変わらない。


あれ?
お母さんが居て、お父さんが居る。
そして私が茶の間で寝てる。
起きて、快晴。

お母さんが居て、お父さんが居る。

何年も販売ばかりしていると土日休みなんてほとんどなかったもんだから、偶然日曜日に実家に居る事にフと気付いた。

先週までは日曜日も働いていたお父さんが、偶然休みの日曜日にあたしも実家にいて、お母さんも居る。(姉は仕事で一足先に帰った)

お昼に3人でお母さんが作ったパスタを食べて、その後に3人で茶の間でコーヒーを飲んでゆっくり話している。

何年ぶりの事だろう。


今年の年末年始に、初めて思った。

毎年毎年夢中で働いて、いったい私は何の為に、、せっかく家族でゆっくり出来る年末年始に何連勤もして働いてるんだ。
生きる為にお金がいるし、お金の事で親に迷惑をかけたくない。
でも、こうやって他人に笑顔を振り撒いている時よりも気心の知れた家族と沢山笑いたい。
こうして、みんなが元気で笑っている今だから沢山笑っていたい。


今を大切にするとはこういうことだ。 

お母さんがいれてくれたコーヒーを3人で飲みながら、3人で話して笑っている。
何よりも幸せな瞬間だと思った。


日々は目まぐるしく過ぎていく。
気付けば時代は便利になり小さな四角い画面に洗脳されつつある人間。
私も結局こうしてここに記すのだから同類。
だけど、日々少しでも家族に、友達に、人に触れて生きる事が幸せだと感じて生きていきたい。


それを誰かに共有する事は難しいだろうけど、私がそうする事で1人でも少しでも気付いて感じて想い合えたらなんて、思ったりもする今日この頃。

四角い画面から目を離して顔を上げてみると、そこには大好きな誰かが話を聞いて欲しそうに寂しげな顔をぐっと堪えて、「今」聞いて欲しい話をぐっと堪えているかもしれないから、

いつもより少しだけ長く四角い画面から目を離して顔を上げてみよう。


死ぬ間際に何かを思えた時に1番最後に近くで笑っていた人の顔を笑いジワまで思い出せるようにしたいなぁって、思うんだ。

いつもと変わらない日常こそ幸せだから。




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