文豪たる所以は事象によるものではない、彼・彼女の感受性によるものだ。

えいえいえい!じゃないよ。
私は人生賭けて挑んだんだ。
いな、私がアルコールを飲んだから敗色をより濃厚なものにしたのであろう。
素の自分では、引き出せないものがある。
アルコールを入れてこそ、真の自分である。
私はアルコールを入れ、完全に酔っ払うまでは完全にそれが正義であると信じていた。
その後、今この文章を書いている際には、一時的な己の正義さえも弱さを欺くための言い訳として無下にしてしまうのである。


弱さ、受け入れる以前に彼は脆く。

アマゾン熱帯林の土壌は決して肥えておらず、むしろ貧弱であるらしい。ではなして、熱帯林といわしめるほどのものを形成できるのか。それは、生命サイクルの速さたる由縁らしい、枯れ葉をいち早く土壌のエネルギーへと吸収し、次の樹木を育む。資源の貧弱さをそのサイクルのスピードによって補っているのである。
私の人生観もまた、これに似たものであるらしい。
いわゆる、建て直すには、内省およびその後の気苦労が必要であるような結果に直面した際、彼は以前の自分自身は芋虫であったという過去の否定、いずれは忘却による対策をとるのである。
失敗に真正面から向き合うのには彼の心には豊かさが足りないのである。悲劇といった事象と向き合うには彼の心は脆すぎるのである。その弱さから逃げるべく、忘却という術を本能的にとっているのであろう。

私はアイドルはもういいから。
いつかデートしようねって約束したかったんす。
なんならキモって言ってほしかったんす。

お疲れ様でございました。

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