今日を全力で生きる。
もっと幼かった頃、何をするにも全力で生きていたことを、ふと思い出した。
それは、後先を考えずに突き進んでいたってことかもしれない。明日のことなんて1ミリも考えないで、ただ目の前にあることに対して、本気で挑んでいたのだ。
次第に少しづつ大人になって、体力も落ちた、気力も減った。そんなような気がしているだけかもしれないけど、明日のために、と準備するようになった。
言い換えれば、"余力を作る"ということを、覚えてしまったのだ。
そうすると、その日はきっと、不完全燃焼で終わる。どうしたって悔いが残るのだ。それが積み重なっていくと、あの時やっておけばよかった、こうしておくべきだった、という後悔が、いつしか自分の中で生まれてしまう。
僕はそれがとても嫌いだ。
どうしたって今日はつらい。面倒くさい。
明日がつらいとわかっているなら、今日くらいは休んでいたい。そう考えるのはごく自然なことだと思う。
でも、12時を過ぎれば明日は今日なのだ。面倒くさい日になってしまうのだ。目の前に用意された時間を、自分のために使えない奴が、どうして明日を全力で過ごせるというのだろう。
「休む」「蓄える」ことを覚えた代わりに、「本気になる」「全力で生きる」ということを、僕は忘れてしまった。
都合のいい時だけ、全力を出せると勘違いしてしまった。
面倒くさいという思い込みに紛れ、休むことの誘惑に惑わされ、いつの間にか、自分が楽をすることに慣れてしまっていた。
「楽しいこと」と「楽なこと」 の判別がつかなくなっていた。
確かにどっちも、似ているんだ。僕は鈍感だから、自分が衰えていることに気づかなかった。だから、楽なことと、楽しいことの判別もつかなくなっていた。もしかしたら、気付かないふりをしていただけかもしれない。でも、きちんと理解していなかったことは間違いない。
明日は頑張らなきゃいけないのだったら、今日も頑張ってみよう。
頑張り続けることは難しいけど、「続ける」って難しく考える必要なんてないんだきっと。
今日という一瞬を、全力になるだけなのだ。
今日を生きているのは、今日の自分だけなのだ。
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