何つくってもいいんだ。

表現することはとても怖い。

それは、表現したものを他の誰かの視点で見たときに、その人が感じたものがバイアスとなって、自分の意図しない方へと、自分が定義されてしまうような気がしたからだった。

表現っていう言葉だとすごく定義が広くなるから、ここでは、"つくること"という意味にしようと思う。

その感覚を恐怖だときちんと理解したのは、つい最近になってから。

僕は大学に入ってから、いろんな運に恵まれて、いろんな表現をしている人に出会った。

その人ができる、"表現"を、自分はどうしてできないのだろう。ふと、そう思ったときに、その人が表に出した作品を、自分にフィードバックしているのを見て、すごくうらやましかったのと同時に、何かに取り憑かれたような、それまでと極めて違う部分を見ることがあって、気づいたときにすごくゾッとした。

その表現の戦場が自分にとって向いていないことなのかもしれないと感じて、違う場所で戦うことを決めた人もいた。その人は自分の他のスキルに可能性を見出していたし、だからこそ自分にしかできないことがあると確信さえしていた。

そういう道もある。

そんなに怖いなら何か別の向いてることを探したほうがいいじゃん。ってつくづく思う。でも、未練じみたものが自分の中にドロドロ残ってしまうような気がして、いまいち勇気が出てこない。

未練なんてこれっぽっちもない人が、羨ましいくらいに情けない。


続けるのが苦手。特技は何かを放り出すこと。逃げるは恥だが役に立つといって散々恥をかいてきた人間なのに、どうにも音楽だけは捨てきれなかった。

それはひとえに、自分の中にある何かを否定されるのが怖かったから。

自分の中で渦巻いてる、ドロドロした黒いものとか、欲望とか、葛藤とかを全部救って、奪ってくれるのが音楽だったから、それに頼れなくなる自分が想像できなかった。

だからそれを曲にしてしまえばいいと思った。そしたら誰かを救えるんじゃないかって思った。何よりも自分を満たしたかった。誰かに認められることで。win-winじゃん。誰かを救って、自分を満たす。そんなエゴを叶えられると思ってた。

作ってみた。匿名で公開した。誰かを救うどころか誰の目にもつかなかった。当たり前のことだけど、それがただただ当時の僕にはしんどかった。なんでもできると思ってて、なにもないことがわかってしまったのが、何よりも辛かった。


かくして、何もない僕はめでたく引きこもった。高校の部活は不定期にしか動かない軽音部、友達はクラスで数人。男子校なので悪くはなかった。ただ、面白みはカケラもなかった。

曲を作っては、貯めていく。言葉にならない何かをメロディとコードに乗せる。自分で歌詞をつけてみる。借り物の言葉でしか語れないことに気がついて鬱になる。そしてずっと曲は完成しないまま、メモリの中に眠っていく。

ある時決心して、高校最後の夏休みの全てを、一本の動画にした。直接あったことないネットの向こうの絵描きさんとのやりとり、自分の技術を一本の曲に全部詰めようと必死になったこと、出来上がった動画が、自分の想像の遥か先にあって、本当に嬉しかったこと、誰かと作品を作ることがすごく楽しかったこと。全部懐かしい。

反応はぼちぼちだった。時間対効果的な意味では全然伸びてないし、それはそれで現実味を帯びたものだったけど、今までで一番伸びたことも嬉しかったし、そんなことはどうでもよかった。早く次の作品を作りたかった。自分に足りないものがわかって、表現技術を磨こうとした。

ただ、"次はもっといいものを作ろう"って、なおさら強く思ってしまったことを除いては、当時の自分はすごくよかったんだと思う。


何かを手に入れようとすると、すごく遠くに目標を定めてしまう。足もとが見えなくなったころには、階段の段差に気づかなくなっている。

調子にのった僕は、その階段を数段飛ばしで登ろうとして、すっかりコケて登れなくなってしまった。気づいた頃には、自分が作りたいものとか、そういった衝動的な感覚を見失って、技術ばかりに目が眩んでいた。

しばらく自分から表現するのをやめた。半分は意図的に、もう半分は仕方なくって感じだった。

その代わりに、大学の授業やサークルで、いままでにない環境で何かを作り始めた。"納期があるものづくり"に、その時初めて触れたのだ。


ひとことで言えば、辛かった。それが最初の感想。

僕は今まで、自分がやりたいと思ってきたとこまで、詰めるところは詰めてきたし、逆に気が向かなければそれ以上はやらなかった。 そういうスタンスというか、他に誰もいなかったから、それが許されていたのだ。

納期というのは、根本から違う。それがたとえば未完成であっても、納得いくところまで仕上げられなかったとしても、決められた期日までに作り上げなかればならないのだ。完成させなければいけないのだ。

"done is better than perfect(完璧を目指すよりまず終わらせろ)"と、マークザッカーバーグは言ったらしい。その時初めて知った言葉だが、その時の僕にとても強烈に響いた。

納期があるものづくりをして、できることも増えた。簡単に言えば、見切り発車で曲を作らず、設計図を描いて、それを元に作り上げることができるようになった。制作スタイルが一つ増えたのだ。

ものを作ることは辛い。ただし、強烈に楽しい。

そんなことを、身にしみるように理解した。


この一年ものを作り続けた。音楽だけじゃない、いろんな分野に手を伸ばしながら、いらないものを削りながら。人間的に彫刻されたような気分だ。もちろん、まだ、未完成のまま。

そして、表現が怖いものだと、今になってやっと理解した。

表現した何かで、僕は誰かにそう見られている。作ったものをどうにも表に出せないこととか、いつまでたっても未完成なままの作品とか、そうしたものは自分の中の葛藤だとばかり思っていた。そうじゃなくて、怖かったんだ。誰かに見られるのが。嫌われるのが。批評されるのが。

ぶっちゃけいくら作っても恥ずかしいもんは恥ずかしい。どれだけものを書いたって、デザインしたって、映像作ったって、ものづくりは辛いし、楽しい。

なんなら曲を聴かせることが一番恥ずかしい。自分の作品を、表現を他人に見せる瞬間は、心を裸にしたようなもんなんだ。誰だって怖いさ。

怖かったら逃げていい。そんな言葉をかけてくれる人が欲しかったのかもしれない。誰かに共感して欲しかっただけなのかもしれない。それはきっと、当時の僕じゃないとわからない。

ただ、これだけは、高校時代の僕に伝えてあげたい。

何をつくってもいいんだ。って。


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