tadanodiary

皆さんこんばんは。

まだまだ寒さ厳しいですが、みなさんはいかがお過ごしでしょう。

外の空気の中に少しずつ春っぽさを感じたり、庭の梅の木が花を咲かせたり、それで去年この木からたくさん採れた梅を梅酒に漬けたことを思い出したり、よく見れば水仙の花が咲いていたり。

そういえば菜の花も咲いていた。

今日はこういうことに気が付けてよかったなと思います。

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Ⅰ.当たり前体操

さて、自分、先日風邪をひいたのか、花粉とかアレルギー的なものなのか分からないけど、咳込むようになってしまって、気が付いたらちょっと悪化して数年ぶりに喘息の発作が出てしまいました。なんかずっと微熱っぽいし、コロナ検査しても陰性だし。

笑ったり歌ったり、大きく息を吸ったり吐いたりすることが苦しくてできない。2、3日こんな状態が続いて、これが今では「今の当たり前」になって、よくまあ歌ったり笑ったりしてたな俺、みたいな感じ。

今の当たり前なんて、本当に明日にはどうなっているか分からないんだなってことに思い至れた。そう思って今の当たり前ってなんだろうと考えると、全部が全部、「今」だけの当たり前で日常はできていることに気が付いて、まじかい、、と何と言ったらいいか分からない感じ。

たまにこうして何かしらの当たり前がなくなった時に、ハッとするもんですよね。ほんでまた少し経ったらそんなこと忘れて当たり前に生きるんですよね。

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さて、もう一つの話。

Ⅱ.ときのあいだ

ありがたいことに二月は予定がぎっしりだったんだけど、こんなことで仕事も数日お休みをいただいたり、今日の予定も申し訳ないことにキャンセルさせていただいたりで、花が咲いていることになんか一目もくれない程忙しくしていた、心を亡くしていた中にポンと空白ができました。

さて、そんなありがたい空白というギフトを、俺は今までたまりにたまっていた「やりたいこと」を少しでも消化するために、家具作ったり建材買いに行ったりとなんかいつも以上にせわしない。「療養します」なんて言っておいて。。(日頃のもやもやが解消されてスッキリしていますが、ちょっと嘘ついている感じがしてなんだかごめんなさい。。じっとしていても苦しいもんは苦しい。)

今日は四時ごろに思い立って崩れかけてた外壁を剥がしてしまった
そしたらもちろんやることだらけ。今日はここまでにしとこう。

それで、俺ってどれだけ時間に追われるように生きているんだろうってなんか不思議になった。今の社会の中で生きている人ほとんどはこれが当たり前なのかもしれない。

それで久しぶりに俺のバイブルというか、大切にしている本があって、「パパラギ」っていうんだけど(知ってる?)、その「時間」の項目を読んだ。

いわゆる「近代文明」を持たないサモア人の目を通して、白人(近代文明、俺らが生きている社会)を見る。「パパラギ」は白人を意味するサモアの人たちのことば。

一部抜粋して載せてみます。

これは重い病気だと考えるしか、私には理解のしようがなかった。「もう少し時間が欲しい」ーー白い人の嘆きの声である。
かりに白人が、何かやりたいという欲望を持つとする。その方に心が動くだろう。例えば、日光の中に出ていくとか、川でカヌーに乗るとか、娘を愛するとか。しかしその時彼は、「いや、楽しんでなどいられない。おれには暇がないのだ」という考えに取りつかれる。だからたいてい欲望はしぼんでしまう。時間はそこにある。あっても全く見ようとはしない。彼は自分の時間を奪う無数のものの名前を挙げ、楽しみも喜びも持てない仕事の前へ、ぶつくさ不平を言いながらしゃがんでしまう。だが、その仕事を強いたのは、他の誰でもない、彼自身なのである。
ところがそのあと、突然時間ができたとする。時間はもともとそこにあるものだし、そうでなくても、誰かがくれたりしてーーパパラギたちはよく、時間を互いに譲り合う。そう、このことほど立派な行いはないとされているーーだが、やっと暇ができたときにはもう欲望は消えていたり、さもなければ、面白くもない仕事で疲れていたりする。こうしてパパラギはいつでも、明日しようと思う。時間があるのは今日だのに。
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たった一度だけ、時間をたくさん持っている人に会ったことがある。この人は決して暇がないとは嘆かなかったけれど、貧乏で、汚くて、卑しまれていた。人々はこの人の周りに大きな弓形を描き、なるべくそばへは寄らないようにした。私には、人々のこういう行いが理解できない。慌てずに歩き、穏やかな、親しみ深い微笑みがこの人の目にはたたえられているのに。私が聞くと、この人は顔をゆがめ、悲しそうに言った。「俺には時間の使い方が分からない。だからおれは人より貧乏で馬鹿な阿呆だ。」この人には暇があった。しかし、彼もまた幸せでなかった。
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『パパラギ』p73~

俺らの当たり前が、当たり前ではない言葉、価値観によって表現されていて。「うわーあるある」みたいな。これを読むと、今日感じたような、いつもの「当たり前」が瓦解するような感覚になれるような気がする。

そうなってやっと、今まで全く見てこなかった事柄に目が行くようになる。考えるのは、それが「幸せ」な状態なのかどうか。。

自分は、いくらせわしなかろうが、いくら暇していようが、それの主導権が自分ならそれでいい、と思っています。なんとなく、誰にというわけでもないけど「やらされている」感じで生きてしまうと、自分の場合はとても幸せでなく感じてしまいます。

でも、反省だけど、たまに「自分が自分の意志でやっている」のに、何かに「やらされている」ような心持になってしまうときがある。なんでこんなに時間がないんだ、とか思ってしまうときがどうしてもある。不満ばかり出てきてしまったりね。

俺が独立して自営業でご飯を食べていきたいと思うのは、自分が人生の主導権を握っているというマインドでいられるから、というのが大きいです。よく、大工界隈では独立して何がやりたいんだ、とか、独立しなきゃできない仕事があるのか、と問われることがあるのですが、「そういう生き方がしたいから」というパッとは理解しがたい理由が正直なところ。

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さてさて。

一秒って尺度が、時間、「ときのま」っていう概念がないって、どんな感じなんだろうね。それで幸せなことも必ずあるだろうし、今その概念を知っているから幸せなこともあるのかもしれない。


さて、明日には病院に行って、このありがたくて有意義な空白を経て前進したマインドで、また元気に歌ったり笑ったりしたいと思います。

みなさんも体調にはお気を付けくださいね。

それでは。

もしパパラギ読んだって人いたら教えて~嬉しいので。

ちなみに職場のベテラン大工さんにおすすめしたら読んでくれた。嬉しかった。菊池らしいといわれた。

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