ひとのあいだ

みなさんこんにちは。

今回もタイトル後付けで書き始めていこうかと思います。結局タイトル決めても全然違う話題書いたりして後で変える羽目になるんですよね。

ノート書くのも久しぶりです。

今日は人と接するときの哲学について考えようかなと思ってます。誰しも、対人関係うまくいくこともあり、たまに逆もあり、悩みの種になったりすることがあるのではないでしょうか。人と接しないで生きることはできなくて、それがストレスになったり、逆にとても嬉しいことがあったりします。

そして、人が人と接する上で大切にしていることは、往々にして人によって違います。先に言っておきますが、そこに正しい、正しくないは絶対にありません。優劣や真偽をつけようとしてしまったとたん、ストレスにもなるし、健全な状態ではなくなると思います。

今日はここに今の自分の考え方を書かせてもらいますが、多分これから先変わっていくだろうし、みんなそれぞれ、自分の考え方を大事にしてやっていきましょうや。

さて、自分の対人哲学は、高校卒業くらいの時にガラッと変わりました。アドラー心理学の本を数冊読んで、その考え方にとても魅力を感じて、実践してみようと思ったのがきっかけだと思います。
今日はその前後での変化や、具体的にアドラー心理学のどんなところがいいのか、少しご紹介出来たらと思います。

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アドラー心理学を知る前

今は知った後の方がしっくり来ているので少しネガティブに書いてしまいますが、要は自分が人にどう思われるか気にしいな性格でした。自分の発言なり行動を後で反省して相手はこう思ったかもしれないとか、こういうこと言ったらまずいかなとか。それでどうふるまったらいいのかわからなくなったりもしていたように思います。今振り返るとそれは少なからずストレスで、自分に自信がなくて自由にふるまうことを恐れていた感があります。自意識過剰だったし、正直、対人関係に少し苦手意識を持っていました。

ここでアドラー心理学の考え方を簡単にご紹介します。心理学というと、フロイトのマザコン話だったり、現実離れした印象を持ちますが、アドラーの場合は臨床心理学で、学問的な理論構築よりも先に現実問題をどのように考えたら解決できるか、ポジティブにもっていけるかということを志向したものです。話の核になるのは、

(1)、他人と自分の課題を分離すること、そのうえで自分にできることに集中し、他人の課題に踏み込まない事

(2)、因果論ではなく目的論

です。順に説明します。
(1)について。これによると、昔の自分が人にどう思われるかを気にしていたことは、他人の課題に踏み込んでいるのでするべきでないということになります。他人がどう思うか、何を考えるかは他人の自由で、それをコントロールしようとしたり、それを気にすること自体がぶっちゃけ無意味だということです。

本当にするべきなのは自分の課題だけです。つまり「自分が相手を」どう思うか、何を感じるか、考えるかです。

自分はいっときからこれに専念することに努めてみようと思って、自分の思っていることは言わない、どう思われるかを気にして自分の態度や行動を変えたりしない、極限まで自分の素の状態でいられるように心がけました。もともと自分の感情を隠したり、「ふり」をすることが全くできないタチだったので、割り切ってこの考え方を実践することは自分に合っていたように思います。

人から良く思われたいというモチベーションも、相手が喜ぶだろうことをしようと頑張りすぎることも、アドラー的には他人の課題に侵入しているのです。そうではなく、自分にできることに集中する、それはつまり(自分的には)自分に最大限正直になることで、自分的にはのびのびと生きることが出来るようになるのです。

ここで、「相手が喜ぶだろうことを頑張りすぎる」こともするべきでないと書きましたが、ここはとても注意が必要な部分です。相手が喜びそうだと予想したり、逆に悲しむだろうと予想することも自分の勝手で、これは自分の課題です。そこに相手に対する期待が入ったり、相手の反応が思い通りでなかったときに落ち込んだりするのは、相手の課題にはいってしまうのでよくないということです。
もちろん、思いやりをもって相手のことを考えて行動するのはとても良いことで、その結果がポジティブなことも往々にしてありますが、常にそうするのでは疲弊してしまいます。自分の課題を考える中で、公共性だったり、時と場のことを考えたり、相手のことを考えたり。そこは無意識であっても総合的に自分の課題をするのだと思います。それが時には思いやりになるのでしょう。

こういう考え方(1)をするようになってから、とても対人関係が楽になりましたし、こういう自分と合う人とは関係が続くし、そうでなければそうでもない、それだけの話だと思います。


さて
(2)の因果論でなく目的論
について。

どういうことかというと、自分が今感じていること、考えていることは「過去の何かが原因となってそれらを形成する」のではなく(因果論)、「これから先に自分が志向する未来があって、それを実現するために過去の出来事をラベリングし利用することで形成している」ということです(目的論)。

もう少しわかりやすいように、本の中にあった具体例を出してみます。

因果論では、過去を言い訳に利用するということが起こります。
例えば、過去の出来事がトラウマで不登校になってしまった生徒がいたとして、今の言い方は因果論的言い方です。
目的論では、その生徒は過去の"他人の介入を許さないトラウマ"を盾にすることで未来に自分が傷つくのを回避しようとしていると解釈するそうです。

この考え方を取ることは、過去に縛られず、今自分がどういうことを考え、行動するかは自分次第でいかようにもできるというポジティブな考えにそのままつながりますし、
自分が変えたいと思っている部分を変えられない理由があるとしたら、それは別の目的のために作り出した言い訳でしかないということになります。これだけでもかなり前向きに生きられると思います。

過去はただの情報で、それをどう解釈するか、位置づけるかが重要で、それは今この瞬間に自分が判断できるのです。主導権はすべて今の自分が握っているという考え方は個人的にはとても好きです。

過去がどんなものなのか、それは今の自分が決めるだけなら、どんな過去だって、今の自分が前向きになれるように、今決めちゃえばいい。

それで自分は、今の自分が好きなら、今の自分を作ってくれている過去の全てに対してなんとなくありがたく思うようにしていて、
なるべく今、今の自分を好きでいられるように生きています。

人生いろいろあるけどね。

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はい、というわけで今回は対人哲学について今思っていることを書いてみました。こういう話は、これから先もいろんなことを経験して、形が少しずつ変わっていくような、そんなものなのかなと思います。

後でこの文章を読んで、未来の自分はどう思うのか、楽しみです。


読んでくれた方、ありがとうございました。

ではまた。



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