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本当はどうしたい?何を感じていたい?
わたしも誰しも、気になっていることがあると友人や家族、話せる相手に話す、相談する、きいてもらいと思う。
何か解決策が欲しいのかもしれない。あるいは単にきいてもらいたいだけかもしれない。ほんとうのところは、ただ話したいだけなのかも?
自分とくっついてしまった「そのこと」や「問題」を話すことによって、自分から離す。放し、放つ。
「家族が」「仕事が」「お金が」「世間体が」…わたしたちはなんだかんだ理由をつけるのが大好きで。
でも、それをとっぱらったら?
全部の限定する条件を外したら、何したい?どう感じていたい?
だったら、あなたを限定しているものってなんだろう?
いきなり条件を外すのはまだ、こわいかもしれない。けど話すことで何かしら、感じられるんじゃないかな。
わたしが何かを解決できるわけではないし、本人であっても解決できる訳でもないかもしれない。そもそも「問題」が「ほんとうの問題」ではないかもしれない。
最近、家族の介護についての悩みと愚痴を書いている同級生の投稿を見て、帰省ついでに久しぶりに会えるかな、と連絡した。介護や身内の世話について、わたしが話せる経験は何もない。祖母は施設で、母は病院で、ふたりとも直接介護することなく亡くなった。まだ元気な父はそのときはきっと突然あちらに行ってしまいそうな気がしている。
be with きいて・いるを学んだり、仲間たちにきいてもらったことがわたしの中では大きな自己受容と自己肯定感に繋がっている。わたしにできるとしたら、その在り方で友人に寄り添うこと。
友人の中になんとなく「こうでなくちゃ、こうありたい」があるような気がしている。自分由来ではない誰か目線に従った、こうでなくちゃ。それをずばり指摘しちゃうのがこれまでのわたしだったけどw、今なら少し前とは違うかなぁ。本人の中で何か気づいていけるように、そのことを信頼して一緒にいれたらなぁと思っている。
答えはすでに自分の内にある。
わたしができるのはそのお手伝い、だけ。
「ハートでつながる、ほんとのコミュニケーション」
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