イエナカで楽しいこと集めてみた vol1

イエナカで楽しいこと集めてみた。個人的にこれはと思うものだけを収集したもの。

◯あつまれどうぶつの森

言わずとしれたnintendo switch のゲーム。オンラインでつながる(ゲーム内インターフェイス、チャット、ニンテンドーオンラインアプリでのボイスチャット)。経験として、自身もしくは自信を取り巻く環境の「変身」というところに重きを置いているゲーム。つまり「現実または願望の投影」提供しているゲームと言える。ただし、フォーマットがSwitchのみに限られることから、常につながっている、フォーマットに縛られない、というメタバースの条件が外れているため該当しないが、ある意味、つまり、デジタルとフィジカルが融合しているという点においては「メタバース的」であると考える。その他、いくつかメタバース的な視点の種があり、自身でファッションクリエイト(お絵かき)が可能であること(つまり自己表現の多様化、詳細化)により自身の理想的な姿、それが一時的であれ最新の理想であれ、変身ートランスフォームを叶えることができる。もう一つはベル、現実社会で言うところの金銭のやり取りが可能であること。どなたかは忘れたけどTwitterで他愛もない会話としてあったこととして、「”ベルを上げるから布団畳んどいて”と、息子が娘に依頼していたのでベルのやり取りを禁止した」という投稿があったが、非常に示唆に富む発言であると思う。
一人やっていると2~3 時間なんてびっくりする勢いで過ぎていくから、イエナカで余暇時間をつぶすのに最適なゲームと言えるが、それだと余白と言うより無駄な時間の使い方に近くなるため、余白をより有効的に使うためにもソーシャルでつながって楽しむことをおすすめする。

◯フォートナイト

無料であり、かつユーザにとって「強い武器」に価値を置く(つまりそれにお金を払う=ゲーム内でものを買う)ことに意味を置くのではなくて、経験として「服や武器のファッション(つまり主義の主張)をアップデートする⇒人に見せたい」というところに価値を変えたことが、まず僕的には衝撃だったなと。あとは、まだそこまでやり込んでないのでわからないのですが、上記のメタバース記事で言われてたようなユーザ同士のコミュニケーションツールがどういう役割で提供されているのか?も、もしかすると、従来のゲーム内でのコミュニケーションとは(フォートナイト全体を見たときには)意味が違ってる可能性もあるんじゃないか?また、先日トラビス・スコットのライブがフォートナイト内で行われたことも記憶に新しく、新しい体験を提供している。
こちらはどうぶつの森と違って、一人でやってても非常に有益な効果が得られる、というのもTPSというゲームの性質上、視覚・聴覚・動体視力・反射神経・戦略的思考が鍛えられる。家でいるのに体力以外はサバイバーとしての感覚が鍛えられるのである。

◯ハレ晴レユカイ(平野綾さんバージョン)

https://twitter.com/Hysteric_Barbie/status/1254255212555976704?s=20
ハルヒ好きな自分としては大変感慨深いものがあるとともに、楽しさやエクササイズ性があって、見ているだけではなく実際に踊りたくもなてくる。もちろん39歳の自分が踊ったところで家族にもそしてそれを投稿しようものなら閲覧数3でかつ黒歴史が刻まれることになり39歳でそんな目にあいたくないため、踊らない。アニメ放送時はニコニコにももちろん大量に「踊ってみた」がアップされていてご多分に漏れず僕も拝見していたが踊ったことはないしこれからも、踊らない。ちなみに杉田さんバージョンもある。
https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/2004/27/news064.html

◯RSSリーダー

どっかでも書いたけど、必須。暇つぶしにも必要な情報を仕入れるのにも使えるけど、暇つぶしに特化して考えるのもあり。暇つぶし、つまりスキマ時間をつぶすものである。これもどっかで書いた気がするけど、僕のおすすめは”Reeder”っていうRSSリーダーアプリ。スマートフォンAPPもある。Feedlyを連携して使っている。ただ待て。スキマ時間とはなんだろう?今まで、つまりCOVID-19による暴力的なオンライン化になる前まではスキマ時間は大量にあった。つまり、朝家からオフィスへ移動するスキマ、お昼ごはんと食べ終わってから仕事に戻るまでのスキマ、お客さんのところへ移動するスキマ、オフィスから、場合によってはお客様先から家に帰るスキマ。家族と過ごして夜ベッドに入るまでのスキマ、ベッドに入ってから寝落ちするまでのスキマ。その他いろんなスキマがあったように記憶しているけど今やそれも定かではないくらいに変化している。これは僕の中で本を読む時間が減ったことと同じ現象で、そもそもスキマというものは意図せずできるものとして認識していたが、その意味が変わったのではないだろうか?意図的にスキマを作る。意図的な余白を作ることはよくあることだけど、意図してスキマを作るとはどういう意味になるのか?それはスキマではないのだろうか?スキマとはつまり隙間である。weblio 掲載の三省堂 大辞林 第三版(https://www.weblio.jp/content/%E3%81%99%E3%81%8D%E3%81%BE)から一部拝借すると、物と物、もしくは用事と用事の狭い間、という意味のことが書いてある。ここで該当するのは用事と用事の狭い間だろう。上記で例とした一日の行動のスキマがそれにあたる。その上でスキマ時間という言葉を考えると、隙間にたいして用事と用事の狭い間に加えて暇というスパイスを入れることでスキマ時間となると僕は考えている。つまり一般的な意味に照らし合わせて僕の認識だとスキマ時間=暇な短い時間、というふうに捉えられる。その意味で本来的にはそこには用事が入る余地はなく、同じように思考時間を入れる余地はない。狭い=短い時間である。という意味で上記のとおり暇つぶしということばをスキマ時間をつぶすことと置き換えていて、その使い方は正しいと思われる。そして、カシコイヒトタチが言っているように、スキマ時間を有効に使うというのは本来的な隙間に暇を加えたスキマ時間ではなくて、そのスキマ時間の意味を変えろということである。という意味をスキマ時間と捉えると、スキマ時間というものが圧倒的に減っていることは確かだ。だから意図的にスキマ時間を作る必要があるんだけれど、上記で上げたスキマをすべて確保しようとするとそれはもうスキマではなくて用事である。だから先の意味を考えるとスキマではあるがそれはスキマではなく意図されたスキマであることが重要になってきて、スキマの意味が変わる人が多くなるのは間違いないわけで、総じて考えると人類のさらなる底上げが期待される。もう一つ。スキマ時間と関連しそうで関連しないんだけど、このオンラインの世界にあってPCを弄んでるときに仕事しながら視聴可能な体験を提供するサービスの需要が増えるはずだと思う。身近なところだとラジオやpodcast、オンラインセミナーが該当する。僕が見てる狭い範囲ではあるが最近になってもオンラインセミナーが19時以降に開催されていることが多いが、これは朝の10時とかからやるべきではないだろうか。

スキマ無く考えずに書いてたらまったく何の話だったかはわすれたけど、たぶんRSSリーダーの話しだったはず。まあせっかく家でいるんだったら、定期的に、例えば、仕事前、お昼、夕方、仕事終わり、くらいで見ておくと中々楽しいですよ、という話。

まだ楽しいことはいっぱいあるので分けて書くことにする。

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