本当にそのものの体験はそこで終わりなんだろうか

大げさなタイトルを付けてはみたけど、単なる商品レビュー。レビューというまでもいかないけど使った感想。

7,8年使ってきた炊飯器が壊れた。結婚したときに購入したそれなりに良いお値段がした国内電機メーカーの炊飯器だ。国内電機メーカーと書いたが今はもう手の届く場所に炊飯器が無いのでどこのメーカーかわからない。長年使ってきたがメーカーやブランドを意識したのは購入したときだけだし、その炊飯器でなにか特別な体験が得られたかというとそうでもない、前に持ってた炊飯器よりも美味しいはずのご飯が炊けるという程度の代物だったからだ。

まったくもって不憫な最後を迎えたものだ。壊れ方はそんなに悲惨なものではなかったけどこの代物にふさわしく、洗おうとしたら内蓋のプラスチックらしい部分のツメが折れて機構が機能しなくなった、という哀れなものであった。

ある意味、経年劣化や洗浄時の衝撃におけるそのモノ自体の寿命だったんだと思う。というのもその内蓋のところ、国内電機メーカーの製品の殆どがそうだと思うんだけど、やたらと複雑な機構が施されているようで、非常に洗いづらい。僕の傾向として、見えないところも洗いたい。潔癖症ではないけれど汚れているところが洗えないのが非常に気に食わない。

持っていた内蓋も非常に洗いづらく、というか洗えなくて実は見て見ぬ振りをしていたんだけど、よく見るとなんかよくわからない汚れがついている、というかはみ出してきている。という非常に不愉快な感じになってたので、その機構をこじ開けて洗ってやろうと思ったら壊れた。壊れたのが夕方。夕方に壊れたら夜にご飯が食べれないじゃないか、ということで家族にはなんとか隠そうと思ったんだけど、どう考えても付くはずの部品が付かないため白状して嫁に言うと「今日はル・クルーゼで炊きゃいいんと違うか?」と。素晴らしくできた嫁だなと思いつつ、嫁に任せて炊いてもらうとこれが非常に美味しかった。

自分自身が機能主義的なところを持ち合わせてるので妄信的に国内電機メーカーの炊飯器を(一人暮らし始めてからずっと)使っていたんだけど、鍋で炊いたご飯を食べてみて、本竈・鍋で炊いたご飯を打ち出す気持ちもわかった。嫁も娘も同じように美味しいと感じたらしく、いたく気に入っておられた。

というわけで偶然ながらル・クルーゼという鍋でご飯を炊いたらめっちゃ美味しいよねと言うのが家庭内での共通認識となったが、毎日これで炊くのも手間がかかるよねということで、やっぱり炊飯器を買おうということになったわけだ。

嫁の希望としてはル・クルーゼ的な鍋のような感じのもので、僕の希望としては複雑な機構じゃなくつまり洗いやすい構造になっている、というところ。壊した/壊れた経緯やそれまでの気になってた点を解消できることを考えるとここだけは譲れないポイント。で、ここからいつもだったら色々調べてみようかとなっていくつかの候補から選ぶことになるからとりあえず調べようと思ったんだけどパッと頭に浮かんだのはバーミキュラ。広告なのかInstagramなのかメディアなのか何で見たのか覚えてないけどとにかく最初に浮かんだのはバーミキュラ。正直この時点でもう勝敗を決していたと言っていい。実を言うとバルミューダはちょっと見たんだけど構造を比べるとバーミキュラだった。

というわけで、バーミキュラのライスポットを購入。

バーミキュラの素晴らしいところはいくつもある(し、サイトにも書いてある)が、その中でも僕が気に入っているのがお手入れである。サイトには一文程度しか載ってないけど。上にも書いたように僕にとってお手入れは重要なポイントだし、なんならお手入れこそがご飯の美味しさを左右すると言っても過言ではないと思っている。なぜなら、炊飯器は電子機器ではなく炊飯器であって、つまり電子機器ではあるがそれは付随的に電子機器になってしまってるのであるからその炊飯器として現出する機能自体がしっかりしていないと美味しいご飯が食べられるはずがないじゃないかと思う。

自宅でご飯(お米)を食べること体験は、炊いてよそってご飯を食べるまでではなく、もちろんそれからも旅が続くわけだ。当たり前のことなんだけど上記に上げたような良くない製品は(多少は考えられてるにしろ)炊飯器を使う人がどのように使うのか?どのような点が気になるまたは困る点なのか?どうなっていれば嬉しいのか?をしっかり考えられて無いんじゃないかと思う。今までの炊飯器は使っててそれがすごいわかった。自らご飯炊いたこと無いし炊いたことはあったとしても洗い物は付属的なものとして考えるかそもそも洗い物をしたこと自体無いんじゃないかと。

考えるべき重要なポイントの、一つは洗いものというアクションに対して。もう一つはより長期的な視点での使用について。美味しいごはんを食べたいと言うのは当たり前の話だし、炊飯器に求められる機能としては優先的に考えられるものだろう。しかしデザインと同じように今全ての炊飯器はある一定以上の美味しさを実現できているものだと、いち消費者として思っているしつまりそれはある程度米の品質に依存するものだろうと思っているし、炊きたてかどうかでも決まるだろうし食べたことも無いような竈とか鍋とか言われても正直わからない。いや美味しそうでは有るけれど。美味しさを訴求するのも優先度は高いけど、体験を考えるとそれを本来的に優先的に考えるべきもの解決すべきものと捉えるのはもう全てが美味しいものであるという前提で考えても後回しで良いと言って差し支えないのではないか。それよりも当たり前のように考えられている「どうせ汚れるものだから」「洗えば良い」をもっと深堀りして考えた上で、ご飯(お米)を食べることの旅をより広い視野でより循環的なプロセスを考えるのが良いのではないかと思ってる。つまり食べたら洗うし洗った後は食べるのだ。

「ご飯」を「炊い」て、「鍋」を「洗っ」て「保管する」。それだけのことをどれだけシンプルにかつ深く考えることができるのか。それを使う人がどのような人でどのような使い方をしていてそれぞれのタイミングで具体的にかつ詳細にどのような課題を抱えていて嬉しい体験を提供するにはどのような解決方法を提示すればいいのだろうか?それが根底に流れる部分であり、それ以外の行動や感情/情動は余計である。1を以て追加するなら1を以て引かないといけない。

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