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助けるとは痛みを背負うことではない

PM17時37分(昨日の話です)
東京の町田まで来ました。

ゴールデンウィークの3日ほどかけて移動してきた横断の旅も明日が最後です。

「助ける」について話をします。

心や体にまつわるお仕事をしていると、出会う人がみんな本当に優しいのです。

だからこそこの話をします。

出会ったほとんどの人が、困っていたらすぐ手を差し伸ばしてくれます。そしてできる限りのことをやってあげたいと思う方ばかりです。

私はそういった心根が温かい人が好きです。そして自分もそうありたいと思います。

しかしその一方で「どこまで人を助けるか」の境界線の重要性についてもよく考えます。

まずはじめにタイトルのように「助ける」というのは「痛み分け」では決してないということです。

私にとっての「助ける」とは、「自分が得意なことで負担の少ないことを、それが苦手と感じる人に代わって、必要なぶんだけお手伝いする」ことです。

だから「欲しい。必要です。ください。」と言われない限りやらない、というのを決めています。

自分からおせっかいをやくときもあります。その時は「おせっかいやきたいんですが、必要ですか?」と聞くようにしています。

たとえばですが、私だと深層心理の読み解きが好きで得意です。なのでよく人の話をじっくり聞いて思考や状況の整理をしたりします。

特にわたしはこれをお仕事にもしているからこそ「痛みを引き受けようとしない」ということを意識しています。

私たちは「相手の気持ちを察しましょう」とか「協調性をもって行動しましょう」と教えられてきました。

なので気がつけば、相手の痛みや苦しみそのものを一緒に分かち合おうとします。

これは私のようにカウンセリングやコンサルの場ではない、普通の人間関係でもよく起こります。

心根の優しい人ならなおさらよく起こります。

「痛みを背負ってよ。友達でしょ?家族でしょ?(このような言葉ではなく行動で示されるケースが多いです。)」というような身近な人が、生きてたらでてきます。それは私たちに余裕があるときにでてきます。

余裕があるからといって、引き受ける必要も一緒に背負ってその重さを共有する必要もありません。

だからと言って無視をしたり冷たい態度をとる必要もありません。

ただにっこり笑って、引き受けない選択をしてください。


もしここまで読んで、あなたが今までの人生で引き受けてきた数知れない痛みに気づいたなら。

この文章を読み終わる時に、その役目を終える選択をしてもいいのかな、と思ったりもします。

(943文字)


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