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東京都現代美術館『開発好明 ART IS LIVE ―ひとり民主主義へようこそ』は自分向けじゃなかったなという感想

先日東京都現代美術館『開発好明 ART IS LIVE ―ひとり民主主義へようこそ』を見てきた。面白い作品、活動もあるなと思った一方で、なんかあまり自分には合わなかったなと思ったのでそのことについて書いておこうと思う。

特に東日本大震災に際しての活動が紹介されていたが、それがあまりにも自分向けではなかった。政治家の家という活動では、福島第一原発の当時避難区域であったところから政治家に現地で考えてもらうための家を用意して、政治家に招待状を書いたというもの。それに合わせて、次に政治家が訪れてほしい場所に観客がシールを貼る作品になっていた

私の実家は山形で、つい先日豪雨の被害に遭ったばかりだった。おそらく1番直近の大きな災害だろう。それでも山形にはシールは1枚もなかった。そうしたことが被災者やそれに近い人に可視化されることを考慮されていないように思えた。悲しい思いに苛まれながら、別に政治家に来てほしいと思ったわけでもないがシールを貼ってきた。

『政治家の家』より

どの活動もこんな事をした!で投げっぱなしで終わっていてその後どうなるか結果を示したような作品がなかった。

あくまで自身がパフォーマンスについて注目してもらえればよく、外側からの視点でいかにパフォーマンスに落とし込めるかというように見えてしまった(そんなことはないのだろうけど)。

排除されることを求めてパフォーマンスを行った記録もあった。排除されてもデモすることに価値があるとして多くの人を動員して活動しようとようなことはやはりあまり良く思えなかった。

サブタイトルの「ART IS LIVE ―ひとり民主主義へようこそ」のひとり民主主義という言葉も、活動したことで自分の意見を通そうとして自分の思い通りにならないことを「民主主義の敗北」というように言われているのが思い起こされた(言いがかりなのは百も承知)。

この展示を見たあとに高橋龍太郎コレクションで見た、震災で破損したランプを刺繍で修復した作品は、震災に対しての活動を促すわけではなく、優しく寄り添うような感じがして好みだった。

竹村京の作品

そうした自分の思想や好みを考えるきっかけになる展示だった。それでは。


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