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渚にまつわるエトセトラ

 僕の通っていた小学校では、海辺の施設で宿泊学習を行っていた。たしか8、9歳のころ、その日は曇っていた。
 夕方から海辺を散歩し、夜には施設の裏での森で肝試しを行う。

 海辺を歩き始めると、すぐに皆あることに気がつく。前日に嵐でもあったのか、数十羽という単位の海鳥が浜に打ち上げられて死んでいた。
 僕のことを好いてくれていた女の子が、「懐中電灯が壊れたからアンタと一緒に歩くわ!」と漫画みたいなことを言いながら腕を組んできた。
 海鳥の死体の間を進むうちに、今度は大きな海亀の死体を見つけた。死後しばらく経っているらしく、その体はスポンジ状になっていた。
 曇って鈍く灰色を帯びた海岸には、小学生に見せてはいけないほどの死の気配が立ち昇っていて、その後に行われた肝試しでオバケの格好をした先生がなんだか滑稽に見えた。

 家族と行ったどこかの海岸で、幼い僕は大きな二枚貝を拾う。その貝はまだ生きていて、ずっしりと重かった。塩水で満たしたガラスのコップに貝を入れていたらあっという間に死んでしまい、悪臭を放った。海の生き物を適当に作ったコップの塩水で飼うのは当然不可能だが、幼い僕はそんなことにも気がつかなかった。
 また別の海辺には多孔質の岩があった。小さく綺麗な色の魚が波に運ばれ、その岩の穴にできた小さな水溜りに囚われていた。僕はその様子を友人と見る。さながら、自然が生んだミニチュアの水族館のようで美しかった。
 そのうち、真夏の太陽は小さな水溜りを温め、魚は死んでしまった。魚の目が白く濁っていき、腹を上に向けて浮かんでくるまで、水が温まっているなんて思ってもみなかった。

 渚は「生成と消滅のトポス」だと、誰かが言っていた気がする。ガストン・バシュラールだと思って『空間の詩学』をパラパラ読んでみたけれど見つけられなかった。

 アルフォンソ・キュアロン監督の『ROMA』はまさにそのような場所としての渚についての映画ではないだろうか。冒頭、地面を洗う泡立つ水が波のように繰り返し流される。上空を飛ぶ飛行機が水に映る。その飛行機はメキシコから何処かへ行くのか、何処かからメキシコに戻ってくるのか。毎日何十機と行きつ戻りつする飛行機もまた渚のイメージと連なる。
 中盤、「血の木曜日事件」が描かれる。虐殺されることになるデモ隊の行進はまさに人の波であり、血の渚である。
 終盤、渚そのものが映し出される。子どもたちが溺れたのではないかとクレオは不安になり救けにいく。子どもたちが水に姿を隠されているあいだ、クレオにとって彼らは生と死の狭間にいる。
 このような渚は単なる反復ではなく、その往復ごとに異なる記憶を含み込んだ不可逆的なものである。一つの波が僕を、彼らを攫うとき、もはやそれ以前の世界に安住することは不可能になる。そういえば映画の中で車に乗って何処かへ行った家の主人が戻ってくることはなかった。

 不可逆の波に打ち上げられて、僕に見つけられたことで、浜辺の貝も小さな魚も死んでしまった。

 主人を失った巻貝は、浜辺ではありふれたものだ。それを耳に押し当ててみれば、くぐもったさざ波の音が聴こえる。貝は死してなお、故郷である海の記憶を宿している。
 しかし、だとするとタトリンの《第三インターナショナル記念塔》のような、ロシアアヴァンギャルドの革命の理念を表現した建築物が螺旋状なのはある意味では皮肉だ。記念塔が結局模型しか作られず、現在の僕たちからしたらロシアアヴァンギャルドやソ連の建築などがむしろノスタルジーの感覚をかき立てるのであるとすれば、それは意図されたであろう螺旋の上昇イメージよりもむしろ空になった貝殻に近いと言える。
 カバコフの《プロジェクト宮殿》もまた螺旋だが、この作品は徹底してそのノスタルジーや、失敗を運命づけられた革命的イメージの儚さに自覚的である。螺旋が描くユートピアへの道のりは、貝殻から聴こえるさざ波のように現実には存在しない谺なのである。

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カニ 食べ 行こう
はにかんで 行こう
昼でも 夜でも
縮めて 距離をもっと

 「渚にまつわるエトセトラ」のこんな他愛ない歌詞が、ユートピア的郷愁をかき立てるときが来るなんて想像すらできなかった。 日々は渚のように繰り返されると思っていたけれど、距離を縮めてカニを食べはにかむような日常は当分訪れそうにない。 PUFFYがこの歌を歌っていたのは1998年ころ。海鳥の骸が転がる浜辺であの子が腕を組んできたのは99年ころだった。

 革命や運動は往々にして致命的な結果をもたらすが、死した貝殻から聴こえるそれらの残滓に耳を傾けることを忘れないようにしたい。

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