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表出する自分を選ぶ

あなたは、どういう自分でありたいだろうか。
相手に、どういう人だと思われたいだろうか。

最近のわたしのテーマは「選択」と「責任」。
休学、海外インターンシップ、就活、人間関係。さまざまな出来事が積み重なって、この言葉たちを意識するようになった。
"最近のテーマ"と言いつつ、実は幼いころから考えていたことが意識されはじめただけなのかもしれない。

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人にはいろいろな面がある。

就活中、性格検査でチェックを入れた、明るい、真面目、計画的、バイタリティに溢れている、理屈っぽい、などなど。

小学生のときに流行った、血液型別の診断書のような本。

無意識的に貼ってしまう、この人はこんな人だよねというレッテル。

誰かの性格を思うたびに浮かぶ形容詞は、果たして本当のその人を映し出しているのだろうか。


人にはいろいろな面がある。

その時々で、自分の中にあるどの面を選ぶのか。
それによって、どういう自分になっていくのか。
それによって、相手にどう思われるのか。

表出させる面を自分の好きなように「選択」すること、それによって自分や相手に与える影響を考えること、その影響まで受け入れる「責任」を持つこと。

これが、自分らしい人生を歩むうえで大切なんじゃないか、と思う。

「あいつ今まで遊びほうけてたのに、就活して変わったよな」
「彼女とっかえひっかえしてたのに、今の子と続いてるよな」
「隠キャだったのに、大学デビューしたよな」

変わった人に対して文句を言う人がいる。自分が思っていたその人と違うだけで、勝手に違和感を覚えるのだろう。

『嫌われる勇気』の第三夜に、「課題の分離」という項目がある。

自らの生について、あなたにできるのは「自分の信じる最善の道を選ぶこと」、それだけです。一方で、その選択について他者がどのような評価を下すのか。これは他者の課題であって、あなたにはどうにもできない話です。

アドラーは、
「他者の課題には介入せず、自分の課題には誰ひとりとして介入させない」ことが、対人関係の悩みを一変させ、自分らしく生きるために必要なことだと言う。

自分が変わりたいと思ったなら変わればいい。自己の課題と他者の課題を分離できずにあなたの課題に踏み込んでくる人がいたとしても、気にしなくていいのだ。


わたしが大好きなアーティスト、Nissy。AAAの西島隆弘さん。

彼はSMAPが大好きだ。解散が発表されたとき彼はソロツアーの真っ最中で、MC中にSMAPについて言及してくれた。

「信じるって大変だけど、大事なことだから。そして信じた側にも信じた責任があると、僕は思っています」

うろ覚えだけれど、こんなようなことを言っていた。

信じることは自分の課題。だから信じた相手が自分の願いと違う行動をとったとしても、それは裏切りではないのだ。Nissyはそれが言いたかったのだと思う。


新海誠さん。先日『天気の子』を観て、そのあと小説も読んだ。
本編も素晴らしかったが、わたしはあとがきにも感銘を受けた。

教科書とは違う言葉、政治家とは違う言葉、批評家とは違う言葉で僕は語ろう。道徳とも教育とも違う水準で、物語を書こう。それこそが僕の仕事だし、もしそれで誰かに叱られるのだとしたら、それはもう仕方がないじゃないか。

『天気の子』を好きなようにつくるのは新海さんの課題。それを読者がどう受け取るかは、彼の課題ではないのだ。


最初に戻ろう。

わたしは、経験した出来事、出会った人々、本や映画などの触れたコンテンツに影響されて、いろいろな自分になっていると思う。

明るい自分も暗い自分も、真面目な自分も面倒くさがりな自分も、優しい自分も冷たい自分も、たしかにぜんぶ存在している。

その時々でどの自分の面を表出させるのか、それは自分で選んでいい。どれを選ぶかによって結果も変わるかもしれなくて、でもそこにも責任を持っていればそれでいい。

自分で選択し、その選択によって生じた結果に責任を持つこと。
自分の課題として捉え、他者に理不尽に踏み込まれても気にしないこと。

それがきっといちばん大事。


おわり

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