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俺のサウンド「フリッパーズ・ギター」パート1

なんか変なタイトル付けちゃったまぁいいや   このタイトルの元ネタはフリッパーズギターが  雑誌「宝島」の連載「フリキュラマシーン」で彼らが愛するイギリスのバンド「オレンジ・ジュース」のアルバムが再発された時に「俺のサウンド!   オレンジ・ジュース!」という見出しで宣伝文が載ってたやつからの引用、いや サンプリング
いやさ、オマージュw
ツイッターのフォロワーさん達の影響でnoteを始めてみようかと思ったんでけど、いざ何を書こうかと思っても自分は文章力とか語彙力がないので皆さんのような立派な文章は書けないっす・・ うーむ
じゃあ何を書きゃいいのよとなって大好きなバンド「フリッパーズ・ギター」しかねえかなぁと思った。 
コーネリアスこと小山田圭吾とオザケンこと小沢健二の(1stアルバムは5人組だった)のバンド
ファンの皆さんは「パーフリ」と呼んでたりしてる「パーフリちゃん」とはあんまり言わないかもしれない
この愛称「パーフリ」も音楽雑誌「GB」の連載「月刊 小沢と小山田」で バンドの愛称をどうすっぺ的な企画で読者の投稿から決まったと記憶しているんだけど、他に「フリギ」っていうのもあったけど「なんか宮沢賢治みたいだな」ってメンバーは笑ってた。
89年にメジャーデビュー して91年に解散。オリジナルアルバムは3枚たかだか3年の活動期間で大ヒットしたバンドでもないけど今だに「渋谷系といえば 」な存在。
でも彼らが活躍してた頃は「渋谷系」という言葉はなくて「ネオアコ(ネオ・アコースティック)」と言われてたし、自分に「ネオアコ」という音楽ジャンルを教えてくれた存在だった。彼らがきっかけで「プリファブ・スプラウト」や「アズテック・カメラ」「オレンジ・ジュース」「ルイ・フィリップ」など上げればキリがない数のアーティストを聴く事はなかったと思う。
一番最初に存在を知ったきっかけは雑誌「ロッキン・オン・ジャパン」で1stアルバム「three cheers for our side~海へ行くつもりじゃなかった」の記事で、まずは彼らのファッションに目が止まって、ベレー帽、ボーダーシャツ、ポロシャツ、チノパン、ローファー、短パン、セーターを肩に掛けて袖を胸元で縛るスタイル(よくドラマでTVディレクターがやってたあれ)で、89年のバンドブームのいわゆるロックなファッションではない雰囲気が新鮮に見えた。紹介文には彼らの音楽性を表すのに「モノクローム・セット」や「フェルト」「ハーパーズ・ビザール」といった知らない洋楽のバンド名が羅列された文章だった。
初めて曲を聴いたのは映画「オクトパスアーミー/渋谷で会いたい」
の主題歌「Friends Again 」のPV(当時はMVではなくPV=プロモーションビデオとよく言ってた)がTVの映画紹介で曲がかかってたのを観たり、ロッテの「ブラック・ブラック・ガム」のCMソングだった「 Happy Like a Honey bee /ピクニックには早すぎる」が初めてだと思う。でも最初は「なんかお洒落で、お坊っちゃんっぽいバンドだなー」っと思っていた。89年当時に好きだったのは「ストリート・スライダーズ」「ブルーハーツ」「川村かおり」「ボ・ガンボス」「ニューエスト・モデル」「忌野清志郎」等が好きだったので、そういうアーティストとは真反対のイメージだったから「ふ~ん こんなバンドもいるんだ~」くらいの印象だった・・
でも!でも!でも!  
90年の4月20日に頭をぶん殴られるくらいガツンと来た曲と出会う。
緒方直人主演のドラマ「予備校ブギ」の主題歌になっていた、彼らの代表曲となる
「恋とマシンガン」だった  
イントロの「ダバ ダバ ダバ」というスキャットから始まって「真夜中のマシンガンで 君のハートを撃ち抜けるさ」という歌詞に文字通りにハートを撃ち抜かれてしまったw   
未だになんで心を掴まれたのかはわからない。
シオンやエレファント・カシマシが好きなはずなのになんでなの?
と思った  
「恋とマシンガン」のリリースの90年の5月(放送から1ヶ月後だったんだと検索してわかった)に「真夜中の~」と周りの人にばれないように絶唱しながら自転車を立ちこぎで近くのCDレンタル屋に「恋マシ」のシングルを借りに行ってカセットにダビングしたのを本当にテープが伸びるほど聴きまくった。
カップリング曲の「Haircut100~
バスルームで髪を切る100の方法」
も本当に最高だと思った 
洗練されたギターサウンドと映画的な歌詞の世界、タイトルのセンスや「コンテンポラリープロダクション」の信藤三雄のデザイン(そんなに好きなら買っちゃえばいいのにレンタルで済ませてしまったのでレンタル屋でジャケットだけを見てた)も最高に生かしてたし、この世界観にとにかく憧れた。
そうは言っても「ストリート・スライダーズ」や「川村かおり」も大好きだったし「宝島」も毎月買って読んでたし、TVで「イカ天」や「夜ヒットR&N」「ミュートマ」を家にビデオデッキがなかったから、目に焼き付けるように観ていたし、仙台ローカルのラジオの音楽番組を貪るように聴いてたりしていた。
「パーフリ」一色ではない感じだったんだけどね
そんな感じで、いつも耳をすまして音楽を聴いている仙台に住む17歳の僕がいた。
(さりげなく名曲 「3AM・OP~午前3時のOP」の歌詞の引用を恥ずかしくもやってみる)
とりあえずパート1はこんな感じ

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