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ナウシカじゃないけど、風に乗った気になってみる

未来先取りマインドマップ

こちらの企画
他の方のマップを見せていただくのみで
不参加のつもりでいましたが
最近になって、こうなったらいいなぁという夢を思い付いたので
簡単ですが、書き出して参加させていただくことにしました。

1.あなたはどんなことを成し遂げましたか?
長年飲み続けた大量の薬を、飲まずに生活できるようになりました。

2.なぜ、それをしようと思ったのですか?過去に大事な断薬の機会を逃し、そろそろ副作用が寿命に関わるフェーズに突入してきてしまったからです。親より長生きしたいと思いました。

3.それを達成してどんな変化がありましたか?
何十年ぶりに薬に頼らず生きられる身軽さを感じています。
「生かされている」のではなく「生きている」感覚が、細胞レベルであります。

4.あなたの行動は誰を幸せにしましたか?同じ病気で似たような経過を辿っている人に希望は与えられたかもしれないです。
身内も少し安心させてあげられたと思います。

5.過去の自分にどんな言葉をかけてあげたいですか?
発病時に、あと数年で出てくると言われて期待していた特効薬は30年経っても出てはこないこと。飲んでいる薬はどんどん依存性が出て断薬しづらくなるし、次々に副作用が出てきて生活の質が下がっていきます。自分で自分を治す覚悟を決めるしかないです。

6.過去の自分に送るとしたら、どんなヒントを送りますか?
あらゆるものへの依存性について見直して、軽やかに生きることが大切。
本当にそのヒトやモノやキオク、私の人生に必要ですか?
まずは自分、ということを、肝に銘じていて下さい。


以上です(笑)

以前も何かの投稿に書いたかもしれませんが
ここ数年の間に医師から言われる言葉がガラッと変わりました。
病気によく効く強力な薬を飲み続け症状が落ち着いてさえいれば
「問題ない」と長年言ってもらえていたのに
その薬の副作用自体が死因に繋がる段階に入ってきたということ。
できるだけ早く断薬を目指すべきということ。

代替の免疫抑制剤など試してみることになりましたが、実感としてあまり相性が良くなく、炎症が抑えきれずにトラブルが増えてきました。

そうか
私は薬を飲んでいたから今まで生きてこれたのであって
飲んでいなければとうの昔に死んでいたのだなと気付き
呆然としたと共に
なぜ断薬をもっと真剣に目指さなかったのかと、反省の念がわいてきました。

10代で発病してから10年ほど
私は病状安定のために羽目を外すこともなく
青春なんていうキラキラした日々とは無縁の慎ましやかな生活を送っていました。
大抵の人が途中で再燃し再入院となる中で
私は順調に薬を減量できており
あと数ミリで切れるというところまできた時に初めて医師から
「あなたは断薬できる人だと思うからもう少し頑張ろう」
と言ってもらえました。

一生飲み続けねばならない薬だと覚悟していたので、本当に嬉しかった。
やっと少し「自由」が手に入るのかもしれない!と。

だけど
最後の最後で油断してしまいました。。

失恋で
息がまともにできない、食べられない、眠れない日々が続きました。
体の芯になんとも表現しがたい熱を感じ、発病した時と同じ倦怠感が出てきました。
あっという間に再発し
大幅に薬を増やされてしまいました。

そこから数年はなかなか炎症が治まらず
減量がまったくできませんでした。
副作用で関節の腫れが出て歩けなかったり、全身の皮膚粘膜が弱りボロボロ、口内炎が一気に300個位吹き出したこともあります。
とにかく、年中病院通いや点滴をしました。
ムーンフェイスや脱毛も、言わずもがなです。

医者は「なんでこんなことになったのか」と不思議がっていましたが
私にはなんとなく、その原因、メカニズムがわかっていました。

私の場合に限った話ですが

生きることに後ろ向きになると、病状が悪化する。
あたかも自傷行為のように、です。

病気自体も
免疫の誤作動で
自分で自分を誤って攻撃してしまうという流れなので
なんだか共通性があるように感じています。


病気や薬の副作用に翻弄されたまま
あっという間に40代に突入し
再発以降
本気で病気から抜け出そうと真剣に向き合ったことはあったのか?と振り返ってみると
あまりそうは思えない。

寿命は健康な人より全然短くなるだろうけど
親より長生きできたらまあ…いいんじゃない

位に
冷めていた気がします。

自分の体のことなのに、他人事のような…
いやむしろ他人のことの方を心配して気遣って生きてきたような…そんな矛盾
どこかおかしい本末転倒な生き方だったと思います。

自分の病気を治せるのは自分自身だけなんじゃないかと
最近はそんな風に強く感じています。


以下蛇足ですが

私は親の強い意向もあり
病気について周りに濁して伝えていました。
長い入院時期について知らない人には
あえて話すこともなかったです。
覇気がなくテンション低い人には見えていたでしょうが
大体クールな人だと思われるだけのことでした。

初めて病気についてバレたというか
具体的な病名まで気づかれてしまったのが
のちに初めて付き合った相手でした。

指摘された流れは忘れてしまいましたが
びっくりしてショックで
泣いてしまいました。

なんだかんだ
病気を隠して生活するには
辛いこともあったのかもしれません。

そんな経緯もあり
私の中で
すごい強力な理解者が現れたような
勘違いをしてしまったのだと思います。

病気について知っても態度が変わらなかったからといって
別に
ありがたがるような
特別なことではありませんでしたね。

経験上
弱みの共有は
よくない依存関係のきっかけになるような気がします。






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