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松下洸平ライブHEARTtoHEART2021記録⑤再デビュー報告レポ&解説

1、ミュージシャンとして再メジャーデビュー

2021年3月6日は洸平さんの34歳の誕生日で、ライブツアーHEARTtoHEART2021のファイナルでもあるおめでたい日。
そのファイナルライブの最後に、洸平さんが再度メジャーデビューするということが発表された。ファンが待ち望んでいたリリース!あまりにも嬉しいビッグニュースの詳細とこれまでの経過を、洸平さん自身の言葉をそのまま紹介しつつ、解説します。
【バースデーファイナルライブの様子は「記録⑥」に掲載します】

2、洸平さん涙の報告~~涙の中に君がいる♪

松下洸平として、もう一度メジャーデビューする――
最後の最後に発表されたこのビッグニュースは、洸平さんの涙とともに報告された。
バースデー&ファイナルライブ。サプライズやハプニングなどさまざまなことが起きていたが、洸平さんの涙はすべてを吹き飛ばす破壊力だった。

アンコールの最後の曲「HEART」を歌い終わり、ライブツアーを完走できたことの御礼の挨拶をした後、
「ここで、皆さんにひとつお知らせがあります」と。
この段階で、予感を感じた私は両手を合わせて祈るようにじっと聴き入る。会場にいた全観客、生配信を観ていた全員が同じ思いだっただろう。
「今日こうしていろんな曲を歌ってきました。どれも、僕が YouTube にアップをしていた曲なんですね。いわゆる形に何か残っていて、たとえばアイチューンズとかCDショップとかに今歌った曲、全部ないです。ないんです」
くっと一瞬悔しそうに、そしてたたみこむように続けて、
「今年の夏ごろを目途にですね(もうここから会場は大きな拍手)松下洸平として、もう一度メジャーデビューすることになりました!(会場から大きな大きな拍手)ありがとうございます!」
私は心の中で叫んでいた。声にならない声で。ライブ途中で何度も泣いていたけれど、また涙があふれてきた。

洸平さんは続ける。
「洸平としてデビューして、2年ぐらいしか活動できなかったです……あれ?やば…」と言いながら、目からあふれてきた涙が流れ落ちないように上を向く。会場からは元気づけるようにさらに大きな拍手。
「2年しかね、できなかったんすよ…」。ここで涙腺崩壊。洸平さんは涙を止めるために冷静になろうとするかのようにその場で少し歩く。観客に対してちょっと待ってね、という感じで片手を上げながら。
見守っているカンノさんが、「がんばれー」と声をかける。
洸平さんは、涙を指でぬぐいながら、言葉を絞り出す(配信だとここでカメラがぐっと寄って目のアップ!美しい涙。指も美しい…)。
「なかなかやめれなくて、歌をうたうこと。悔しくてね。リリースできないんでね。なんとかYouTube でやってやろうと思って。セッションみたいな形であげてました。それでも見てくれる人ほとんどいなかったんですよ」

東京フォーラムでのMCで、「ふと歌った鼻歌も誰かに聴いてほしいと思う」と言ったくらい歌うことが大好きな洸平さん。
だから俳優業が中心になってからもずっと曲作りは続けてきた。でも、聴いてくれる人があまりにも少なかったと。その悔しさを、こんなに率直に語るのは初めてではないか。インタビューなどではここまで言わないし、過去ブログにも、こうしたことは書かれていなかった。
こんな思いを10年以上も抱えていたのか、と私は初めて知った。
洸平さんは確かに2年で「洸平」を捨て、2010年5月1日に事務所を移籍。「松下洸平」として俳優業に軸足を置くようになった。
その前にかなり悩んでいたのは、過去ブログを3回通読して感じていた。でも、「Glory days」で初めてミュージカルに出演して、多くの観客に自分を見てもらうという感激を経て決めた前向きな転向だったと思っていた。2010年1月末の洸平さんのブログには、「Glory days」を演出した板垣恭一さんにいろいろと相談したと書かれている。そのときのことを、奇しくもファイナル前日に発売された雑誌「ダ・ヴィンチ」の連載初回「フキサチーフ」に洸平さんは書いている。
もちろん新境地への期待は本当にあっただろう。でも、歌をあきらめたという無念は、熾火のようになっていたのだろう。
そして、俳優という目の前の仕事に丁寧に真摯に向き合いつつ、歌への思いは燃やし続けた。曲を作り続け、年に1度はライブを開催し、ファンとつながり続け、K’s Studio と YouTube に自作の歌をアップし続けた。そのときに出来ることをやり続けた。その結果がちゃんと出て、消えない大きな炎となったのだなと思う。

洸平さんは、現在は「恋の病」などの YouTube の再生回数が100万回を超えていることに触れ、「こんだけね、待ってくれてる人がいるんだから、1日でも早くもう一度デビューしたいなと思って」と。
そして、この再デビューの話は本当は昨年5月のライブHEART のときに発表する予定だったが、ライブがコロナで中止になったため、約1年越しの今日、やっと話せたということ、「洸平」時代と同じくビクターエンタテインメントに所属することを話してくれた。
「あ〜くっそー泣いちゃった」
涙を止めてからくしゃっとした笑顔で照れたように話す洸平さん…
「リリースされたら皆さんCD買ってくださいね!」と最後に付け加えたとき、やっと洸平さんのお茶目な笑顔が戻った。

3年ぶりのライブ初日となる品川でも泣かなった。泣くのでは?と思っていたのだけど、やっと開催できたことに感涙するのではなく、嬉しさが全身からあふれていた。
ファイナルのこの日も、登場時からテンション高くノリノリで歌い続けていた。誕生日とファイナルが重なっている喜びだろうとライブ中は思っていたが、配信で最初から改めて観ると、それは違うとわかった。
メジャーデビューのことを、今日こそやっと皆に報告できる、公表できる、という高揚感だったのだと思うのだ。

洸平さんにとって歌で再デビューできることは、俳優として新しい仕事が決まること以上に嬉しかっただろうし、人生の大きな転機のひとつだ。それを1年も公表できないというのは、ものすごくつらかったと思う。実際のCD制作・発売が延期になることよりも、「再デビューする」という告知自体は一刻も早く世界中に発信したかったはずだから。
私自身、ライブツアーが終わったら、またK‘s Studio とYouTube だけという「洸平さんの歌への飢餓感」を恐れていたが、それがあっさり無くなっていた。待っていたら必ずCDが出る。そのことを前提にできることが、これほど私を安心させてくれるのだと感じた。
ファンですらこうなのだから、洸平さん本人はいかほどだったろうと思うのだ。ビクターから再デビューが決まったとき、どれほど喜び、安堵し、皆に報告したかっただろうか。1年も告知できなかったつらさに思いを馳せると、もう涙しか出てこない。
そして、ライブ中のハイテンションだった洸平さんの姿と、デビュー報告のときの涙をかみしめるのだ。

こうして書いている今も私は泣けてくる。ライブ会場では号泣した。配信も観るたびに泣ける。
まさに「涙の中に君がいる」状態。
洸平さん、涙の中にあなたがいます。そしてあなたの涙はとても美しかったです。

ファイナルライブでメジャーデビュー発表というスタイルは、ファンを大事にしている洸平さんらしくて本当に嬉しい。
K‘s Roomでの発表という形もあり得たと思う。話題性からもライブでファンの前で発表というのは規定路線なのだと思うけれど、ならば最後を今回一番大きなハコだった東京国際フォーラムにしても良かったのに、と通俗的なことを私は考えてしまう。
名古屋でもテレビを中心にマスコミ各社来ていたのだろうし、WEB記事は翌日に、テレビは月曜朝の情報番組で各社ニュースとして取り上げていたが、東京で発表していたらもっと多くの会社・媒体が取材に来たと思う。そのことを洸平さんやスタッフはわかっていただろうから、観客が一番多い場所の方が見栄えがいいのでは、など考えてしまうのだ。
誕生日に合わせたこと、会場スケジュールの都合等ももちろんあっただろうが、フォーラムで打ち止めとせずに名古屋を回って最後にしたというのは、1カ所でも多くライブを開催したい、ファンに会いたいと思う優しさだと私は感じ、洸平さんらしいな、と思うのである。

3、涙の理由~10年越しの夢叶う直前、1年延期

デビュー決定と知ってから、ライブを振り返り配信を観てみると、ライブ中にフラグがたくさんあったことに気付く。
「次に向けてのバトンのようなライブだなと思います」
「僕は歌い続けます」
「ずっと歌い続けられる曲がほしいんです」
洸平さんのこれらの言葉は、単に歌が好きだから、ではなかったのだ。
もうすぐミュージシャンにもなるからね、ずっとミュージシャンでいるからね、待っていてね。そんなことをファンに言外に伝えたかったのだろうな、と感じるのだ。

そして、調べてみると、昨年(2020年)1月14日、「洸平」時代の4曲の宣伝用MVが YouTube にアップされ、翌15日、一斉にビクターから配信がスタートしていた。これは当然、再デビューのための準備であり、その話し合いは2019年中に行われていたはずなのだ。

2019年10月から放映していた朝ドラ「スカーレット」に出演が決まっただけで再デビュープロジェクトが動き出すとは思えない。洸平さんが出演しはじめたのは2019年11月末から。あっという間に「#八郎沼」は話題になっていたけれど、どの時点でプロジェクトが始まったのだろう?
「洸平」MV配信が始まった約2週間後の2020年2月3日、ライブHEART 開催の公式発表があった。それを待ってビクターはMVの宣伝を始めた。このライブで、再デビューを報告するはずだったと洸平さんは言った。すべて連動していたのだと、今になって気付いた。
八郎さんを演じている頃から、こんなに早くにデビューは決まっていたのだ。
それが、コロナのためにライブは中止。発表も延期となった。2010年から10年間、ミュージシャンとしての活動再開を切望していた洸平さんは、夢が叶う直前に、1年間のおあずけをくらったのだ。どれほど残念だったことだろう。

だから洸平さんは、ライブを早々に決行する必要があったのだ。再デビューのために。コロナ感染の勢いが一旦収まりかけた2020年10月に今回のライブ開催を決定したのはこうした事情もあったのだろう。
ところが、感染拡大の第三波がやってきて、2021年1月7日から第2次緊急事態宣言が発令された。1月10日のライブ初日の3日前のことだった。それでも、元々座席数を50%に減らしていたので中止にはならなかった。感染対策を万全に講じて出来得る限り決行する、という覚悟を決めて臨んでいたのだと思う。

再デビュー報告の涙の理由は、これまでの10年間に加え、さらに1年延期になったこうした事情にもあったのだろう。
やっと公表できるという喜びとホッとした気持ち。そして10年+1年の夢を叶えるために必死でもがいていた苦しみや悲しみ、悔しさが一気に押し寄せてきて、感情が爆発したのだろう。万感の思いがこもった涙だったのだろう。

そして。次にライブを行うのはおそらくデビューの後である。
今回は、それこそ10年間のインディーズのような洸平さんの最後のライブだったのだ。本当に貴重な機会だったと改めて感じ、その場に居れたことがありがたく嬉しく、私は幸せを何度もかみしめた。

【バースデーファイナルライブの様子は「記録⑥」に掲載します】




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