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「母と暮せば」2021年観劇記~凄みと覚悟を感じる二人芝居~

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1,はじめに

舞台「母と暮せば」は、制作陣にも演者にもハードルが高い作品だったはずだ。
まず、こまつ座が井上ひさし氏亡きあとに完成させる「戦後“命”の三部作」のうちの最後の1作だということ。「父と暮せば」「木の上の軍隊」はいずれも好評を博していること。そして、3作目の「母と暮せば」は先に映画化されていること。しかも山田洋次監督が吉永小百合さんと二宮和也さんで撮ったのだ。
そのあとの戯曲である。脚本を書いた畑澤聖悟さんは大変な思いをして書き上げたということを戯曲本「母と暮せば」(みずき書林)やインタビュー等で語っておられる。
そして俳優陣は、映画版とは異なり二人芝居を行う。ものすごい台詞の量。場面転換が一度もない、ちゃぶ台があるだけの簡素なセットで、一度も舞台からはけることがない出ずっぱり話しっぱなしの80分間。俳優としての真価が問われるだろう。
このようなハードルを乗り越えた舞台版「母と暮せば」の2018年の初演は、大好評だった。東京公演中に2021年の再演が決まったほどに。
実際、数々の演劇賞も受賞した。

そして初演から2年半の今回の再演。
一般的に再演は俳優にとってさらにハードルが上がる。
母・伸子役の富田靖子さんも、浩二役の松下洸平さんも、この間多くの作品に出演して相当の経験を積まれている。インタビューによると、洸平さんは再演の話を聴いたとき、「胸を張ってやれるようにちゃんと芝居を続けなければ。生きていかなければ」という使命感が芽生えて気が引き締まったそうだ。

前評判も高かったのだろう。チケットがほぼ完売だったからか、直前になって初日前の7月2日(金)にプレビュー公演をやるとお知らせがあった。コロナ禍の影響もありチケットは取りやすかったと感じる。私はプレビュー、初日、東京千穐楽を含む計5回観劇した。
この素晴らしい作品を私なりに解釈した感想を記し、最後にこの作品と松下洸平さんのかかわりなども加えておこうと思う。

2,2021年再演感想

 【以下はネタバレあります】

〇伸子の思い、浩二の思い

生きる。
誰のために?何のために?
生き残った者はどうすればいいのか?
死んだ者の無念はどうすればいいのか?
――そんな思いが頭の中をぐるぐると回っていた。

原爆で最愛の息子を喪った母・伸子の後悔の慟哭。
「なして、うちはあんたば止めんかったとやろう?」
「おらんかったとよ。あの日の長崎に神様は」

どんな言葉であれば、伸子を慰めることができるだろう。いやそんな言葉などない。
町子のように、ただそばにいる。それが一番の慰めになっていたはずだ。
しかし、その町子も「生きている者」として新しい幸せに向かって歩いていく。伸子はその背中を押すしかなかった。
そしてまたひとりぼっちになった伸子。
敬虔なクリスチャンであり助産婦という命をとりあげる仕事をしていたが、息子・浩二を原爆で喪って生きる気力を失った。神の存在も信じなくなり、被爆の症状が自らに出ても放置している。自殺こそしないものの、ゆっくりと死に向かっている。
死。それは浩二が待つ、光だけがある世界だ。なんと甘美な誘惑だっただろう。

「神様はいなかった」のくだりは、遠藤周作の小説「沈黙」を想起させる。私は高校時代に読み、自分の生き方の原点にもなっている大切な本だ。神はただ沈黙していたわけではない。一番大切なものは何なのかということは、自分自身で考え続けるしかない――といったことを私に教えてくれた。
「母と暮せば」で、それを伸子に教えたのは、息子の浩二だった。
「僕だよ」と、そっと浩二は現れる。神様ではなく幽霊となって。
自暴自棄になっている母を止めるために現れたのだ。
そして浩二は母に優しく語り掛ける。何度も。
「幸せは、生きとる人間のためにあるとやけん」

この作品を見て、自分の家族を思い起こす人は多いだろう。息子がいなくても、母との思い出がある人であればきっと。
若い頃は、照れなどもあり意外と親の生き方を聴いたりしないものだと思う。浩二は死んでからやっと、伸子が助産婦になった経緯などを聴く。本当は医学生になったときに聴きたかったのかもしれない。
しかし今問うことで、伸子自身にどれほど素晴らしい仕事をしてきたかということをゆっくりと思い出させている。
助産婦の仕事を辞めていた伸子は、浩二に話したがらない。それでも浩二は何度も優しく語りかける。「聞かせてよ」と。

自分のことを話したくない伸子は、浩二に原爆の悲惨さなどを話し、逆に浩二に最後の瞬間のことを問うてしまう。
そして浩二は話した。ピカの瞬間、自分が体感したことを・・・

それは浩二の一人語りだったが、恐ろしい場面だった。
「熱か熱か熱か―――」と何度も何度も繰り返され、合間に母への思いを語る。「熱か。もう一度だけ母さんに会いたか!熱か」
熱さ、痛み、怒り、絶望などの激情が一挙に伝わってきて、思わず目をそらしたくなるほどのシーンだが、私は目をそらすことができない。息を止めて毎回見入ってしまう。
このシーン、伸子はじっと正面を見据えている。涙も流さずじっと。何かに取り憑かれたかのように。
そして、「母さん」の言葉にハッと我に返った伸子は、「熱か」と苦しむ浩二に、水を汲んでコップを渡す。
しかし、幽霊の浩二は実際の水を飲むことはできない。それに気付いた伸子は、自分で水をぐっと飲み干し、そのコップを浩二に手渡すのだ。
母が水を飲んだ、その思いが浩二に伝わる、だから幽霊の浩二もそのコップの水であれば飲める――
その前のシーンで、おむすびとみそ汁を「作って」「食べて」ということをしていた2人だからこそ出来たことだった。そのことに瞬時に伸子は気付き、原爆当時は救えなかった浩二を、今回は熱さから救ったのだった。
自分がつらいことを思い出させてしまったという申し訳なさもあっただろうが、母の愛もあっただろう。
浩二の「熱か」からここまでの一連のシーンは、舞台の大きな見どころのひとつだ。

そして、伸子はやっと、助産婦を辞めた本当の理由を浩二に話す。腕に紫の斑点が出たと。
病院に行けと言う浩二に、伸子は懇願する。
「もう疲れてしもうた」「あんたのいるところに、うちを連れていってよ」
これは、惑ってもおかしくない場面だろう。伸子はまだ40~50代で若いが、長男を生後半年で亡くし、夫も結核で亡くし、浩二とずっと2人きりで生きてきた。その最愛の浩二を原爆で喪ったのだ。そして助産婦の仕事を教えてくれた母親(祖母)も。
被爆への偏見から助産婦の仕事もやりづらくなった伸子に、これ以上どう生きていけばいいというのか。浩二が連れていってあげる方が伸子のためになるのではないか。
私が伸子であれば、同じように連れていってほしいと願うだろうし、私が浩二であれば、連れていってあげたくなるかもしれないと感じた。
実際、映画版は、舞台とは異なり、伸子はラストで死ぬのだ・・・

ここで私は、冒頭の問いに立ち戻るのだ。何のために生きているのか?と。
神様は本当にいるのか?いるのであれば、なぜ私を生かしているのか?――と。

しかし、浩二は迷わないのだ。きっぱりと、「病院に行け」と伸子に言う。
「神様のことは信じられんでもよか。この僕のことは信じてくれんね?」
「僕のために、僕の代わりに生きてくれんね」
そう言って、塩水を作って母に飲ませるのだ。塩分・ミネラル治療法だと言って。
「しょっぱ!」・・・と、やっと伸子は笑う。

「ずっとここにおったとよ」
「これからもずっと一緒ばい」
浩二はそう言って、明日、病院に行くように伸子と約束し、ゆっくりと去っていった。いや、いつもいる階段の上に戻っていった。

――いつの間にか寝てしまっていて、目が覚めた伸子。また浩二の夢を見たのか、と思ったのも束の間、浩二が作った塩水が入ったコップを見つけた。
飲んだ。
「しょっぱ」
伸子は微笑んだ。
夢ではない。浩二は本当に出てきてくれたのだ。今も自分を見守ってくれているのだ。
ならば生きよう、もう少しだけ生きてみよう。助産婦の仕事も続けよう。浩二が望むならば。浩二が自分のために、自分の代わりに生きてくれと言うのであれば。
助産婦の七つ道具を広げる伸子から、そんな声が聞こえてきたような気がした。

〇2人の俳優から感じた凄みと覚悟

劇場は小さい。富田さんは開演の幕が上がる少し前に舞台にそっと上がってスタンバイされているのが透けて見える。洸平さんも階段の上で布をかぶって待機しているのがわかる。
小さな舞台。台所とちゃぶ台だけの畳の間。ささやかな日常が感じられる簡素なセット。
幕が上がると、そこには伸子と浩二が居た。
2人とも少し寂しそうで、一生懸命笑おうとして、でも本気で笑った次の瞬間、現実を思い出して少ししゅんとする…それがたまらなく悲しくて、愛しい親子だった。

再演に際して2人は、演出家の栗山さんから、「よりリアルに。大きな声で芝居しないでほしい」「これは庶民の物語だから」などと言われたそうだ。
確かに、通常の舞台のように声を張り上げていなかった。つぶやくようにささやくように話す場面すらあった。ちゃぶ台を挟んで2人で座って話す場面、横姿が多い。観客を意識して正面を見るのではなく、そこは2人の世界になっていた。しかも浩二はごろりとよく寝ころがるので、とても低い位置にいる。正直、座席によっては浩二が見えにくい回もあった。そのくらい、舞台の上には2人の日常があった。

二人芝居は難しい。逃げ場がなく誤魔化しが効かない。けれど再演までの間に、富田さんと洸平さんは、朝ドラ「スカーレット」で共演し、母と義理の息子の役を演じている。そこでも確実に信頼関係が深まっているはずだった。
私は初演はテレビで1度観たきりなので比べることはほぼできないのだが、今回の再演の方が、2人とも凄みを増しているように感じた。声は決して大きくないのだが、静かな怒り、悲しみを全身から発していて、やはり「凄み」と表現したい。

富田さんは、あの小さな体のどこにこのようなエネルギーがあるのか?と感じるほど、ときに怒りを発していた。
浩二が世界一美しいと言った夕日に染まる窓を前にして、「夕日が、今は怖かーーー・・・」とつぶやいている富田さんが、心底怖かった。まるで戦火に染まったような不吉な赤い窓を見つめる表情。怨念を感じるほどの恐ろしいたたずまいだった。

洸平さんも、声を張らずささやいているときでも、質感と熱量に満ちていた。
「僕だよ」
浩二の最初の台詞だ。この言い方がなんともいえない。優しそうな、懐かしそうな、少し甘えたような、ささやくような声。
洸平さんは初演のとき、台詞には100通りの言い方があると、何度も何度も言い方を確認したそうだ。

また終盤、神を信じる長崎の人々の上に原爆を落とした不条理について伸子が怒りを訴えているとき、浩二は「うーー、うーー」と、小さなうなり声をあげているのだが、最初は浩二の声かどうかわからないくらいの声だった。

浩二の最後の台詞は、「忘れたらいけんよ」
これは優しそうに、少し微笑んで、そして少し寂しそうに言う。
そのあと、浩二は伸子の前から姿を消し、いつもの階段に上る。
七つ道具を用意する母の背中を階段から見守る浩二の表情に、笑みはない。笑みはもうないのだ。そして涙もない。それがかえってリアルで、こちらが泣かずにはいられなかった。
いつも洸平さんが言っているように、観客を信じて、覚悟を決めて演じているのだと思った。

〇印象的な「水」の使い方

この作品では、「水」が印象的な形で2回使われている。
「熱か」と苦しむ浩二に伸子が水を飲ませるシーンと、浩二が伸子に塩水を飲ませる最後のシーンだ。

私は臨床の仕事をしているのだが、パニック状態の人や死にたいと思い詰めている人などに、実際に水を飲んでもらったりする。電話で相談を受けたときなどもそうだ。
水を飲むという行為。水が口に含まれ、ごくんと喉が動いで水が喉を通り飲み込む。この一連の身体感覚に意識が向くことで、思考が暴走しているパニック状態からハッと目が覚めたかのように少しだけ冷静になる人は結構多い。
一口水を飲めたら、次は、私はできれば甘い物を飲んでいただいている。浩二の塩分・ミネラル治療法とは味が異なるが、温かい甘い物を飲んで気持ちを少しゆるめてほしいという、治療的なかかわりという点では同じだ。
実際には、パニックのさなかに水を一口飲んでもらうまでが途方もなく大変である。無理やり飲ますことはできないからだ。
だから、伸子が「飲んで!」と自分が飲み干したコップを手渡して浩二が飲んだときと、浩二が塩水を作って伸子が飲んだとき、「あぁ、この2人は大丈夫だ」と、私は心から安堵できたのだった。

3,松下洸平さんと「母と暮せば」

〇転機となった2018年初演

洸平さんは、2018年の「母と暮せば」初演に出演できることを本当に光栄に感じ喜んでいた。
初演は2018年4月5日に情報解禁となり、ファンクラブのブログで喜びを率直に語っている。
2016年の「木の上の軍隊」の上演中に、「母と暮せば」の朗読を井上麻矢さんがやっているのを洸平さんは聴いて感動し、麻矢さんに「僕、浩二やりたいです」と言ったそう。しかし実はその時は既に、演出家・栗山民也さんは、「浩二は洸平でいきたい」と決めていたという感動的なエピソードがある。そして、しばらく後に正式に出演を依頼されたそうだ。
「木の上の軍隊」に続き、こまつ座の「戦後“命”の三部作」のうち二作を演じるという栄誉。改めてすごい俳優なのだ。洸平さんの意気込みは大きく、「木の上の軍隊」の稽古の前に沖縄に行ったように、事前に長崎に行ったそうだ。
以下の動画で、こうした話が語られているので、ぜひご覧ください。

★井上麻矢さん×松下洸平さん「母と暮せば」公演記念特別対談
(※この動画は現在公開されていません)

「母と暮せば」初演は、第26回読売演劇大賞で、栗山民也さんが最優秀演出家賞を、松下洸平さんが優秀男優賞と杉村春子賞を受賞した。さらに洸平さんは、平成30年度文化庁芸術祭演劇部門でも新人賞を受賞している。
この舞台をNHKの内田プロデューサーが観たことがきっかけで、朝ドラ「スカーレット」への起用が決まるなど、洸平さんの俳優人生の大きな転機となった。

私は初演を観ておらず、2020年3月にCS衛星劇場が放映したものを観た。録画できない環境だったので1度きりの舞台を観る緊張感で観た。そのときの衝撃はすさまじく、浩二が原爆を受けるシーンが特に強烈だった。生の舞台で観る自信がないかもしれない、と弱気になるほどだった。

★第26回読売演劇大賞の授賞式で恩師の栗山民也さんと
 洸平さんすごくうれしそう・・・ ↓

〇超多忙だった再演までの洸平さん

こまつ座は2021年の再演を春には発表していたが、キャストの発表はまだだった。
私は、洸平さんは何があってもこの舞台に出るだろうと確信していたので、コロナ禍でこまつ座が行ったクラウドファンディングにも協力した。
数々の演劇賞を受賞し、スカーレットに出る契機にもなった恩のある作品。しかもコロナ禍でこまつ座も窮地に陥っている。そんななかで出演しないわけがない。どんなに忙しくても出るだろう、それが洸平さんだ、と考えていたからだ。実際は、とうの昔の初演時に2021年再演の出演も決まっていたわけなのだが、それは私が知る由もないこと。ただ、絶対に洸平さんは出演すると信じていた。
そして、出演俳優が発表されたのは2020年11月27日だった。

しかし、このときの洸平さんは、ドラマ「リモラブ」の撮影が佳境に入っていた。さらに朝の情報番組「ZIP」の金曜パーソナリティを務めるなど超多忙で、「母と暮せば」再演に出演することに関しては、自身のインスタグラムで触れなかった。スタッフが、Twitterアカウントとファンクラブで報告したのみだった。
何かの情報解禁のときは、洸平さんはインスタ等で自分の言葉でコメントをするのが常だったが、当時はそれすらできないほどの忙しさだったということだろう。

初演の2018年12月から今回の再演までの洸平さんをふり返ってみる。
舞台「スリルミー」再演、映画「燃えよ剣」撮影、舞台「木の上の軍隊」再演、ドラマ「スカーレット」撮影と続き、スカーレットで映像ブレイクした後の活躍ぶりは皆が知るところだ。数々のドラマへのゲスト出演や、「リモラブ」「知ってるワイフ」「向こうの果て」など連ドラ、舞台も「ベイジルタウンの女神」「カメレオンズ・リップ」、さらに「ぐるナイ・ゴチ」などのバラエティ番組出演、そして洸平さん念願のライブツアー、新曲リリース、CM出演・・・
書き切れないほどの超多忙ぶりだ。
しかし、この2年半、洸平さんの頭の中にはずっと「母と暮せば」のことがあって、「気が抜けない2年半だった」と、阪清和さんによるインタビューで話している。
洸平さんがインスタで、「母と暮せば」再演のことに初めて触れるのは、上演直前の6月27日で、「お稽古がすべて終了しました」と。
そして7月2日のプレビュー公演の後にもインスタをアップしている(*•ᴗ•*) ↓

なかなか自分自身の言葉で再演に臨む気持ちなどを残せていない洸平さんなのだが、6月28日放送のNHKFM「ラジオ深夜便」でのインタビューで、「とことんまで向き合うことがとても大切。当時の人の痛みを100%理解することはできなくても、その努力は絶対に続けていかなければならない」などと話していた。作品と役だけでなく、時代や社会にも真摯に向き合う姿勢は、どんなに忙しくても変わらず、素晴らしい。

★阪清和さんのnoteに松下洸平さんと富田靖子さんのインタビューが詳しく載っていてとても読み応えがあるので、ぜひご覧ください! ↓

★富田靖子さんのマネジャーさんのインスタ
 2人のオフショットは貴重です    ↓


4,おわりに

「母と暮せば」というタイトルは、実は不思議だ。
先に完成していた「父と暮せば」と対になっているのはわかるのだが、実際、この作品は生き残ったのが母親であり、娘が生き残った「父と暮せば」とは設定が異なる。本来ならば、「息子と暮せば」となるはずだ。
しかし、「父と暮せば」と対のタイトルにしたかったからという理由だけではないようにも思うのだ。
死んでしまった息子が、本当は過ごしたかった母との暮らし……浩二は助産婦を辞めてしまった母を心配して幽霊になって出てきたのだが、本当は、浩二自身が「母さんともう一度暮らしたい」という気持ちもあったのではないかと私は思うのだ。
幽霊として出てくることは本来は許されないけれど、母を心配してのことであれば許される。そんな本音を秘めて浩二が現れたのだとすれば、それは、「母と暮せば」というタイトルでよいのだろう。
そこまで考えが至ったとき、私の目から再び涙があふれた。

「母と暮せば」は、今後何度も再演を繰り返すべき作品だと強く思った。このお2人のコンビであと10年はできるのではないかと期待している。

〇雑感:東京千穐楽カーテンコールの様子など

東京千穐楽のカーテンコールは6回だった。私は5回観劇しているが、どの日もカテコは4回か5回だったので、6回もあるのはさすが千穐楽である。
この作品は暗転して終わる。そして舞台の照明が再度ついてから、洸平さんが階段から降りてきて、富田さんとともにお辞儀をされるのだが、千穐楽の日は、暗転して照明がつく前から大拍手が起こった。
初回から立っている人もいて、2回目のカーテンコールからほぼスタンディングオベーションだった。
3回目から、洸平さんは小走りのように舞台に出てこられニコニコされていた。
洸平さんはいつも、カテコではスッと役が抜け、観客をまんべんなく見てお辞儀をされる。富田さんの方が役が抜けるまで時間がかかってしんどそうに見えるのだが、初日の4回目のカテコで、そんな富田さんに洸平さんはサッと左手を差し出し、2人は手をつないでお辞儀をされて、以降はそれが通例となっているようだった。

千穐楽でも、4回目で2人で手をつないでお辞儀をされた。
5回目は、2人は舞台の上でしっかりと抱き合い、会場は割れんばかりの拍手となった。そして、2人が退場されてもまだ拍手はやまない。会場の照明はとっくについている。

そして6回目。2人とも小走りで登場され、あちこちを見ながら頭を下げ、ニコニコしておられた。
そして退場するとき、富田さんが舞台上のあの七つ道具につまずいて転びそうになったのだ!
会場も一瞬あっと息を飲んだ。すると、洸平さんがサッと駆け寄って支えた。富田さんは無事で、驚きつつもにっこりされた。会場は再び笑いと涙と拍手の渦に包まれた。
とても素敵な千穐楽だった。

初日と千穐楽で、栗山民也さんをお見かけした。最後列に座っておられ、千穐楽は私も最後列だったので、退場時に栗山さんの前を通るかたちになり(栗山さんがその場に残っておられたので)、「素晴らしい作品をありがとうございました」と一言お伝えすることができてうれしかった。栗山さんは、観ながら時々笑っておられた。良かった・・・
千穐楽は山田洋次監督も来られていたそうだ。
井上麻矢さんは、私が行ったときは毎回受付にいらっしゃったので、毎日劇場に行っておられたのかもしれない。
井上ひさし氏の写真がロビーに飾ってあったり、「母と暮せば」のオブジェが飾ってあったり、会場全体がこまつ座らしい温かい雰囲気だった。
(*˘︶˘*).。.:*♡

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〇「母と暮せば」概要

こまつ座第137回公演・紀伊國屋書店提携
・キャスト
富田靖子(福原伸子)
松下洸平(福原浩二)
・原案:井上ひさし
・作:畑澤聖悟
・演出:栗山民也
・企画:井上麻矢
・公演日程
東京7月3日~14日(2日にプレビュー公演)
北九州7月19日~23日 下関7月27日~28日 直方7月29日 田川7月30日 都城8月3日 宮崎8月4日 鹿児島8月6日~7日 飯塚8月10日~11日 別府8月12日 大分8月13日 熊本8月16日~17日 福岡8月18日~21日 長崎8月25日~26日 佐世保8月27日 佐賀8月30日~31日 島原9月1日 諫早9月2日 横浜9月7日~8日 相模原9月9日(※コロナ禍により九州公演の一部が中止になった)

★配信のお知らせ:8月6日~8月9日
コロナ禍の影響で、配信があります。一人でも多くの人に観ていただきたいです。こまつ座さんを助けることにもなります(*•̀ᴗ•́*)و ̑̑ ↓

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