食べたいものを食べて、ぷちハッピーを重ねる

子どもの頃、食べ物を残したらすごい勢いで叱られた。だから、出されたものは全部食べないといけないという強迫観念があった。

給食が食べれなくて残されているクラスメイトにかわいそうだなと思う気持ちと、好き嫌いがなくてよかったとほっとする気持ちがあった。今はそんなことをしたら、先生がたたかれるだろうが。

栄養があるから食べるのか、おいしいから食べるのか

「好き嫌いがない」とはいうものの、できれば食べたくないものはあった。無理すれば食べれないことはないというモノ。

それは、牡蛎。

子どもの頃、鍋に入ってた牡蛎を「栄養があるから食べなさい」と言われて、むりやり飲み込んでいるうちに食べられなくなった。一口で一気に飲み込むことはできないけど、半分だけ食べるのも、考えものだ。食べ口から黒っぽい内臓のようなものが目に入って、よけいに食欲をなくす。

オーストラリアは牡蛎がたくさん取れて、生牡蠣にレモンなんてご馳走。マーケットではその場で食べられて、たくさんの人が買い求めているのをよく見る。好きな人に言わせると、損をしているらしい。

でも、苦手なものはしょうがない。栄養があるとかないとかは関係ない。基本的には、食に気を配っているから、牡蛎が食べれなくてもどうってことはない。

そんな風に考えられるようになったのは、大人になってから

子どもの舌は発展途上を意識する(自戒を込めて)

そうは言っても、母親業をしていると、頭と心が真逆なことを主張することがある。頭では「食べられないものがあってもしょうがない」と分かっているのに、子どもが「これ、食べたくなーい」って文句を言うとプチっと切れそうになる。

全部食べなきゃダメという無意識のルールが顔を出す。だから意識して、子どもの舌はまだまだ成長段階だから、食べられないものがあるのが当たり前だと思いなおしている。

昔はコーヒーが飲めなかったのに、あの独特のアロマが香っただけで、飲みたくなるくらい大人になった。笑

全部食べて、食べ過ぎて寝れないこともあったから、子どもの舌とお腹を信用することにした。無理強いして、苦手になって食べられなくなるよりは、自分のタイミングで挑戦してみようと思える方が、きっといつか食べられるようになるんだろうなって信じて。

食の選択肢がたくさんある幸せ

オーストラリアでは、いろいろな国の料理が楽しめる。食の種類もたくさんあって、ベジタリアンやビーガン、乳製品アレルギーに対応した食事など、外食することになっても、それほど困らない。

アレルギーや食の嗜好がある場合は、事前に伝えておけば柔軟に対応してくれることが多い。

ベジタリアンだから、このベーコン抜いて。
大豆アレルギーだから、豆腐はいらないよ。
小麦が食べられないから、グルテンフリーのパンに変えて。

そんなことが頼みやすい。V(ベジタリアン)、VG(ビーガン)、GF(グルテンフリー)の文字は、どこのメニューにもたいていある。DF(デイリーフリー/乳製品なし)が明記してあるところもある。

それだけ選択肢の多さに、「好きなものを食べればいいよ」という、やさしさを感じる。好き嫌いなく全部食べられることを良しとしていた世界から、選択肢があって自分で選ぶことのできる世界に移った時、そうか食べられなくてもいいんだと、気持ちが軽くなったのを覚えている。

やっぱり和食がほっとする

いつもは簡単にできるものが食卓に並ぶ。パン、サンドイッチ、パスタ、スープなどなど。和食って調理に時間がかかるから、たいてい簡単な洋食になってしまう。ご飯を炊くのも面倒な時は、パンをトースターに入れて、スプレッドをいくつか準備すれば、最悪お腹は膨れる。

でも、今日ひさしぶりに魚屋に行って、魚とタコを買ってきたら、嬉しくなってご飯も炊いた。和食の調味料を使うから、ぷうんと日本の香りが食欲をそそる。

たまにはいいなあ。

食べたいものを食べる。
子ども本人のタイミングを大切にする。
選択できることを幸せに思う。
自分のルーツの食べ物を食べる。

それが、日常のぷちハッピーを重ねていく。そんな風に感じた夕食後のひと時だった。


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