道具の話
父は建築士だった。
小さい頃、家にはいろいろな種類のシャープペンシルが並び、三角や直角やカーブのための定規があった。
100色以上の色鉛筆から好きな色を選んで大きな青焼きの紙を塗って良かった。
CADが普及して、父がその製図道具を一式誰かに譲ってもいいと考えるようになった頃、後輩たちは図面を手描きしなくなり、娘は設計図を使わないかばん屋になった。
道具は、若かった頃の父にとって高価で、ひとつひとつ大事にされていた。
数十年で、最初に使われていた用途には使われなくなった。
でも私には、役割のある道具が愛おしい。
父が使えば、道具たちは格好良い図面やイメージイラストを作った。
(古の建築士たちはプレゼンの際、イメージイラストをペンで描いていた。)
プロの仕事道具にはいろいろある。
大きな紙を折らずに運ぶバインダーや筒が必要で、それを広げる大きくて平らな机が必要だった。
朝まで座り続けても疲れないけれど、眠くもならない椅子。
手元を明るく保つ照明、コンパス、烏口。
人間の大きさ、素材の重さ、空間の用途、その置かれる場所。
全部を考慮して、作るプロに伝えるための道具である図面を作る。
作るプロたちは人間の大きさ、素材の重さ、空間の用途、その置かれる場所を知っていて、更に建築士がそれらをどうしたいか汲んで作る。
手で図面を描く人なんてもういないよ、と言われた事がある。
本当にそうだろう。
手で図面を描いてはいけないと言われた事はない。
それもそうだろう。
ただ私には、役割のある道具が愛おしい。
図面については分からない。でも。
かばん屋なのだから、手で縫うかばんを作るとき使ってしまおう。
いま、かばんを作るとき、父の定規たちの一部が革に線を引く。
図面を運んでいた筒は、展示につかう棒を仕舞って、そのまま宅急便で送ることができる。
大きな机を裁断に使い、縫うときには手元に照明をつける。
人間の大きさ、素材の重さ、空間の用途、その置かれる場所。
全部を考慮して、ものを運ぶための道具であるかばんを作る。
役割のある道具が愛おしい。
それを作る道具も。
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