心地の良い文章 


いつものように何を書くかも決めずにこの文章を書き始めた。今日久しぶりに自分の書いた日記を少し読み返していた。やはり音声入力で一気に書いているだけあって、誤字脱字が激しく、文章の推敲も足りていないように思える。

やはり理想としては、非常に読みやすい文章で、しかしながら論理的で簡潔で、それなりに知性も感じるような表現を所々に入れる。こうした文章は常に安定的にそして高速で書けるようになればいいと思う。

今はまだこうして正確に自分の考えを、正しい文法に則って発声しなければ、ちゃんとした文章は書けない。しかしながらそのうち、もっとこの文章入力が進化して、例えば誤字脱字を自動で修正して、あるいは論理の端なども修正してくれるのかもしれない。そうするとその作者である人のほんのちょっとのアイディアをきちんと言語化してくれるものが登場する。そこまでできたならば本当に素晴らしいと思う。

そういえば今日何かについて書こうとしたが、今一生懸命思い出しているけど思い出せない。ちょっと考えてみたいと思う。ダメだ思い出せない。

今思い出した。それは新しい語学学習の方法である。昨日ふと思ったのだが、語学学習においては会話をすることが大切である。しかしながら、外国にいる場合はその勉強している言語を話す人を見つけるのが難しい。だからこそ、Siriのような人工知能と会話練習を行うと言う方法があるのではないかと思ったのである。これがどのぐらい意味があるのかわからないが、とにかく一方的に自分が口を動かすことをできるのである。この練習自体はそれなりに効果があると思う。もちろんある一定のレベルに達し、自然とその外国語が口から出るようになれば、今度は本当にネイティブの人と話して、その鍛えられた外国語がどのくらい通用するのかをきちんと確認する必要がある。

また今現場では人工知能っていうのはそこまで賢くないため、何気ない雑談とかするのは難しいと思う。だからこそ人の会話を理解する能力はこの方法で養うのは難しいと思う。とりあえず能動的に、とにかく言葉を発する練習すると言う意味ではなかなか効果的ではないかと思うのである。というわけで早速Siriの言語をコロコロ変えて外国語を勉強してみようと思う。思う。

やはり文章作成においては、推敲作業が必要なのだろうか。これをせずに文章を公にしていた小説家などがいたら大変興味深い。その人は相当ださくない作家であったに違いないと思う。

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