新選組展2022の関連講演を聴きました

2022/10/2 新選組展2022(京都会場)の関連企画講演『政治集団としての新選組一「新選組展2022」で伝えたかったこと一』に参加したので当日のレジュメを眺めつつ思い出せる範囲の覚え書きを上げます。なにぶん素人なものでもし認識の間違いや捉え方の誤り等あればご指摘頂けると幸いです。

昭和女子大の三野行徳先生、専門は日本近世史 2002年の大河ドラマ「新選組!」の監修を担当したことが縁で今回の展覧会の監修されたとのことでした

・【2022年の時点で史実の新選組について分かっていること、今回の展覧会で伝えたかったこと】→『近藤勇は高い教養があり知性的な人物像である』『新選組は政治集団である』(※他にもあったけど大きなテーマとしてこの2点を中心にお話しされていたと思います)
・【今回の展覧会でできなかったこと】→新選組および近藤の政治性で欠かせない水戸(芹沢鴨、伊東甲子太郎)のファクター、浪士組参加者230名は地域社会の課題を担っていた・その全体像の解明、新選組表象をめぐるフィクション作品群の位置付け

・従来の新選組のイメージである「田舎の農民が武士になるのを夢見て上洛」「世の中の情勢に無関心な人斬り集団」は明らかな誤り
・誤りであるとする根拠は主に書簡等の史料 今回の展示は近藤勇書簡を軸として政治集団としての新選組を示した
・2004年の大河ドラマを機に「新選組研究」が進んだ 主要幹部の故郷の多摩地方等で新たな史料が発見された功績による ひと昔前まで新選組は研究テーマとして成り立たない(知名度の割に史料が少ないから)、というのが学術機関での認識だった
・フィクションにおける一貫した近藤勇像といえば「幕府への忠義」、しかし歴史学における近藤勇の立ち位置は劇的に変化した
・近藤が京に着いて間もない頃(当時30才)に故郷の人々に宛てて書いた「志大略相認書」において、将軍を先頭とした尊王攘夷が目的であるという記述がみられる いつどこでこのような政治的な素養を身に付けたかは不明、近藤勇像を復元するとすればこの志大略相認書を起点とすべきである
×右も左も分からぬまま立身出世を夢見て京都に居残った
◯ 明確な目的(=尊王攘夷活動)を持って上洛し、目的の実現のため政治活動に奔走した 
・志大略~は佐藤彦五郎はじめ故郷多摩地方の多数の有力者へ回覧している→近藤は「地域のリーダー」として上洛し、故郷の有力者らと目的意識や問題事項を密に共有していたことが伺える

・黒船来航後、横浜の開港により多摩地域の産業に大きな痛手があり、地元を守るために近藤らは攘夷思想を抱き浪士組へ参加した(?)(※ここら辺の背景がよく分からなかった…)
・決して武士になるため、京の都を守るために上洛したわけではない
・「周旋」(現代でいうロビー活動)を精力的に行っていた=「新選組は政治集団」である
・近藤、土方らの主君はあくまでも孝明天皇であり幕府ではない
・新選組は一会桑(一橋慶喜・会津藩・桑名藩)政権に属し、尊王攘夷の実現に向けて政治活動を行っていた
・当時は「尊皇攘夷⇔佐幕開国」という二分法は存在しない
・文久3年松平容保からの新選組幕府登用の打診に対する近藤の書簡に、我々は攘夷を目的として京都で治安維持を行っていると記されている=政治的な立場の自己認識はこれ
・近藤が書簡で自身の思想や政治情勢を詳細に記す一方で現存の土方の書簡には土方自身の政治的な思想が記されたものは多くない、有名な婦人自慢の手紙に見られるようなユーモアが感じられる

・「司馬先生は執筆にあたり多くの史料をあたっており近藤勇の志大略相認書も当然確認したと思われる。『燃えよ剣』等において近藤をあのような人物像(無学で権力に弱い)として描いたのか大いに疑問」(※志大略〜っていつ頃から存在がオープンにされていたのでしょうか??燃えよ剣出版の昭和30年代以前に既に存在が公にされていたか否かでここら辺の状況は大きく違うんじゃないかと思うのですが詳しい方教えてください)

・「多摩デジタル新選組資料館というウェブサイトがある。関係者らの書簡を拡大して見られるし現代語訳もあるので、より多くの人に活用されてほしい」

https://trc-adeac.trc.co.jp/WJ11C0/WJJS02U/1391015100


・「本格的な新選組研究が始まってからまだ20年ほど、今後更に研究が進むことを期待したい」


所感(蛇足):マジで無知なので志大略~の存在を知らなかったし色々とびっくりした。地域社会への貢献を志す文武両道な兄ちゃん達だったのか…みたいな。一会桑と新選組の関係も初耳で、ググったら2000年頃の歴史読本に記事があったりして新選組ファンなら常識なんですね…恥ずかしい。あと、今日の新選組および近藤、土方等のパブリックイメージについては「半世紀以上続く司馬遼太郎の呪いと言えます」と明言されていたのが印象的でした。専門家の視点からは確かに「呪い」以外の何物でもないけどこの呪いがなければ新選組が爆発的に人気になることもなく大河ドラマの題材になることもなく新選組が歴史学として研究されることもなかった…は言い過ぎかもしれないけど、良くも悪くも全てのきっかけになったことは事実なんじゃないかなと思いましたが……難しいですね。史実の新選組をなんとなくの雰囲気で認識していたので興味深かったです。

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