形にこだわらない幸せ
この世の中に、私よりも頭の回転が早い人や効率が良い人。運動もできて可愛くてスタイルが良い人もいて、残り物ですぐに何品か作れるようなすごく家庭的な人もいる。素敵な人はたくさんいる。
たっくさん、嫌になるほど。いる。
しかしながらそのどれもを持ち合わせていることが良い、正しい、幸せだと思うことは、私は違うと思う。し、私は私が素敵な人だと思ってる。痛いやつかもしれないけれど、そうやって生きる方が幸せだと分かったのだ。
鈍くて効率が悪いような人を見て"可哀想"と思う人もいるかもしれないが、
私は、人と比べてでしか自分を判断できない人をよっぽど可哀想だと思う。
前の私だ。
私は2年前、うつ病を患った。
突然、1年ほど暮らし始めた、木を基調とした6畳半のひとり暮らしの部屋で、倒れた。
心も体も限界になるまで追い込んだ自分を今でも馬鹿だな…と思う。
が、うつ病になったことを後悔はしていない。
それは、何が幸せか、
私にとっての本当の幸せの道はどのようなものなのか、
が少なからず2年前より分かったからだ。
人と比べると、卑下しなくて良い自分を卑下してしまったり、自分を認めてあげられなくなったりする時がある。
それはあまりにも自分が可哀想だと思った。
人それぞれが自分の得意不得意があって。
病気があって、
できることがあってできないことがあって。
マイナスな面は、自分ができる精一杯のプラスで補おうとすれば良い。
社会に出たら色んな人がいるから、自分ができないものをできる人が補ってくれたりする。
そうやってパズルのようにピースが集まりに集まったのがここで、ピースの形自体を揃えようとするのはどら焼きの中に納豆を入れるくらいあり得ない。みんな違うのが当たり前なのに、みーーーーーんな足並みを揃えようとする。
どうしてそんなにもみんな、足並み揃えたがるんだ。
いいんだよ。揃えなくて。枠からはみ出して。
自由に生きようよ。羽ばたこうよ🕊
まずは自分の良いと思うところを褒めるところから。
ちょっとずつで良いから。自分を認めてあげよう☺︎