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南京虐殺(1937)に対する基本的考えと歴史研究を行うにあたって注意するべき事柄 ─南京虐殺の性質の困難さと歴史研究について考える─ [小論文/エッセイ]


序論

 南京虐殺(1937)に関しては、その歴史の捉え方が現代の政治思想などの影響や、そもそも証言自体が様々あるために、様々な見方が存在している。ここでは南京虐殺に関してよく問題とされるその歴史的事実そのものの否定やその呼称について論じ、また歴史研究の上で政治的な意識がどのようにそれを阻害しているのかという点についても言及する。またこれにより南京虐殺の性質そのものについての理解を整理することも行う。

「虐殺」の定義

 南京虐殺を論じる際にはまず、「虐殺」の定義を明確にする必要がある。「虐殺(massacre)」の定義は歴史家によっても異なり、また現代社会の狭義での定義もそれらとは異なる。以下はDwyer, P. GとRyan, Lの著書からの引用であるが、アムネスティインターナショナルの狭義の定義から、歴史家によるより広義な定義が示されている。

Amnesty International has defined massacre as the ‘unlawful and deliberate killings of persons by reason of their real or imputed political beliefs or activities, religion, other conscientiously held beliefs, ethnic origin, sex, color or language, carried out by order of the government or with its complicity’.(18) For the historian, however, these definitions are too restrictive. They presuppose armed conflicts in which civilians are the target and do not, for example, take into account massacres committed by armed civilians against unarmed civilians or indeed unarmed combatants. Levene and Roberts have rightly pointed out that massacres are one sided and that they thus demonstrate an ‘unequal relationship of power’.(19) A massacre occurs then when ‘a group of animals or people lacking in self-defence, at least at a given moment, are killed – usually by another group who have the physical means, the power, with which to undertake the killing without physical danger to themselves. A massacre is unquestionably a one-sided affair and those slaughtered are usually thus perceived of as victims; even as innocents’.(20)

Dwyer, Philip G、Lyndall Ryan (2012).『Introduction: the massacre and history』

 ここでは広義の定義を採用し、被害者と加害者の集団間に明確なもつ武力の不平等があり、被害者の集団が自衛する手段を欠いた状態で殺害されることとする。これは、アムネスティインターナショナルによる定義はむしろ、ジェノサイド罪の防止と処罰に関する条約にあるジェノサイドの定義

国民的、民族的、人種的または宗教的な集団の全部または一部を、それ自体として破壊する意図をもって行われる以下のいずれかの行為を指す。

IGS.『ジェノサイドの定義』IGS、http://www.cgs.c.u-tokyo.ac.jp/definition.html

と同様であると考え、ここではもっぱら広義の定義を用いた方がより正確であると考えたからである。実際の実例を鑑みても、体系的、計画的な殺害でなかったとしても現在進行中のロシアウクライナ戦争におけるウクライナ住民にたいする加害は虐殺とされることが多い(1)。このことからもこの南京虐殺について考える際には「被害者と加害者の集団間に明確なもつ武力の不平等があり、被害者の集団が自衛する手段を欠いた状態で殺害されること」を定義として採用することが妥当であると考える。

(1)  BBC(2022).『ウクライナで軍が住民虐殺と非難され……ロシア政府や教会の反応は』 BBC、https://www.bbc.com/japanese/video-60992228

南京虐殺の虐殺の状況に関して

 次によく論点として挙げられる南京虐殺は発生していたのか、ということに関してであるが、これについては明確に上記の虐殺の定義に当てはまる行為が発生していたと断言できる。旧軍関係者によって戦後執筆された、戦史叢書においても何らかの殺害行為は発生していたことが明らかにされている。

以上、各項目について具体的に正確な数字を挙げることは不可能であるが、南京付近の死体は戦闘行動の結果によるものが大帯であり、これをもって計画的組織的な「虐殺」とは言いがたい。しかしたとえ少数であったとしても無率の住民が殺傷され、捕応の処遇に適切を欠いたことは遺憾である。
当時、外務省東亞局長であった「石射緒太郎回想録」によれば、昭和十二年十二月下旬から翌年一月にかけて、現地総領事から日本軍の不軍紀に関する報告があり、石射局長は陸海外三省局長会議で陸軍側の反省を求め、廣田外相杉山陸相に警告したと述べている。陸軍では、一日七日、参謀総長が出征軍隊の軍紀風紀の緊粛について異例の「訓示」を発し、陸軍大臣も一〜二月の間、軍紀風紀振作対策を講じた。

防衛庁防衛研修所 戦史室 著(1975).『戦史叢書第086巻 支那事変陸軍作戦<1>昭和十三年一月まで』朝雲新聞社 p437-438


 この記述においては計画的、組織的ではなかった旨が明記されているが、どちらにせよ当時の旧軍に対して比較的同情的、肯定的と一般に捉えられている戦史叢書においてもこの殺害行為が明らかに示されていることから、南京虐殺は明確に発生していたものだと考える事は妥当である。さらに住民や捕虜などの殺害は、一般的に上記の虐殺の定義を満たしているものと考えることが妥当であり、そのためにこの一連の殺害行為は虐殺として説明することができると考える。
 これに加えて、発生したかの議論について現代の日本政府による見方としても南京における虐殺行為については発生したものとしている。

日本政府としては、日本軍の南京入城(1937年)後、非戦闘員の殺害や略奪行為等があったことは否定できないと考えています。しかしながら、被害者の具体的な人数については諸説あり、政府としてどれが正しい数かを認定することは困難であると考えています。

外務省(2021).『歴史問題Q&A』外務省、https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/qa/index.html

 このことなどからも、南京虐殺の発生については、その規模については不明点があったとしても、少なくとも虐殺は発生したものであると考えるのが一般的であるだろう。

 最も、この虐殺において計画的、組織的にそれが行われたかについてはそれを断言することは困難である。上記の戦史叢書においても

これをもって計画的組織的な「虐殺」とは言いがたい。

防衛庁防衛研修所 戦史室 著(1975).『戦史叢書第086巻 支那事変陸軍作戦<1>昭和十三年一月まで』朝雲新聞社 p437

とある。またこれは様々な記録や史料が混在する南京虐殺の性質上、観点によってその言い分は大きく異なる。ここでは日中共同の歴史研究における議論について簡潔に述べた資料を用いて複数観点からの情報収集を試みる。
 中国側の一つの観点としては、

一部の部隊が「基本的に俘虜政策を実施しない」とのことで、数多くの中国軍人は捕虜にされた後、いずれも日本軍に集団で虐殺された。

張連紅(2012).『学術対話:日中歴史共同研究における南京大虐殺』立命館経済学=立命館経済学、61(3)、p378

ため、計画的かつ目的をもって虐殺が行われたとするものがある。一方でこれに対して、日本側の観点では

日本側の委員の意見では南京攻撃の過程において日本軍は俘虜の対応および計画的な虐殺の政策を設けていなかった、という。統一的政策がない故に、虐殺や釈放など各部隊の対応の仕方が異なっていた。

張連紅(2012).『学術対話:日中歴史共同研究における南京大虐殺』立命館経済学=立命館経済学、61(3)、p378

というものがあった。これらは互いに矛盾するような主張であるが、中国側主張では一部の部隊とされていることから、日本側主張にある統一された対応がなかったという内容と十分合致するものと考える。
 また、岡野(1996)によると南京への追撃戦の過程では、

しかしこの頃となると捕虜としていったん収容される間もなく処分されるのが普通になっていた。この頃から捕虜という表現に変わり"敗残兵の殲滅"という表現が登場する。

岡野君江(1996).『第九師団と南京事件』、環日本海研究、(2)、p49

というような変化があった。これを岡野(1996)は

"捕虜"から"敗残兵"へと微妙な認識の変化の裏に、1日60キロの行軍もあったという過酷な追撃戦と、捕虜の処分が日常茶飯事となっていった状況が推察できる。

岡野君江(1996).『第九師団と南京事件』、環日本海研究、(2)、p49

と分析している。このことから、上記の内容と合わせて統一的な対応はなく、そのため一方で戦闘の過酷さとその継続によって一部部隊においての本来捕虜をとるべき対応を、殺害という適切でないがより負担の少ない方法を用いていた可能性が指摘できる。これは前述の中国側の主張にある、「基本的に俘虜政策を実施しない」というものとも合致する内容である。これらのことから南京における虐殺に関して、少なくともジェノサイドと呼称されるような戦略的な観点からの虐殺は行われていなかったとしても、ある程度組織的に虐殺と呼べる対応を行った部隊が一部存在したと言える。

南京虐殺の呼称に関して

 南京虐殺のその性質を考える上で、一般に説明が不足した状態で「虐殺」と呼称されることへの問題が考えられる。はじめに述べたように、ここで言う虐殺とは「被害者と加害者の集団間に明確なもつ武力の不平等があり、被害者の集団が自衛する手段を欠いた状態で殺害されること」である。しかし、実際の南京虐殺においては殺害と共に略奪や強姦なども多く行われた。これらは明確に日本軍が風紀維持のために将校を派遣したことや、第九師団などの部隊を南京から遠ざけるなどの処置をとった(2)ことからも事実であると考えるのが妥当である。これらは虐殺とは呼べないが、一方で明かな戦争犯罪行為であり、南京虐殺とはこれらの様々な戦争犯罪行為が複合的に組み合わせっていることが理解を阻害しているものと考えられる。
 このことも踏まえて、南京虐殺についてどのように呼称するべきかを検討する。前述したように日本軍による殺害などは虐殺と呼べるものが多くある。一方でこれに加えてその他の戦争犯罪に関しても言及するとなると、単純に虐殺とだけ呼ぶことは事実の誤認識に繋がりかねない。また一般的に使われる呼称として「大虐殺」もあるが、これについては大虐殺の定義が曖昧である上に、虐殺と同様に事実の誤認識に繋がりかねないものである。他の呼称として「事件」という呼称も一般的であるが、少なくとも先述のように虐殺行為を行ったことは事実であり、事件という言葉の利用は張(2012)によるように、

日本軍が南京で行った暴行の性質は変わりませんが、いうまでもなく「南京事件」という表現を使用したことは「大虐殺」という事件の性質を薄めたことになります。

張連紅(2012).『学術対話:日中歴史共同研究における南京大虐殺』立命館経済学=立命館経済学、61(3)、p380

問題の重要な点を見落とし軽視することにも繋がりかねない。また現代の政治的な主張の上で、この虐殺事件は政治的立場によってこの虐殺をどのように見るかという問題に発展した(3)。このことでこの単語の選びは単純にどちらがよりこの虐殺を適切に形容できているかという問題以上に、政治的な問題の側面をもったのである。大虐殺という言葉も事件という言葉もそれぞれの立場と思われかねないほどにこの政治的側面は重要になってしまったことから、ここでは虐殺と呼称することが最も正確で誤解を招かないものではないかと考えるのである。

(2) 岡野君江(1996).『第九師団と南京事件』、環日本海研究、(2)、p60
(3) 稲垣大紀(2006).『南京事件-事件の究明と論争史』、東洋英和大学院紀要、2、p121-135

政治的な意識と歴史研究に関して

 ここまで、歴史的な事柄としての南京虐殺についての基本的な捉え方についておおよその考えを述べたが、ここからこれを踏まえて歴史研究において政治的な意識がどのようにそれを阻害するのかについて考える。
 歴史研究においては、様々な史料を用いて複数の観点から考える事が一般的であるだろう。この複数の観点というのは、決してどの情報源が最も正確でどれは最も不正確である、のように簡単に区分できるものではない。それぞれの史料、例えば中国側の生存者の証言、日本兵の証言、日本軍指揮官の記録、戦後になってまとめられた戦史叢書、それぞれには信頼できるであろうと考えられる部分と、否定的に見るべき部分が存在する。中国側の生存者は日本軍の行為を過大に捉えて自らの見たままの南京虐殺を語り、日本兵はその日本兵自身が体験した南京虐殺を想像や誤認なども含めて語るだろう。日本軍側の記録であっても過剰に戦果が述べられていたり、逆に問題として取り上げられる可能性のある事柄については触れていない可能性もある。あくまでそれぞれの証言や記録はその立場にたって語られ、書かれたものなのであって、決して歴史事象を中立的、俯瞰的に記録することが目的ではない。仮にそのような目的があったとしても、完全に中立な内容は、書き手が一人の人間である以上不可能である。歴史研究とはこのように複雑に絡み合った様々な記録を複合的に用いて、現在では全体像を見ることの出来ない歴史事象への理解を高めるための学問である。
 政治的に意図がある場合、それは結論ありきの歴史研究となってしまう恐れがある。歴史事象に関してなんらかの証明したい結論が先行して存在することは、それを否定する内容を意図的に無視し、一方で肯定する史料を多く採用するなどの意図的な選択に繋がりかねない。意図的に史料を選択すること自体は一般的な歴史研究でも行うところではあるのだが、これはその歴史研究にとってその史料で述べられている観点が必要であると明確にされたうえで利用されるのである。決して政治的な意図をもって選択されているわけではない。結論ありきの歴史研究は歴史研究とは言えず、単に政治的な意図に沿った歴史捜索と言えるだろう。これは歴史においては明確に避けるべきものであり、特に南京虐殺のような現在でもその認識の違いで問題となっている事象を説明する際には決して行ってはいけないものである。
 歴史研究においては政治的な意図は一切関与するべきではない。もちろん研究者も一人の人間である以上、これは不可能だとも言えるが、しかしそのための努力は怠るべきではないだろう。南京虐殺は様々な観点からの証言が多く、かつ様々な種類があることで、もとより歴史研究は困難な話題だろう。これに政治的な意図を加えることはこれをさらに困難にし、長期的な国家間などの相互理解を阻害するものとなる。ある程度共通した歴史観や他の立場や観点への理解への努力は日本と中国の二国間が協調する上で重要である。政治的な意図で歴史研究を拒み、一定の見方のみを受容することは両国の歴史研究にとっても、将来的な発展にとっても不利益である。

参考文献

  • BBC(2022).『ウクライナで軍が住民虐殺と非難され……ロシア政府や教会の反応は』 

  • 張連紅(2012).『学術対話:日中歴史共同研究における南京大虐殺』立命館経済学=立命館経済学、61(3)、p376-390

  • IGS.『ジェノサイドの定義』IGS、http://www.cgs.c.u-tokyo.ac.jp/definition.html

  • BBC、https://www.bbc.com/japanese/video-60992228

  • 防衛庁防衛研修所 戦史室 著(1975).『戦史叢書第086巻 支那事変陸軍作戦<1>昭和十三年一月まで』朝雲新聞社 

  • 岡野君江(1996).『第九師団と南京事件』、環日本海研究、(2)、p49

  • 稲垣大紀(2006).『南京事件-事件の究明と論争史』、東洋英和大学院紀要、2、p121-135

  • 外務省(2021).『歴史問題Q&A』外務省、https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/qa/index.html

  • Dwyer, Philip G、Lyndall Ryan (2012).『Introduction: the massacre and history』p437-438


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