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ほんものの、気遣い上手

「外が寒すぎて、
犬の散歩行かせるのも可哀想」

っていうのが建前だとしたら、

本音は、
「寒いから自分が外に出たくない」
なんだろうな


そう、思ったとき

本音と建前について、
ふと両親のことを思い出した。


うちの両親は、良くも悪くもいつも本音で、
自分の都合(欲)を優先してものを言う人たちだった。

志望校について、
「偏差値高い学校に行った方が、あなたの将来のためよ」
なんて、聞いたことがない。

「かなちゃんが〇〇受かったら、お母さん鼻高いわー!」
って、実際に言っちゃう。

リビングの、広いテーブルで勉強したいという
受験期まっ最中の私に対しては、

「いいけど、お母さんはテレビは見たいから付ける。うるさいなら部屋行きな」

といったように

子どもだからといって、少しの遠慮もなかったし、それが吹っ切れてて、逆に清々しかった。

(だからこそ、
たまーに "私のために" 言ってくれるアドバイスは、真実味を帯びるのだ。)


私が犬ならきっと、

「寒いから出たくなーい。行きたいなら自分でいってらっしゃい」

とかなんとかいって、GPS付きの首輪を渡して放り投げるのだろうな
(そのくせ心配症なのだ)


小さい頃なんて、自分の親は誰にとってもスーパーマンだと思うけど
そんな育て方のおかげで私は両親も1人の人間なのだ、とわかるのに時間がかからなかった。

そして、素直に要望を言ってくれるから、
従うも反抗するも、やりやすかった。


建前でものを言ったり、遠慮して本音を言わなかったり、というのは
日常茶飯事といっても過言ではないけれど

両親のように、嫌な感じでなく
本音を伝えられるようになりたいなーと思う。


気を遣いすぎないように、
気遣いしたいものです。

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