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母と、その娘の夢のはなし

私が夢の話をする時、きちんとお話をする場合には必ず母が登場する。

会って話すには重いやら気恥ずかしいやらで、上手く伝えられそうにないので、ここでその話をしたいと思う。


私の夢は、大切な人との時間を幸せに過ごせる空間を作ること と色々な所で明示しているのだが、実際には美味しいケーキがイートインできるお店を作るつもりだ。

普通のカフェであれば、1人客の利用も多い。
実際に私も1人でカフェに行くことは度々ある。

ではなぜその大きな需要を無視してまで、"大切な人と一緒に来てください" と、図々しくもお店側からメッセージとして打ち出そうとしているのか。
それには訳があるのだ。

最初にカフェを作りたいという夢を持ったのは、高校2年生のとき。その時点では、友達とおしゃべりもでき、1人で勉強もできるしゆっくりもできる、といったような場所をイメージしていた。

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高校3年生になり、少し経った頃、
突然、母に癌が見つかった。

胆管癌という、非常に発見が遅れやすい癌で、
見つかってからたった1ヶ月という速さで、母はこの世を去った。

つい最近まで一緒に笑っていた母が、もう、私の前に立つことも、口を交わすことも、ないのだという現実は、高校3年生といえども受け入れ難かった。

しかし当時は進学校と呼ばれる高校に通っており、
ショックで引きこもる暇もなく、受験勉強は本格化。
幸い友だちにも恵まれていたので、それなりに学校生活も楽しく送れていた。

夢のことも、忘れてはいなかったが、とりあえずは目の前のことに集中していて、大学を出てからでもいいかなと思っていた。

無事受験が終わり、大学生活を謳歌していた私だったが、
人との関わりや対話の中で、また自分の夢と向き合うことになった。

そしてやがて、冒頭で述べた通り、自分は 大切な人との時間を過ごせる空間 を作りたいのだと、しっかりと思い描くようになっていた。

私は、大学を中退して、お菓子屋さんに就職した。


本当に大好きだった人を亡くしてしまったからこそ、その思い出のひとつひとつは、私の宝物でもあり、
限られた人生の中で大切な人と過ごす時間は、とても大事なものだと思った。
社会に貢献する仕事として、私が関わっていきたいのは、その時間を支える部分だと、強く感じた。

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ここまでは、話したことのある人にはある、
本気だけど、ちょっと美談じみたお話だ。

けれど、実際の胸中は、こんなにスマートではない。

そろそろ5年経つ今でも、全部、覚えている。

母と話した会話、台所で歌っていた歌、
一緒に服を買いに出かけたこと、
出かけた時必ず食べたクレープ、

病院を変える間の一時帰宅中、父と私の喧嘩で初めて見せた母の涙、
会う度に衰弱していく身体と表情、
半分麻痺した脳で、明日は私とお買い物行きたいなと言ったこと、
子供みたいに駄々をこねていた姿、
そして、握った手が、徐々に冷たくなったこと。

本当は、ずっと悲しくて、寂しくて、
どんなに他の人と幸せな毎日を過ごせていても
母がいないことに変わりはなくて、
ふとした時に、思い出して、急に泣いて、泣いて

どんなに言葉を尽くしても、この悲しみは私1人だけのものだと感じる。
だって、私だって以前までは、人が亡くなるお話を聞いてもどこか他人事だったから。

今はただ、側にいてくれる人を大切にしたい。
でも、もうこんな悲しみはたくさんだ、とも思う。


母の死を、この、どうしようもなく辛い事実を私はそのままにしたくないのだと思う。
自分の夢や希望と結びつけることで、意味のないものにしたくないのだと。

そんな理由でも、構わないじゃないか。
なんて開き直ることにする。


私にとって大切なあなたと、
あなたにとって大切な誰かの、

ご来店、未来でお待ちしております。



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