快感インストールの感想を(dTV24時間無料配信に合わせて)ようやく書きました

前書き

私はニカちゃんが大好き。その彼が主演に抜擢されたドラマ「快感インストール」も大好きな作品です。キャストもロケ地も演技もエンディングのダンスも、キラキラしていて素晴らしかったです。
ただ、ストーリーの核心に迫る為の導火線として、エロ要素をふんだんに取り入れてしまった導入部分と、その予告プロモーションの過激な手法が元で、色んな意味でこのドラマは私を含むキス担に強烈なインパクトを残してしまいました。
今回は、あの当時はTwitterに書けなかった感情を書き殴り、私自身の心の整理をすることを目的に、記事を書きました。(騒動の論議をこの期に及んで蒸し返すなどという気はさらさらなく、自分の中でモヤモヤとしたあの思い出に区切りをつけたいだけです)

※内容の特性上、ネガティブな感情や、炎上案件に触れる部分があります。当時の混沌がフラッシュバックする可能性もありますので、もし不快にさせてしまったら申し訳ありません。
それから、フェミニズムとかホモソーシャルとかブロマンスとか、そういう論議を声高に訴えたい訳でもないので、通りがかりの方はどうか喧嘩を売らないで下さると助かります。

ドラマの良かったところ

脚本に関しては、正にこれに尽きました。

エロ←→純愛という本来なら両極端にあるべきものの落差が上手く利用されていて、最終話のどんでん返しの切なさには号泣しました、もう最高でした。

とにかく、ニカは童貞でウブなイモ男子の演技が上手い。表情とか仕草とか、キスシーンでは緊張でプルプルガクガクしてる演技とか、本当に素晴らしかったです。

これ、放送後に本当にアドリブだったって知ってキュンキュンしました。

告白シーンの、透明感のあるピュアな雰囲気がとってもステキ。両思いになってから乗ったエスカレーターで、無言でそっと手を繋ぐシーンも、見る度にウットリするほど好きでした。

マネージャーがそこにいなかったら、きっと望美ちゃんはカズマに「それは誤解なの、私もタカくんが好きなの」ってちゃんと真実を伝えられたはずなのに。仕事が最優先ゆえに、本音が言えずじまいで(快感インストール機能により最終的にタカに本心は伝わったものの)、2人はもう2度と会うことなく再び日常生活に戻っていった…という結末が、悲しくて号泣でした。

でもハッピーエンドじゃないのに不思議と満たされた気持ちになるのは、あの能力のお陰で見られた「望美ちゃんと両思いだった」という真実があるからなんだよなぁ。騒動のせいであんなに憎らしく思っていた能力に、最終的に心を救われるとは。本当によく出来たすごい脚本ですわ。

ついでに、4話連続生配信のコメントから笑った箇所というのが、
①ニカがお風呂に潜る度に「カワウソの水浴び」「カワウソの潜水」と、見事なカワウソ弾幕と化したコメント欄と、

②萌ちゃんの「た〜のしんでる?」が、To-y2配信ライブ内のWe are キスマイ!での千ちゃんのコールと丸かぶりで、まさかの伏線回収(?)だった事。
撮影時とライブ日程は同時期なので偶然の産物でしょうが、dTV生配信サイトのコメント欄が「た〜のしんでる?」「ナイチンゲ〜ル?」で溢れていて、見事に腹筋崩壊しました。

このコメント欄は検閲なく即反映されるシステムでしたが、ほぼ見覚えのあるアイコンのキス担で埋め尽くされ、荒らしもなく平和な1時間半でした。

さてここからの本題は、物議を醸した経緯と、永遠に答えの出ない自問自答にいい加減なんらかの区切りをつけたい私自身の、心理的葛藤です。

炎上の記録

(感想を書こうとして苦悩した末、結局書くまでに至らなかったという、内容のない前回のブログはこちら)

“未経験男子が、女性のおっぱいに触れるとその女性の快感を自分にインストールできる特殊能力を手に入れ、親友とともに奮闘するという、男子垂涎のオリジナルストーリー”
(引用元・快感インストール公式サイトより)

この(いかがわしいサイトかと見間違うほどの)公式サイトの作品紹介文と、「男の夢を完全実写化」「このキャンバスには、おっぱいが大量にある」などの謳い文句が羅列した予告動画により、快ストは第1話の公開前からTwitterで盛大に炎上していました。
祝福すべき、推しの初主演ドラマだというのに(泣)
全力プロモーションが、完全に裏目に出てしまった感がありました。
(こうして改めてサイトの引用文を読むと「正直、やっぱり女性は引くよねぇ」という印象は拭えません。ラブストーリーの路線をもっと推して書けば好意的な印象も得られたのに…とは思いますが、脚本側としてはその種明かしは第4話まで頑なに隠し通したかったからこそ、エロ路線の紹介に徹してしまったのかな、とも解釈できるので、一概に批判はできないですが…)


この告知を面白いと絶賛する人と拒絶反応を示す人に二分したキスマイ垢界隈が、あんなにも阿鼻叫喚の地獄と化したのは、私の2年間という未熟なツイッタラー人生では初めての出来事で、足がすくんでしまいました。昨日まで和気藹々と推し愛を語っていたフォロワーは、この日から賛成派と反対派にツイート内容が分かれてしまい、タイムラインにはしばらくの間、気まずい空気が流れ続けます。
心が病んでしまう人、不眠に陥る人、寝込んでしまう人…。同担が深く悲しむ様子(ツイート)は、とても見ていられなかったです。
さらにキス担ではない、いわゆるフェミニストと言われる方々への良いガソリンとなってしまった末に、良くない意味でトレンド入りしてしまったこのタイトルは、一般の方々の目にも止まり大炎上、目も当てられない状態に。あーあー。

炎上の論点

個人の主観ですが、炎上の焦点となった課題を挙げてみます。

①「女性の性的合意なく胸を触ろうと奮闘する」というドラマの趣旨が「女性蔑視・性的搾取・性暴力助長」などと批判された

②有料放送という、特定の内容や出演者を目的に観る媒体ではあるにしろ、子供も年齢制限がなく見られるdTVにおいて、性的に過激な内容を放送する事が疑問視された

③主に女性のキスマイファンをターゲットにしているジャニーズアイドルが原案を書いたドラマなのに「ラッキースケベ」という男性市場向けの内容を扱う時点で、誰がターゲットなの?何が目的なの?感

④「男ってバカだよね〜と共感して欲しい」という彼らの言葉(雑誌の取材など)から漂う、「未熟な恋愛に漂う多少の過剰なエロは笑って許してよ」的な軽いノリへの困惑と拒絶反応

⑤モラル的にある意味危険なこの原案や脚本(セリフ)を、dTVやavex、ジャニーズ事務所の上の人が何故OKを出したのか?基準とかどうなってるの?論

(その他もろもろありましたが、以下略)

原案はきっと悪意のない最善策

(完全なる推測になります)
何故このような原案を、キタミツは提案したのでしょうか。
「何年か前からこのプロットは自分の中に存在していて、今回ドラマの話が出た時点でニカ主演で推薦した」というような話をしていましたが、それに加えてドラマ化第1弾「BE LOVE」のインパクトを超えなければというプレッシャーから、過激なエロ路線をプッシュしたのではないかと思うのです。
「宮玉の純愛狂愛ストーリーを超える、話題性のある作品にしなければ…!」という重責の中で、今までトレンドになるほどファンが沸いた(ざわついた)例を応用しようと知恵を絞る彼の脳裏によぎったのは、きっとREAL MEのペンキ合戦やCHUDOKU、バクテリア…。そして「きっとエロい脚本ならバズる!」という、彼にとっては最も推薦できるビジネスプランが出来上がったのではないでしょうか。


しかし炎上から炙り出された通り、これを不快と感じる女性側への配慮が足りなかったのも事実で、それに関しては「昭和のオジサン的思考回路」がキタミツの中に根強く定着していることが起因になっている気がします。思うに、昔から人の懐に入るのが得意で人脈が広いキタミツを、可愛がり様々な方面から指南して下さった多くの年長者が、きっと一様にそういった価値観をお持ちで、いい面もそうでない面もキタミツに影響を与えた結果だと思うのです。
ただこれに関しては、キタミツ自身の人間性や価値観まで責める気はありません。そもそも快感をインストールする特技があったからこそ望美ちゃんの本心に気づけた」という最高の展開を考えつき、その役をニカに託してくれた彼には、感謝してもしきれないのが大前提ですので…。

エロを扱う事への、答えなき課題に悩む

ここまで否定的意見も書きましたが、私はこの一連の流れの中で苦しみつつも、一概に「女性として傷ついた!」と拒絶ばかりもできないのではないか、という思いがずっとありました。

とてもデリケートな話題だと思うので、ずっと書き出せなかった疑問点が2つあります。

問題点① どの口が言ってるの?

ジャニーズという土壌特有の「男性性を消費するような文化」を一部でも受け入れて楽しんでいる以上、そんな自分は都合よく棚に上げておいて女性性の消費を批判できるのだろうかという自問自答を、あれからずっと続けています。
彼らの少年時代から、おそらく本人達の意思とは関係なく文化として継承されてきたであろう「上裸でバックダンサーを務める」などの表現は、市場価値としてそういう需要があると認識している事務所の意思で、上裸や桶ダンスなど諸々が発信されてきました。
そしてグループ曲やユニット曲の振付として、本人達の明確な意思を持って披露される、腰振りなどの大胆な表現。こちらは彼らの同意の上で、商業的に消費する側とされる側の暗黙的同意があると考えます。それを芸術作品の表現と捉えるか、アイドルの新たな一面としての大胆な表現として歓喜するのか、今回の騒動のように嫌悪の声を上げるのか、それは人それぞれだし、表現の自由と同時に言論の自由もあります。
ただ、楽曲の官能的な表現も自分は喜んで受け入れて応援している以上(性癖ではないです)、それはある意味「アイドルを性的に消費している」とも言えなくはないのに、どのツラ下げて偉そうにうっかりスケベを性的消費だと批判できるのだろうか…と自己嫌悪の無限ループに入ってしまいました。
アイドルのエロ表現に嫌悪するなら応援をやめれば良いだけの話で、快ストが不快なら見なければいいだけの話。しかし現実は「推しは応援したいから観るし、FREEZEの腰振りに沸いたくせに、快ストへの一部批判的な感情も止められない」という矛盾に悶々と病む、の繰り返し。

そして、もう一つの疑問。

問題点②意見と批判の境界線とは

Twitterで私見を綴ることは、どこまでが個人の意見の範疇で、どこからが批判への加担になるのかという、答えの出ない自問自答です。

そもそも、民放ドラマの深夜枠で一般俳優が企画したとかなら、ここまで騒動は大きくならなかったでしょう。そういうドラマはよくありますし、そういう趣向で作られたんですね、という感想でしかありません。
今回この「ジャニーズなのにエロ路線」という点がここぞとばかりに槍玉に挙げられたのは、一般的にジャニーズに求められる「クリーンで爽やかでキラキラしたイメージ」と、アイドル発信による自己表現の手法が「合意なきエロ行為だった」という2点が矛盾していたからだと思われます。
でもそれなら、ジャニーズアイドルの肩書きを背負う彼らは、

表現の自由はどこまで許されるの?イメージと違う事をしたら今後も叩かれるの?って事になります。

これは事務所の指導だけではなく、ファンの認識によって、大きく変わってくる価値観ではないかと思ったのです。
ファンとの信頼度とか、多様性を認める時代の流れとかによって、その度合いは変わってきますが、ファンがそれらを批判でがんじがらめにするのか、はたまた本人の意向を尊重して許容するのか?それはファンの民度次第ではないでしょうか。
ファンの声がトレンドを動かして一般にまで悪い印象を植え付けてしまった今回の事例ができた以上、(快ストが良いか悪いかの評価はここでは別として)ファンがTwitterトレンドにもたらす影響力は想像以上に大きいと思うし、そこにしっかり危機感を持つべきだと感じたのです。

納得できない意見こそ、言葉を選んだ発信を

アイドルが伸び伸びと自己表現をしたり、自分の人生を自分で決められるという当たり前の権利を妨害しない為にも、Twitterでの言論の自由批判による影響力の大きさのバランスをとりつつ、ファンの意見はモラルを持った発言ができるかどうかの民度が問われる時代なのではないかと感じました。
意見の表出は個人の自由だし、私は今回の快ストの過激な演出に疑問を持っているのも確か。でも感情のままに批判する声が集まることで、作品の前評価を潰す程の事例が今回生まれてしまったのは、結果的に彼らの将来を潰す事にも繋がりかねない訳です。
そこまで他人の人生を左右させる程の批判は、やはりすべきではないとも思う訳で…
うーん、その主張のバランスは絶妙に難しいな、とも思います。

今だって現に、ここに批判的意見を一部書いてしまっている訳だし、早速矛盾している自分。
でも、少なくともTwitterとnoteという存在がいる事で、日々溜まっていくオタク特有の爆発的感情を発散できる恩恵に預かっている身としては、その媒体への感謝を込めて、出来るだけポジティブな方向に使っていきたいという気持ちは常にあります。

基本的には、推し愛を実況応援。
どうしても納得できない時は、言葉を選んで、問題提起していきたいです。


これを書くにあたって、言いたい事は山ほどありましたが、やはりネガディブな言葉を極力人前に晒すのは避けたい、読む人を嫌な気持ちにはさせたくない、という気持ちがあり、ネガティヴな言葉は極力カットしました。それでも言っちゃってますけどね。
推し活は基本的に私はお花畑でいいと思います。アイドル=偶像、崇拝される存在なのだから、推し活をしてる時くらいは現実と区切りをつけて、楽しく夢の世界に浸っていたいのです。
推し活自体、いつどんな内的外的要因で崩れ落ちるかは、誰にも分からないのですし…。

推しは推せる時に、「なるべくポジティブに」、「言葉を選んで」推せ。

これが、今の時点で快ストから、私が学んだ教訓です。

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